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旅の話

僕は色々なことをリストアップして並べてみたくなる。僕が好きな食べ物は何か。今まで行った旅先でどこが好きか。などなど。部屋の片付けは苦手だけど、こういうのは好きなのだ。
だから当然、僕の人生にとって大事なことがなにかというようなこともしっかりリストアップしている。
さらにリストアップした大事な事柄をふたつのカテゴリーに分類している。僕は分類するのも好きなのだ。
カテゴリーのひとつは、人生のベースとして大事なことであり、そのなかには、家族や、僕の活動の基本となるヨガや健康といったものが含まれる。
もうひとつは、やるべきことというカテゴリーだ。やるべきことというと、嫌々義務感にかられているように思われるかもしれないが、僕の言葉遣いとしては、やりたいこととほぼ同義だ。そこに含まれるのはやるべきことであり、かつ、やりたいことでもある物事たちだ。
だから、お金を稼ぐために嫌々ながらやる仕事は含まれない。また、なんとなくテレビを観るというような暇つぶしや、生理的欲求により寝る、食べるといったことも含まれない。
そこに分類されるのは僕が僕の人生において能動的に行うことを意図する事柄であり、言い換えるならば、僕が人生の目的、いわば天命として考えている物事のことである。
今回はこのやるべきことについて考えたい。

長らく僕のやるべきことリストに列挙されてきたのは、海外旅行やライブのような趣味たちだった。
二十代の頃、僕は趣味に人生の強度を求めていた。趣味に人生を賭けていたと言ってもよい。
そこに駆り立てていたのは、スノーボードでのジャンプのような身を焦がすような焦燥感だった。海外旅行が趣味だったのも、そこにはある種の冒険が含まれているからであった。
しかし、学生時代が終わり、二十代を過ごし、結婚し、徐々に趣味に費やす時間も気力も少なくなり、人生の強度も弱まってきた。
そして子供が生まれ、三十代を家族と過ごすなかで、趣味の内容は、家族での海外旅行や妻とのライブ(演奏ではなく鑑賞の方)へと変わっていき、趣味というものが、家族で楽しく過ごすためのツールといような位置づけになっていった。
そして四十代、子どもが大きくなってみると、そこには、一人の時間と、昔ながらの趣味たちが残されていた。きっとこれからは、これらを抱えて、二十代の焼き直しのような、その劣化版のような後半生を送るのだろう、そんな気がしていた。
そんなとき、僕は病気をした。

病気をきっかけに、僕は、僕の後半生を再構築しようと決心した。
実は、僕は30代半ばから哲学の本を読んだり、一般向けの講座に出たり、自分で文章を書いたり、というような活動をしていた。
病気をする前も、このようなことをずっと細々と続けていきたいと思っていたけど、もっと真剣に、自分の天命として取り組むべきではないか、そう考えたのだ。そこで僕は、これからの人生においてやるべきこと、やりたいことのリストの一番上に哲学という文字を明確に書き入れた。
そして、5年近く、哲学カフェの活動に携わったり、哲学的な文章を執筆したり、それなりに前進しているという手ごたえを得ている。
一方で、海外旅行やライブといった従来の趣味は、今でも大事ではあるけれど、相対的に優先順位が下がってきたことは否めない。依然として重要ではあるけれども。

そんなタイミングで、僕は航空会社のポイントを使うために、それほど行きたいと思ったこともなかった上海に一人旅をすることにした。これは、特段のあてもない旅をするという、めったにない機会を得たということだ。僕と旅というものの関係を見直すのによい機会ではないか。
僕は、旅に冷めた僕と旅との間柄を今後どうしていくのか、旅を通じて何を得るのか、そんなことを考えながら旅することに決めた。

旅に出るとき、今回の旅では、自分のペースを崩さないよう心がけようと決めた。
僕は旅先で、あれもこれもと欲張るところがある。その旅で体験可能なすべてを体験したくなる。まるでスタンプラリーで駆けずり回っている子供のように。
それは、旅を摂取しすぎるということだ。旅先での経験はめったに得られるものではないからと、もう体が欲していないのに無理に旅を体感しようとする。僕にはそういうところがある。
思い出すのは飼い猫のハナが死ぬ間際だ。今しかハナと接することはできないからと、どこにも行きつかない息苦しくなるような雰囲気の中でネコを見つめていた。もっと自然体でさよならをしてあげたらよかったのかもしれない。今回の旅はそうはならないようにしようと決めた。
無理に旅を摂取しすぎず、自分のペースを守るとは、優先順位をつけるということでもある。
旅の間でも、旅よりも大事なことはありうる。例えば、疲れて体が休みたいと言っているときに無理に外に出て観光をする必要はないだろう。そんなときは、ゆっくり部屋で休んで持参した哲学書を開いてもバチは当たらない。

そして、実際、そんなことを心がけて旅をすることができた。意外と頑張っていろいろ見物してしまったし、持って行った哲学書もそれほど読み進められなかった。けれど、旅にのめり込み過ぎず、旅を相対化して捉えたまま、旅と距離をとって旅をするというのは貴重な体験だった。
その分僕は旅に多くを求めず、旅に、そして自分自身に優しくすることができた。いつもの僕のように、旅をぞうきんのように絞り、もっと何かを体験できるはずだ、もっと何かを得られるはずだ、なんて思うことなく、内なる他者である僕が僕を駆り立てることなどなく、僕は僕の心の赴くままに歩みを進めることができた。というと言い過ぎだし、実際、旅に夢中になり、いつもの僕に戻ってしまった瞬間もあったけれども、いつもよりは、そんな旅をすることができた。
いまや、旅は僕の人生の最重要イベントではない。そんな冷めた僕の心にちょうどいい、僕と旅との間の適切で幸福な関係を少しは築くことができた。

そして、旅の中での出来事により、僕は変わり、成長することさえできた。
具体的には、帰国のために上海の空港に向かう際に、駅のカウンターに財布を置き忘れたという出来事を通じて。
結局は中国人の駅員が走って財布を届けてくれて大事に至らなかったのだが、僕にとってはショッキングな事件だった。なにせ、今回の旅は自分のペースを守ることを第一の目標にしていたのだから。空港に向かう電車がなくなったことに気づいてあわててしまい、貴重品を管理するという、旅で最も注意すべきことがおろそかになってしまった。
これは、日常ではあまり得られない経験であり、きっと、その後の僕の生活を少しでも変えてくれるだろう。

忘れ物をしないよう、スケジュールどおりに目的地に到着できるよう、旅がうまく成立するよう心がけるとは、過去に考えた手順やチェック項目や心がけに沿って今行動するという意味で、いわば過去と今の接続である。
一方で旅の醍醐味は、見知らぬ景色や、味わったこともない体験や、思ってもいなかった人との出会いといった、新しいこととの出会いにあり、それはつまり、未来と今を接続させることである。
このように、旅においては、旅を成立するという意味では過去が、そして旅を楽しむという意味では未来が、それぞれ重要となる。
これは、旅においては、日ごろよりも深く時間に向き合うことができるということだ。
そして、旅を通じて学んだ時間との向き合い方は、今後、日常を生きる上で役立つ。
旅は、非日常的な鮮やかさで、解像度を上げて、日常の課題を僕に示してくれるのだ。

僕は今後、きちんと過去と接続し、そして未来と接続するような生き方をしていきたい。
具体的には、貴重品を忘れないように心掛け、無理のない範囲で人生を、そして旅を楽しみたい。