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7:3の法則

もう20年近く前になるけど、仕事でプロジェクトに必要な人工(にんく)について業者から提案を受けていたとき、実作業とは別に、プロジェクトの管理のために3割くらい上乗せする必要があるという話を聞いた。
かなり昔の話だから本当に3割と言っていたかどうかすら怪しいが、僕のなかでは3割という具体的な数字も込みで心に残っている。
考えれば考えるほど3割というのはいい線をいっているように思う。2割だと上乗せ分が僅かな誤差に見えなくもない。4割だとほぼ半分が上乗せという感じになる。
重要だが、あくまで従としての管理業務が占める割合が全体の3割というのは妥当なところだろう。
誤差として無視はできないけれど、主たるものに匹敵するほどでもない。3割という数字にはそんな丁度よさがある。
主たる実作業が7割で従たる管理作業が3割だから、これを7:3の法則と名付けることにする。

思うに、7:3というちょうどよさは、色々なところで使える気がするのだ。
世の中のたいていの物事は、本体は7割で、残り3割は付属物だったり、余計なものだったりするのではないか、という気さえしてくる。
仕事を10時間するなら、3時間分の作業は、手直しや、余計な調整のため、無駄なものになると覚悟しておいたほうがいい。
相手に説明し、完全に共通認識に至ったように感じたとしても、3割は通じていないと見積もったほうがいい。
結婚式で永遠の愛を誓っても、3割は誓いきれない側面があると思ったほうがいい。

これらの例は、理想を夢見る人への悲しいお知らせのように思えるかもしれない。または、物事の裏を知ってしまった大人が吐き捨てたセリフのように感じるかもしれない。「人生ってこんなもんだよ」なんて。
確かにそんな側面もある。二度と挫折感を味わないためには、先回りしてワクチン接種のように無力感を事前に感じておくほうがいい。そんな類の話としても解釈できる。
だが、もっとポジティブなものとして活用できる解釈があることを見過ごすべきでない。
想定外が3割あると思っておくことで、不意打ちを避け、よりうまく対処することができる。敵は絶対海から攻めてくると思っていても3割は陸から攻めてくることもありうると心構えをしておくことができる。または7割は攻めてきても3割はそもそも攻めてこないこともありうるという想定もできる。
更にポジティブな解釈もできる。きちんと仕事をすれば、その労力の7割は活きたものになるし、言葉を尽くせば7割は理解してもらえるし、7割は愛を誓うことができる。7:3の法則によれば7割は無駄にならないということもかなり重要だ。
また、この法則は、何かを選択するときは、7:3のうちの7割として選択しており、3割を捨てているということも思い出させてくれる。3割を捨てた分、7割を精一杯がんばろうと思う。
現実を見据えて想定外の心構えをしつつも、未来の理想に向かって一歩踏み出すことを後押ししてくれる。それが、7:3の法則であるとも言える。

僕の心がけ

最初に

僕が、日々、心がけるようにしていることを記録しておく。
なんとなく、うまくまとまっている気がするから。
誰かが、僕がどうしてこのような考えにたどり着いたかなんて考えずに、ただ真似てくれるだけでも役立つのではないかと考えている。

僕には、心がけていることが7個ある。
自分を見失ったような気がしたとき、7つの心がけを一つずつ思い出し、今、自分がやっていることが、きちんと心がけに沿っているかどうか確認している。
また、電車の中などで手持ち無沙汰なときには時々、7つの心がけを一つずつ思い出し、どれかひとつでもおざなりにしていることがないか思い出している。

なお、僕は哲学が好きだけれど、それほど哲学的な意図は含まれていない。どちらかと言うと、自己啓発っぽい本に触発されて思いついたこととなどが多い。
だから、未来・現在・過去の3時制と紐づけて分類しているが、そこには時間論的な哲学的意図はなく、ただ思い出しやすいから、そうしているに過ぎない。
だが、いつか、うまく哲学的につなげて論じることができたらいいなあ、とは思っている。

では、まずひととおり列挙しよう。

(未来)
1 変化・成長
2 天命・天職
(現在)
3 健やかな心
4 健やかな身体
5 中庸・節制・(心がけの尊重)
(過去)
6 蓄積・こだわり
7 本能・身体的欲求

となる。
だが、これだけではなんだかわからないだろうから、ひとつずつ内容について説明しよう。

1 変化・成長

これは、7つの心がけの中でも最重要のものだ。
僕は、フランクルの「夜と霧」が好きで、特に若い女性とマロニエの木のエビソードが好きだ。強制収容所の中での一瞬のなかにも内面的成長はある、ということを教えてくれる。
僕は癌になり、手術後の一日だけICUで過ごしたけど、そのときの体の不自由さがずっと心に残っている。癌は再発しなくても、いつかあのような苦しみが何日も続き、そして死ぬかもしれない。僕は死ぬことよりも、死ぬまでの苦しみが嫌だ。何もできず、何も生み出すこともできないのに、ただ死なないためだけに苦しんで生きていくのが嫌だ。
だけど、もし、できるならば、その苦しみの中でも、死の直前まで内面的成長を目指すような生き方ができればいいな、と願っている。

また、成長とは変化であり、この7つの心がけのシステムの外部へと接続する道だ。僕自身がひとつのシステムだとするならば、僕は、変化を積極的に取り込むことができる開放系のシステムでありたいと思う。

2 天命・天職

矛盾しているようだが、変化が必要である一方で、変わらないもの、変わるべきでないものもあるように思う。
それは、僕の存在の芯となるものであり、僕はこの何かのために生きてきたとさえ言いたいものだ。
確かに、成長・変化により新たな気付きがもたらされ、その何かは変わるかもしれない。だが、いつか変わるその時まで、決して変わらないものとして、その何かを大事にして、そこに命をかけていきたい。それが僕の天命であり、仕事なら天職だと思う。

今のところ、僕の天命・天職は、哲学をすることだ。
なお、暫定的な天職ではあるけれど、きっと、死ぬまで変わらず天職なのだろうなあ、という予感がある。
性格的に結構向いているし、これまでの蓄積もあるし、なにより、「世界を知る」ということより大きなロマンなんて思いつかない。こんなのに命をかけるなんて最高だ。

以上の2項目は、これからの僕ということに着目しているという程度の意味で「未来」に区分している。

3 健やかな心

この心がけは、最も僕の哲学的考察が反映されている。
今まで考えた限りでは、「生」に対する肯定感というものは、他の何かから導かれることはない。傍目から見たら同じような人生であっても、その人生を良いものと受け止められるか悪いものだと思うかの違いは、脳内物質がどうこう、という科学的説明は別にして、哲学的には根拠はない。
僕は、そこで、まずは、無根拠、無条件の「生」の絶対的肯定が必要だと考えている。

なお、その肯定は、永井の独在論的な意味での「今・ここ」で行われる。
そこから僕は、瞑想的なアイディアも取り入れ、バイタル・スフィアというイメージを編み出した。
これは、「今・ここ」の肯定が、独在論的に、全世界の肯定として広がるというイメージだ。その肯定された世界は、動的なあり方をしていて、呼吸し脈動する球のようなイメージにつながる。それがバイタル・スフィアだ。
哲学的にそこまで精緻に分析するには至っていないし、瞑想においてもそこまで達することはできていない。だから多少間違いがあるかもしれないが、方向性に大きな間違いはないという予感がある。ということで暫定的に、そのようなものをイメージしてもよいだろう。

僕独自の哲学が満載なのでわかりにくいかもしれないが、このような意味で、健やかな心は重要なのだ。ただし僕は内心では健やかな心ではなくバイタル・スフィアと呼んでいる。

4 健やかな身体

一転して、これは当たり前の話だ。
不可抗力的に病気になったりするのは仕方ないけれど、できる限り病気や怪我をせず、元気に活動できたほうがいい。
そのためには運動したほうがいいのだけど、先ほどのバイタル・スフィアの関連もあり、瞑想とおおいに関連があるヨガをしている。
動く瞑想とも言えるだろうヨガは、健やかな心と健やかな身体を一挙に手に入れられるものとして一挙両得でとても効率が良い。
それに、姿勢や呼吸など、日常生活でも得るものは大きい。
ということで、健やかな身体についても僕は内心ではヨガと呼んでいる。

5 中庸・節制・(心がけの尊重)

僕は、低きに流れ、だらだらとポテチを食べながらゲームをしたりして、耽溺してしまうところがある。
そうすると、ここで挙げているような心がけなど、全て忘れて、目先の快楽を追ってしまう。
快楽自体は悪いことではないけれど、僕はコントロールが苦手なので、テレビやゲームやSNSや飲み過ぎや食べ過ぎなどは、その入り口に立たないよう気をつけるようにしている。

これは、中庸や節制というキーワードで心がけているのだけど、別の捉え方をすれば、ここに挙げているいくつかの心がけを見失わない、というかたちでのメタ的な心がけとも言える。

その意味では最後の7項目目の心がけでもいいのだが、以上の3項目は「今・ここ」の僕の心がけとしての側面が強いことから、現在に区分している。

6 蓄積・こだわり

とにかく僕は、これまで生きてきたという蓄積がある。僕の歴史と言ってもよい。現在の僕や将来の僕が大事にしたいものは色々とあるが、それはともかく、過去の僕がこれまで大事にしてきたものを粗末にすべきではない。
これまでの僕を肯定し、これまでの僕がこだわってきたことについても、あえて否定する理由がない限り、大事にしたい。
そのような意味で、僕のこれまでの蓄積・こだわりは大切なのだ。

なお、僕がこれまで大事にしてきたものは具体的に7つある。
この文章で挙げている理念的な7つの心がけとは別に、具体的な7つの重要なものがあるという二重構造となっている。
一応挙げておくと、

(1)哲学
   これは項目2天命・天職につながるもの
(2)ヨガ
   これは項目4健やかな身体につながるもの
(3)家族
   これは仏教的には煩悩かもしれないけどギリギリまで大事にしたいもの
(4)趣味(海外旅行など)
   他の項目に比べれば優先順位は低いが、気分転換であり、項目1の新たな出会いにもつながるので大事にしたいもの
(5)ライブ
   同上。また妻との関係でも大事にしたいもの。
(6)セックス(身体的接触)
   これは単なる趣味というと恥ずかしいけど、僕は皮膚感覚が大事なタイプのようなので、いわゆるセックスに限らず、身体的接触がないとストレスがたまるようなので大事にしている。(だけど他の項目に比べてあまり達成できていない項目。。。)
(7)人間関係(新たなものとの出会い)
   ここで列挙したものに固執せず、その外を知ることが重要。そのためには新しいものに出会う必要があるけど、新しいものはたいてい「人間」が持っている。という意味で人間関係は大事。僕は基本的に内向的で一人でもいいと思っちゃうタイプだからなおさら心がける必要がある。
なお、これは項目1変化・成長につながるけど、項目1での成長とは内面的な成長である一方で、ここでの成長とはもう少し広い意味での成長だから少し違う。

となる。僕は7つの理念的な項目とは別に、この7つの具体的な項目を大事にしている。重複はあるが、計14項目のチェックリストがあると言ってもよい。

なお、ここで7つを挙げているのは、7つを限定して挙げているというところに意義があって、ここに挙げられていないようなもの、例えば、見栄とかお金を稼ぐための仕事のようなものに囚われて優先順位を見失わないように、という思いを込めている。

7 本能・身体的欲求

当たり前だけど、食欲や睡眠欲のような欲求は大事にすべきだし、ここまで生きてきてくれた身体のことを大事にして、身体の声を聞いてあげたい。
当たり前のことを当たり前に認めて、変に禁欲的にならないことが、この7つの心がけを無理なく達成するうえで重要だと思う。

ということで、この二つの項目は、これまで生きてきた自分自身を尊重するという意味で、過去に区分している。

最後に

以上、7項目の理念的な心がけ(と、ついでに7項目の具体的な心がけ)について説明してきた。
(具体的な心がけのほうはともかく)あまり僕の哲学に興味がなくても、参考になることもあったのではないだろうか。
こうやって眺め返してみると、僕の哲学好きは、予想どおり盛り込まれているが、意外とヨガも入り込んでいるのだなあ、と感じた。
哲学とヨガはかなり大事なのだなあ、としみじみ思う。
こんな感じで当面がんばるぞ!
また考えが変わったら書き込みます・・・

失敗について

僕は時々、過去のちょっとした失言などを思い出して、ヴァー!!って叫びたくなることがある。
会社からの帰り道など、ふとしたときに、唐突に数年前の失敗を思い出す。
言わなくてもいいことを言ってしまったことや、適切ではない言い方で言ってしまったことや、ちょっとした嘘をついてしまったことなどを思い出す。
全く関係ないタイミングで、唐突に。
そんなとき、僕は衝動的に、とにかく深く、強く息を吐き出したくなる。
流石にヴァー!!とは言わないが、周りに人がいなければ、ちょっと大きめにため息をついたり、周りに人がいれば、咳払いをしたりしてごまかす。
(わかってくれる人も多いのではないかと期待して書いてます。)
こんなとき、僕は、僕の存在を全否定して、消えてなくなりたくなる。
これは論理的に考えた結果としてではなく、衝動的に、そんな気分になる。
だから「そんな昔のちょっとした失敗なんて、もう誰も気にしてないよ。」という慰めは言われなくてもよくわかっている。
もし誰かに気づかれて、声をかけられたら、数十秒、長くても2、3分くらい、この気持ちに付き合ったら回復するから大丈夫だよ、と返事をするだろう。
今まで気づかれたことはないけど。

多分、このようなことが起きるのは、僕が、その過去をきちんと処理しきれていないからなんだろう。
何かを失敗したとき、仕方ないよ、忘れるしかないよ、と自分の胸の深くにしまっておく、という解決策をとる。
当然、きちんと謝ったり、挽回しようと努力したり、といったこともする。
だが、たとえ失敗を謝罪して許されたとしても、なんであんなことを言っちゃったんだろう、という自己嫌悪みたいなものは残る。
その気持ちは、もうどうしようもないから、自分の中に収めておくしかない。
そんな失敗たちが、僕の心の奥底にマグマのように溜まっていて、時々、噴き出すのだろう。
それは、失敗というものが生じる限り、仕方のないことなのではないか。そう思って過ごしてきた。

さて、なんで、こんな文章を書いているのかと言うと、僕は、うまい対処方法を思いついたからだ。
それも、マグマの噴出を抑える、というような対症療法ではなく、根治療法だ。
「そもそも、失敗なんていうものはない。」というアイディアだ。
失敗の反対には、成功がある。失敗とは、ある行動を、失敗と成功に二分した場合の、悪い方のことだ。
だが、そもそも成功と失敗を二分する考え方がおかしいのではないか。

僕は今、コリングウッドという哲学者の本を何冊か読んでいる。
僕の理解では、彼は、物事とは抽象的に区分されるのではなく連続していると考えている。
美術は宗教につながり、宗教は科学につながり、科学は歴史につながり、歴史は哲学につながる、というように。
真偽の区分についても同様で、世の中には色々な哲学があるが、完全に間違えている哲学というものはなく、どこか、真なるものを含んでいる、としている。
そして、それらは、弁証法的に動的に連続していると考えている。
美術から段階を経て哲学に至り、間違いの多い荒っぽい哲学から間違いの少ない精緻な哲学に至る、というように。

このアイディアの哲学的意義は改めて考えたいが、その前に実生活でかなり使えるのではないか、と思いついた。
先ほどの話に戻ると、コリングウッド的に言えば、僕の過去の行動は完全に間違えてもいないし、完全に正しくもない。
僕のどうでもいい嘘は、本当はそうすべきだった正しい発言と、弁証法的に連続してつながっている。
僕の嘘は確かに駄目だ。だけど、そのなかには少しは正しさが含まれている。そこに正しさがあるからこそ、僕はそうしたのだ。
自分を守りたいというような、程度の低い正当性であっても、そこには正しさがあるから、僕は嘘をついた。
そのことは尊重して、大切にしてあげてもいい。
僕は嘘をついた僕自身にこんなふうに語りかけてもいいのではないか。
「その行為はちょっとは正しかったよ。だけど正しさが足りなかったから、次はもっと正しくなろうね。」
嘘をついた過去の僕は、未来の正直な僕に弁証法的につながっている。
そう思うことで、過去の行為をそのままに受け止め、過去の自分を肯定してあげることができる。
「わかるよ、仕方なかったんだよね。」と過去の自分の頭をなでてあげることができる。

僕が会社帰りに、踏切を待ちながら、過去についた嘘を思い出して叫びたくなるのは、嘘をついたからではなくて、嘘をつかざるを得なかった自分のことを否定し、心の奥にしまったままにしているからかもしれない。
僕はもう少し過去を解き放ち、未来に活かしてあげたいと思う。それが、弁証法的な生き方ということなのだろう。

天皇制への僕のスタンス

どうでもいいことだけど、平成から令和になったタイミングでなんとなく書き残しておこうかな、と。
僕は天皇制について微妙なスタンスだ。少なくとも、世の中の雰囲気ほど賛成じゃない。違和感を持っている。
その理由を挙げてみよう。

1 皇室業界の硬直性が嫌だ。
天皇が車で移動するとき、信号は常に青信号になり、道路の両脇には数メートル間隔で警官が配置されるそうだ。僕は皇室ウォッチャーじゃないので知らないけれど、このような調子で、皇室の活動では色々な昔からのしきたりやお約束で莫大な手間と費用がかかっているに違いない。秋篠宮は一般客と電車に同乗するけど天皇は同乗しないなんて意味がわからない。警備の都合とは言うけれど、秋篠宮と天皇で差をつけるというのがわからない。多分、業界全体で硬直化した前例踏襲な雰囲気が漂ってるのだろう。
もう少しカジュアルな感じにできないものかと思う。それが無理なら本当に天皇制って必要なのかなあ、とも思う。

2 天皇制反対と言えない雰囲気が嫌だ。
正直、天皇制についてそれほど真剣に考えている訳ではない。だから論理的に天皇制のメリットを並べれば、天皇制っていいかもな、と思うような気がする。グローバル化の流れのなかでは、こういう特別な文化は武器になるし。
だけど、そもそも天皇制についての疑問を表明すること自体が許されない雰囲気が気持ち悪い。
それは、これまで天皇制に反対してきた左翼のアホさによるところが大きいとは思うけれど、だからと言って疑問を言葉に出せないというのはおかしい。

3 天皇推しが嫌だ。
マスコミなどが天皇いいぞ、尊敬したほうがいいぞ、とぐいぐい推してくるのが嫌だ。
元号は 大切な文化だと思うから使いたい人が使うのはいいし、天皇がどこどこに行きましたとかニュースになるのも、なんだかめでたい感じでいい。
だけど、それを僕にあんまり押し付けないでほしい。もともと嫌いじゃないのに、無理に押し付けられると逆に嫌いになりそうだ。

特に僕が嫌なのは、天皇のことを話題にするとき、それがたとえ家族や友人との間であっても、天皇陛下とか敬称をつけたり、変な敬語をつけなければならないことだ。天皇というのは、そもそも社長みたいな役職で、「社長様」と言わなくても「社長」といえば失礼にあたらないのと同じように、「天皇」と言えば失礼にはらないだろう。また、「天皇は那須に行きました。」と言えばいいのに、「お行きになられました。」みたいな謎の敬語を用いなければいけないのはおかしい。(国語は詳しくないけど丁寧語で話せばいいのに尊敬語を使っていると言えばいいのかな。)
僕はツールとしての天皇制についてはメリットがありそうな気がしているけど、少なくとも、天皇個人をそれほど尊敬してはいない。「それほど」と言ったのは、あまり知らないけど、どうも立派らしい人、という程度には尊敬しているからだ。そういうときには丁寧語を使うくらいがちょうどいいだろう。

誤解がないよう明確にしておくが、僕は皇室の人たちの人格を問題視している訳ではない。きっと悪い人ではないのだろうと思う。平成の天皇(上皇)個人で言えば、立派な人だったのだろうなあ、と思っている。
皇室の人たちが特権を持っているのが問題だと思っている訳でもない。職業選択の自由もなく制約が多い一方で、衣食住に困ることなく行きていくことができるというのは、まあ、ちょうどいいバランスだと思う。
また天皇制は太平洋戦争につながった、というような批判をしたい訳でもない。歴史というのはそんな単純化した話ができるものではないと思っている。どちらかというと僕は民主主義の無謬性みたいなものに疑問を持っているくらいだ。このような話を持ち込み、天皇制についての議論を混乱させたのは左翼のひとたちの罪ではないだろうか。

以上、読んでわかるように、これは皇室の人たちや天皇制そのものではなく、皇室を取り囲む関係者への批判だ。
天皇制については、賛成か反対か、というような雑な議論ではなく、もっと丁寧な議論がきちんとされてほしいと思っている。
それは、多分、嫌韓のようなネトウヨ対パヨクみたいな図式ができているすべての問題に共通の僕のスタンスだ。

夏草の匂い

夏草の匂い。
それが僕にとっての達成するということのイメージのようだ。

僕にはこの世で成し遂げたいことがある。
僕は、僕ができるかたちで、この世界の知の発展に貢献したい。

僕の見立てでは、この世界の知は、あまりにも掘り下げが浅い。
それを担っているのは、現代では哲学という営みだが、僕から見れば、まだまだ掘り下げようがある。
そう思えるのは、僕に、ある程度の哲学的才能が授けられているからなのだと思う。
僕は、この僕の才能をかたちにして残し、この世界の知に付け加えたい。

まあ、ほかにも、家族のこととか、趣味のこととか、物欲とか、人並みに色々な思いややりたいことはある。
そういうこともひっくるめて、全てをやり尽くし、もう十分と思ったとき、僕はどうなるのだろうか。
最近、そんなことを時々考える。

僕は全てを成し遂げたときをイメージしながら目を閉じる。
僕は広い草原に立ち尽くしている。
夏の風が熱い風を運ぶ。草がぶつかりあい、音を立てる。
全部わかるよ、もういいんだよ、十分だよ、と誰かの声がする。
そんな想像をするとき、そこにあるのは、夏草の匂いだ。

濃密な生の匂い。人の肌のような温度。僕の呼吸は浅くなり、汗が吹き出る。
これが生きるということだ。
全ての使命を成し遂げ、生きることそのものを掴み取った僕は、こんな天国にたどり着くに違いない。

僕は高校2年のとき、恋をした。
僕は、今から思えば懐疑論的な哲学的問いに悩まされ、孤独感に苦しんでいた。
僕は、あるクラスメイトを好きになった。頭が良くて、優しくて、母のように包み込んでくれそうな人だった。この人だったら全てをわかってくれるかもしれないと思った。
夏の夜、50ccのバイクで彼女の家の近くに行き、彼女を呼び出し、近くの空き地で少し話した。
彼女には別に好きな人がいるのを知っていたから、それは告白というより、確認のような行為だった。僕と彼女との間に、僕と世界との間に、線を引くという行為。
別れ際、彼女は僕を軽く引き寄せ、頭に載せたフルフェイスのヘルメットにキスをしてくれた。

あの夜の夏草の匂いこそが僕の天国なのだろう。
僕は、いつか、あの天国にたどりつき、
全部わかるよ、もういいんだよ、十分だよ、と言ってもらうんだ。

僕は目を開く。
僕は、まだまだやることがある。

(読み返すと、キモいおっさんの文章の典型例だが、おっさんだし、仕方ない。)

サイトの移行は多分終了!

以前の「ジェイミーの哲学書庫」から多分移行終了。
結構色々書いてるなあ。疲れた。
2012年くらいから、6年くらいこんなことやってるんだなあ。
娘が中学に入るくらいから始めて4月から大学生か。
その後、初期の胃がんが判明したり、哲学カフェを始めたり、色々あったなあ。
けど、震災が終わってからなんだと思うと、それほど昔ではない気もする。

移行作業をしながら斜め読みをしたけど、うーん、ひどい文章だ。
自分で言うのもなんだけど、とってもいいアイディアなのに読んでも意味不明。説明不足。
いつか、と言ってもそんなに遠い将来ではない「いつか」きちんと書き直して出版したい!

受験生のサツキへ ~区切りの話~

20170416

PDF:受験生のサツキへ

君は、この4月で高校3年生になる。
今は、君にとっての、とても大きな区切りの時期だと思う。
普通に考えれば、君が高校を卒業する来年3月のほうが、より大きな区切りだろう。だけど、僕には、今こそが区切りだと思えるんだ。
これまで、君にとっての区切りは、大きく捉えて、多分3回あったと思う。
最初は・・・確か小学5年生の頃。初めて友達らしい友達ができたとき。
当然、その前にも、初めて喋ったときとか、初めて歩いたときとか、そういう大きな転換点はあったろうけど、君に意識があるなかでは、これが最初の区切りだろう。なぜなら、傍目から見ていて、この時期に、君の中にはっきりした意識が目覚め、そして友達ができたように見えるから。意識が目覚めたから自覚的な友達ができたのか、本当の友だちができたから意識が芽生えたのかはわからないけれど、意識と友達はセットだったように見えた。
次の転換点は、中学に入り、吹奏楽部に入ったとき。僕たち親の勧めに従い、渋々だけど、君は集団の中で過ごし、集団に所属するということを知った。そして、それをかなりうまくこなし、対応できるようになった。
第3の転換点は、高校に入り、吹奏楽部を続けたとき。
君は高校を自ら選択し、そして吹奏楽部に入ることを自ら選んだ。ここで、君は属する集団を選択し、そして、その選択の責任を背負うことを学んだ。傍目から見ても、かなり頑張って責任を果たしたと思う。
この3つが、僕が思う大きな区切りだ。これらの転換点は人間関係に着目したものだと言える。君は、第1段階で人間関係の存在を知り、第2段階で集団への所属を知り、第3段階で集団への所属の選択・責任を知った。
そして、僕には、今、君は人間関係について、第4の転換点を迎えようとしているように思える。なにせ、君は、あんなに苦労した吹奏楽部を引退するんだから転換点でない訳がない。
それでは、次に訪れるだろう第4の区切り、転換点とは何を意味しているんだろうか。
はっきりとは言えないけれど、多分、集団への所属から、もっと個別の人間関係の構築への移行なのだろうと思う。
君は部活を引退し、吹奏楽部という集団から離れる。それでも、引き続き高校という集団には所属しているし、塾という集団の重みも増していくことになるだろう。そのうち大学にも属するだろうし、遠くない将来には会社に通うかもしれない。これからも、これまでと同様に、集団に所属したり、集団から離れたりするだろう。
だけど、多分、中学、高校での部活ほどに深く集団に属することは今後ないだろう。これからは、多分、集団に属すれば、自動的に一定の人間関係がついてくる、というようなことにはならない。
僕の経験からすれば、会社という集団でさえ、君にとっての部活ほど、人間関係の源泉にはなりえない。同じ職場で四六時中一緒に過ごしたからといって、仲が良くなるわけではない。
(もうひとつの有力候補である家族については、別の話のような気がするので省略。)
だから、これから君は、集団に属することで一挙に人間関係を構築するのではなく、もっと個別に人間関係を構築していくことになる。集団に属することも人間関係を構築するための一手段に過ぎなくなる。受動から能動への切り替えと言ってもいいと思う。
これは、既製品の服を脱ぎ、手製の服に着替えるようなものかもしれない。
中学生の君は親が勧めるまま吹奏楽部という既製服を着ていたけれど、高校生になり、自分の意志で既製服を選び、着こなすようになった。そして、これからの君は自分の好みに合わせて、自ら服を作り、そして着こなすように、もっと個別に、自分にちょうどいい人間関係を築くようになっていくのだろう。
君はこれから、誰とつながるか自ら選び、どこまで深めるか、どの程度距離を置くかも自ら選んでいくことになる。そして、そのひとつひとつの選択に責任を負っていくことになる。このような第四の転換点が君には訪れているのだろう。
きっと、君はこれからの人生において、色々な人と、色々な場で出会うことになる。大学のクラスや、サークル活動や、バイト先や、新入社員同士のつながりや、職場の中や、ママ友や、PTA活動や、老人会や・・・・
そこで君は、君自身の活動の成果として、君なりの人間関係を築いていくことになる。人生は人間関係だらけだ。
そして、より強く言うなら、人生においては、人間関係から逃れられないとすら言えるだろう。
誰かと出会って、そして話しかけることにしたなら、それは当然、人間関係を築いたことになる。しかし、もし話しかけないことにしても、人間関係を築かなかったということにはならない。単に、話しかけないという人間関係を選択し、構築したことになる。家に引きこもったとしても、人間関係からは逃れられない。君は家の中だけの人間関係という、ある種の人間関係を自ら選び、そして責任をとっていくことになる。
君は小学生の頃、人間関係というものを知ってしまった。
服を着るということを一旦知ってしまったなら、そこから服を脱いでも、ヌーディストというある種のファッションとなってしまう。それと同じように、君は一旦身につけ、自覚してしまった人間関係という服を脱ぐことはできない。
かっこよく言うならば、人とは人間関係に包まれる存在なんだ。

・・・

偉そうに言っているけど、実は、僕は、最近になって、やっと、このことを実感しつつある。
これまで、僕にとって、人間関係というのはかなり優先順位が低い問題だった。
確かに、人がある種のことを成し遂げようとするなら人間関係は必要だ。一人だけでは運べない重さの机でも4人いれば運ぶこともできる。百万人の同志がいれば革命だって起こせる。
だけど、僕にとっての人生の一番の興味は、こうして一人で色々考えることだったりするから、そういう場合には他人の力はあまり必要ない。確かに人と繋がると寂しくないし、なんだか嬉しいときもある。けれど疲れるし面倒だし、何より、一番大切な自分一人の時間を取られる。最優先の自分一人で思考する時間を取られるくらいなら、人との繋がりは諦めたほうがいい。そう思っていた。
だけど、最近、人間関係というものの重要さに気付きつつある。
「思考」という活動においてですら、実は他者は重要だ。誰かが僕の考えに何か意見を言ってくれるおかげで、僕は自分の考えを更に深めることができる。その意見が、一見、的外れで浅いものだったとしても、その人が本気で考えてくれた意見ならば、どこか考えさせられ、得るものがある。そのおかげで僕の思考は前に進むことができる。
僕にとっては、他者とは、いつも新しく、刺激を与えてくれる世界そのもののように思える。そして、その他者の力を自分のものとすることで、他者を自分自身の拡大した身体のように見做すことすらできる。
そのような意味でも、人とは人間関係に包まれる存在だ。そういうことが、ようやくわかってきた。
僕は、君の成長段階で言うなら、やっと小学校高学年になったところなのかもしれない。つまり人間関係というものの必要性をやっと実感できたレベルなのだ。
だから君は僕よりもよっぽどうまく人間関係を構築できるだろう。なにせ中学生でしっかりと組織に属し、そして高校生で組織の選択までしたのだから。
確かに僕も中学では部活に入っていたし、色々と組織には属してきた。だけど君ほどに組織に入りこみ、その人間関係に自分を委ねたことがない。きっと君は、僕がやっと気付いた「人とは人間関係に包まれる存在だ」なんてことは、既に肌で知っているのだろう。
僕は第1段階から一気に第4段階に進もうとしているけど、君はしっかりと第2・第3段階を経ている。既製品であれ何であれしっかりと服を選んで着たという経験は今後活きるはずだ。
以上、これからの人生、集団に属するだけじゃなくて、都度の判断の積み重ねで、サツキだけの唯一な人間関係を構築してね、という話でした。

・・・

と言っても、具体的に、どうやって人間関係を構築したらいいんじゃ、という話になるだろうから、一応アドバイス。僕は人間関係を築くのが下手だから、逆に、教訓にはなると思う。一流選手が必ずしも名コーチではなくて、苦労して英語を学んだ人のほうが、英語の勉強法を知ってるのと同じことだ。
とは言っても、例えば、大学のクラスの初日に使える技みたいなのを伝授できればいいのだけど、そんな都合がいいノウハウは持っていない。
年相応に積み重ねた失敗例から導かれる心構えのようなものしか伝えることはできない。
まず第一に言えるのは、事前に色々と考えて構えても仕方がないということだろう。
誰かに声をかける前に自分に合った人を見分ける必要はなく、合うかしれないという予感だけでいい。もしかしたら、そんな予感すら要らないかもしれない。
なぜなら、僕にとってだけかもしれないけど、他者というものの醍醐味は、その意外性にあるからだ。あえて言えば、何か面白そうなことがありそう、という予感さえあればいいのかもしれない。
第二に、そんな予感を信じて行動したとしても、もし予想が外れていたなら、離れればいい。嫌になったり、より良いものを見つけたら方針転換すればいい。
人間関係というのは、ロールプレイングゲームのジョブやクラスのように明確に名付けられ、位置づけられるものではない。友達とか親友という呼び方はあるけれど、人間関係というのは、そんな言葉で捉えられるものではなく、もっと個別なものだ。同じ友達と呼ばれる関係でも、AさんとB君では違いがあっていい。人間関係というのは、0と1のデジタルではなく、アナログなものだと言ってもいい。
だから人間関係には時間的にも変化があっていい。友達になったからと言って、ずっと友達でいられる訳でもないし、ずっと友達でいなくてもいい。または、ずっと疎遠だったからと言って、徐々に友達になってはいけないということもない。
僕は、人間関係というものを、様々な色、太さ、材質の糸で編まれた織物のようにも思う。縦軸がAさん、B君というような個人。そして横軸が時間軸だ。人間関係とは、相手ごと、瞬間ごとに異なる都度のやり取りや距離感の積み重ねという糸で編まれた繊細な織物のように思うんだ。
第三の心構えは、いつも良い人でなくていい、というものだ。人によって違う対応をしたり、誰かと離れたり、近づいたりと軌道修正するにあたっては、あまり良い人であろうとしなくていい。そういうことに囚われていると、大事な判断ができなくなる。
それに、良い人であろうとして無理をすることは、自分にとって良いことではないだけでなく、その相手にとっても良くないとも言える。なぜなら、自分で勝手に無理をしているような人を友人とすることは、その相手にとっても不幸なことだろうから。
良い人であるべき、というような実現が難しく、堂々巡りになってしまうような問題には、あまり立ち入らないほうがいい。
以上、3つほど心構えめいたものを書いてみたが、そこからなんとなく透かし見えてくるのは、とりあえず何か動いてみたほうがいい、という楽観的で積極的なスタンスだろう。
僕はそう思うし、実際に、自分自身そうしたいと思っている。
だけど、一番大事な心構えは、それでも、自分自身がやりたくない時にはやらなくていい、ということだ。当然、やれるときにはやったほうがいいし、少々無理してでも積極的にやっていくほうがいいときも多い。だけど、あまり無理しないほうがいい。自分の内なる声に耳を傾け、自分を大切にしてあげるのが第一だ。
人の気持や態度には、あるリズムのようなものがあると思う。少なくとも僕には、気が満ちていて、何か積極的に行動したいときと、そんなことは投げ出して、ゆっくりと一人で過ごしたいときがある。
うまくいっているかどうかは別にして、僕は、その波をうまくとらえて、自然に、そのなかでも、ちょっとポジティブさを心がけつつ、波に乗って生きていこうと心がけている。
そして、君にもできればそうしてほしいと思っている。
自分自身の内面のリズムに正直に、だけど、そのなかでもできるだけ積極的に、そして楽観的に生きていってほしい。

・・・

最後に、この文章のタイトルとしている「区切り」について。
多分、この文章で一番伝えたかったことは、区切りすぎないほうがいい、ということなのだと思う。
集団に属するか属さないか、友達か友達じゃないか、良い人か良い人じゃないか、というようにざっくりと区切りすぎるのではなく、もっと目の前の個別具体的なものに目を向けて生きていくべきだ。そういうことを自戒を込めて伝えたかったのだろう。
僕自身のこれまでの人生の反省点は、区切りすぎた、ということだったのかもしれない。(ママの長所は、区切らない、というところだ。)
この文章の冒頭でも、君の成長を4つに区切ったように、僕は、色々と区切って分析するのが好きだ。これは、物事を単純化し、大枠で理解するのに役立つ。しかし、うまくいかないこともある。
例えば僕は子どもの頃、大人になるのが嫌だった。嫌というか、大人というのが未知の世界すぎて先に進むのが怖かった。
そう思ったのは、きっと子どもと大人とを区切りすぎていたからなのだろう。この歳になってはっきり言えるけれど、子どもと大人とを明確に分けることなんてできない。人というのは、その瞬間その瞬間で少しずつ変わっていく。確かに人生の中には大きく成長するタイミング、大事な瞬間というのもあるけれど、そこで一気に全く違う存在になってしまう訳でもない。僕はどこまでも連続的に僕だ。大人という全く違う存在に生まれ変わる訳がない。今の僕が大人なら、あの頃の僕もどこか大人だったはずだし、あの頃の僕が子供だったなら今の僕もどこか子供なはずだ。
それに加えて、はっきりと、大人的な性質や子ども的な性質というものがある訳でもない。一般的に言われるように冒険心や残酷さといったものが子ども的な性質で、思慮深さのようなものが大人的な性質なら、今の僕のなかには、あの頃と同じか、もしかしたらもっと子どもな面がある。そして、あの頃の僕のなかには、今と同じか、もしかしたらもっと大人な面があった。
つまりは、子供から大人になるなんて捉え方は粗雑すぎるんだ。
同じようなことだけど、もうひとつ嫌だったのが、大学生から社会人になることだった。これも、学生のうちだけは自由に何でもできて、社会人になったら稼いで子供を育てる以外何もできない、という区切りのイメージに囚われていたのだと思う。そして、僕は、そのとおり、学生時代は、絵に描いたように自由に遊んだし、その後、そのとおり、安定しているけれど、自由がない職に就いた。まさに予言の自己実現という事態に陥ってしまったように思う。
だけど、よく考えれば、世の中には、学生のうちから起業している社会人のような学生もいるし、ママのように、社会人になっても学び、色々と生き方を自由に定めている学生のような社会人もいる。
自由で可能性に溢れた学生と、不自由で可能性を失った社会人という捉え方自体が、やはり粗雑だったんだ。
そして、もうひとつの大きな誤りが、この文章でも触れた、友達というものの扱いだったように思う。僕は友達か友達じゃないかの区別に因われ、しかも、その区別がなんだかわからず、孤独感を感じていた。みんなにはどうやら友達というものがたくさんいるみたいだ。だけど、どうやら僕には友達というものがよくわからない。だから僕は、皆がやっている(ように見える)友達の作り方を真似て、傍目から見て友達らしきものを作ってみた。だけど、当然、そんなのは友達なんかじゃなかった。友達というのは、そんな粗雑なものではなく、ただ、振り返ってみると友達だったとしか言えない、日々のつきあいの積み重ねのことだったんだ。
このように、僕はいくつも勝手に区切りを設け、勝手に苦しんできた。これが僕の反省点だ。
(誤解がないように言っておくと、僕は、このような試行錯誤を重ね、大人らしきものになり、充実した社会人生活を送り、友達と思えるような関係も築きつつあるよ。)
確かに区切ることには利点がある。僕が好きな哲学とか、君が好きそうな社会学なんていうのは、区切ってざっくり捉えること自体が学問の醍醐味とさえ思う。
だからこそ君には、区切りつつも、区切りというものに因われすぎず、日々、目の前にある生(ナマ)の現実に目を向けて、自分の中にある生(セイ)のリズムを尊重し、それらを望ましい方向にコントロールしつつ生きていってほしい。
以上、時々書く、君にあてて書いたように見せかけて、自分自身に書いた文章でした。

大人になったね

2017年2月6日作

高校2年のサツキ(仮名)へ

年末年始のスペイン旅行楽しかったね。

旅行も楽しかったけど、君のことを見ていて、しみじみ大人になったんだなあ、と思ったよ。
親に対しても対等な大人として気を遣って、自分の価値観に基づいてきちんと行動する。
まあ、もともとできるほうだったけど、完成したんだなあ、と思ったよ。
もう親としてすべきことなんてほとんどないね。

確かに、日常生活では突っ込みどころ満載だから、日々色々と言いたくなることはあると思うけれど、人生や自分自身や他者や世界や生命に対する基本的な態度については、もう、言うことはないね。

だから、これからは対等な人間としての関係ということになっていくのだろうね。

遊戯哲学博物誌を読んで

2016年9月25日作

このあと、きちんと出版されたし、木村さんともお会いできました。よかったよかった。

・・・

哲学対話つながりでやりとりをしたことがある木村洋平さんという方が書いた遊戯哲学博物誌という本を読んだ。
出版がうまくいってないらしく、ネットで数十冊だけ販売していたうちの一冊をサイン付きで直接から直接購入させていただいた。
今後、無事普通に出版できそうとのことで、直接販売は終えたようなので、このISBNコードもない本は貴重な1冊になるかもしれない。

とても面白かったので感想を書いて残しておこうと思うが、せっかくなので、著者への手紙風に書いて実際に著者に送っておこうかと思う。
実質、まだ世に出ていない本なので、読者の反応も欲しい時期なのではないかと思うから。

・・・
木村洋平さん

本をお送りいただきありがとうございます。
遊戯哲学博物誌、拝読させていただきました。

率直に言って、とても面白かったです。
まず、丁寧で、透明な凛とした美しさのある文体がよかったです。
短い文章の積み重ねの中に、所々入れられる遊戯の例が心地よいリズムを生んでいて、抽象と具体を行き来する感じで、ストレスなく読み進めることができました。

まえがきに、「西洋哲学史に休息を与えたい」とありましたが、とても素敵なスタンスだと思います。
読んで疲れない哲学書というのはいいですね。
僕はあまり誌とか小説とか読まないので、マンガを読む気にもならず、テレビを観る気にもならず、哲学書を読む気にもならないときにちょうどいい本でした。
こういう本ってあまりないですよね。

また、その内容も興味深かったです。
特に、「え-84~87」の地図の描写は、この本が博物誌という体裁をとっていることとあわせ、ある真実を描いているように思いました。

この本は、世界をさまざまな形で切り取った地図を束ねたようなもの。
確かに地図というのは省略があり、世界の一部しか表現できないし、またメルカトル図法は緯度が上がると歪みが生じるように、誤解や誤りを引き込むようなかたちでしか表現できない。
だけど、色々な縮尺の地図を組み合わせたり、メルカトル図法と正距方位図法の両方で表すことで、より正しく世界を表現することができる。
それと同じように、この本は、博物誌というかたちで、色々なやり方で世界を描くことで、より正しさに近づくことができている。

そんな気がしました。

例えば、地球と記憶の海の絵は、正直、「え?僕のイメージとはぜんぜん違う」と思ってしまいました。
だけど、読み進めていて、この本の中の緻密なネットワークにおいては、こうあるべきで、
メルカトル図法のような歪みはあるけれど、ある種の正しさがあるのだろうなあ、と感じました。

また、「ら 資本主義、帝国主義、全体主義」のあたりは、別な意味で「僕のとぜんぜん違う」と思ってしまいました。
このあたりは少々語りすぎなような気がしました。正しいのかもしれないけど、読んでいて休息にならないというのでしょうか。
他の箇所は全般として、「僕のと違うけど、これもいいな。」なんて思いながら読み進めることができたのですが、このあたりは、所々ひっかかってゆったり読めなかった感じです。
(このあたりが嫌いという訳じゃないですよ。メインストリームと周辺があり、哲学者は周辺を目指すって心構えの話はとても心に残っていて、時々思い出します。)

だからという訳ではないけど、この本は、加除式のバインダー形式でもいい本なのかな、と思います。(本当にそうしてほしいということではなく比喩として。)
博物誌という形式や、このリズム感、そして、地図の比喩にあるような多面的な捉え方といったものは揺るがない。
だけど、この本の性質上、今後、訂正したり、書き足したくなる部分が生じてきそうです。
今後、遊戯哲学博物誌第二版、第三版、第四版と出会いたいような気もしますね。

やっと普通に出版できそうとのことでよかったですね。
いつかお会い出来たらいいですね。

ハナの死で考えたこと

2016年1月7日の文章。

この文章がハナのお墓なのかもしれないなあ。

・・・

【はじめに】

ハナとは、うちのネコの名前だ。

2015年1月2日、午後6時50分、まだ生まれて1年半なのに、肝臓の病気で死んでしまった。
実は、この文章は、一度、かなり書き進めたところ、保存し忘れて消えてしまったので、もう一度打ち直している。
ハナは、こんな文章を書いてほしくないのかなあ。それとも、もう一度思い出してほしいのかなあ。なんてことも思うけれど、ともかく、僕は、この文章を書き終わることで一区切りつけられるような気がするので、もういちど書くことにする。
この文章は、大きく3回に分けて書いている。
まず、2015年大晦日、一人、スパークリングワインを飲み、弱ってきたハナを見ながら。
そして、翌2016年1月3日、ハナの火葬を終え、妻と娘がセールに行っている間に一人で。
そうしたら保存し忘れてデータが消えてしまったので、1月4日から7日にかけて、正月気分が残る職場から帰り、ハナがいない日常のなか、一人で。
【ハナが死ぬまで】
ハナの死は突然だった。
12月30日に肝臓の値が悪いことがわかってから、どんどん調子が悪くなり、わずか4日後の1月2日に死んでしまった。
思い返すと、最近、活動量が減ってきた気がした、とか、夏に肝臓の値が高く、落ち着いたところで再検査しましょうと言われていたのを忘れていた、とか、思い当たることはいくつかある。しかし少なくとも、12月26日に予防接種をするまではいつもどおりだった。調子が悪いなんて、全く気付かなかった。
【ハナの思い出】
僕は忘れっぽいから、今、思い出そうとしても、ハナとの思い出はあまり出てこない。
家に来てすぐは、まだ階段を登れず、階段の隙間から落ちたこととか、
小さい頃はリビングとダイニングの間を猫じゃらしを持って走り回ると後ろから追いかけてきたのに、最近は先回りして省エネしていることとか、
買ってきたときは好きじゃなかったハナちゃんベッドに結局は寝てることとか、
最初はベランダに出る猫用窓をうまくくぐれなかったけど、なんとかくぐれるようになり、だけどやっぱり、基本、開けてもらうのを待っていることとか、
帰ってくると玄関から出てきて、お出迎えをすることか、
ブックオフの紙袋が好きで、勢い良く飛び込むこととか、
1階と2階の間の階段に立ち、本棚の下の隙間から手を出すとじゃれてくることとか、
全然寝る気がないのに、無理やりお腹に入れると、脇をゴキュゴキュし始めることとか、
風呂を洗っていると入ってきて、高くなっているところでゴロゴロすることとか、
風呂から出ると、なでてもらうのを待っていることとか、
トンネルのおもちゃの隙間から手を出すと、ズサッと滑り込んでくることとか、
風呂の前の水は飲むけれど、ケージの中の水は飲まないこととか、
お気に入りの隠れる場所は玄関のタタキの下と僕のベッドの下とソファーの裏のダイソン掃除機の前とダイニングテーブルの下と妻の椅子の上のこととか・・・
忘れっぽい僕でも、このくらいすぐに思い出す。
そのくらいに、ハナは印象深い存在だ。
妻なら、
食洗機の蓋が開いていると間に挟まることとか、
朝、妻の部屋の窓から外を眺めることとか、
階段を降りるときはトコントコンと音がするけど、上がるときは音がしないこととか、
嫌なことがあったときは妻にニャアニャア文句を言うこととか、
そういうことを挙げるのかもしれない。
娘なら、
娘の部屋に入ると、娘のベッドの下に隠れることとか、
娘にはご飯の催促をしないこととか、
観葉植物や、ガラスのオルゴールを落とされたこととか、
他にも、僕が知らないことを、実は色々と知っているのかもしれない。
猫の手も借りたいと言うくらいで、ハナは何も役に立たない。
だけど、誰もいない家に帰ってくると、ハナは役に立っていたんだなあ、ということがよくわかる。
こういう、ハナの思い出というか、ハナの気配というか、ハナに対する僕達の関心というか、そういうものたちに、この家は埋め尽くされている。
ハナが、この家を充実したものにしてくれていたのだ。
【ハナの死を期待するということ】
僕は、そんなふうに、ハナが大好きだ。
だけど、一方で、ハナの調子が悪くなってからは、色々と大変だったなあ、という思いがまず先にある。
特に、ある種の閉塞感がきつかった。
具体的には、ハナが調子が悪くなってから、この状態はいつまで続くのだろうという考えが、頭から離れなかったのがきつかった。
正月休みが終わったら、仕事もあるし、このようにハナにベッタリと付いてあげることはできない。こんなふうに、夜もハナに付き添うなんて、いつまでもできるものではない。
そんな先の見えない、息詰まった感じが常にあった。
その感覚が生じる理由については、意識的に、ハナを心配しているからだと思うようにした。僕の事情による僕に対する心配ではなく、ハナの体調についての心配と置き換えようとしたのだ。
しかし、ハナの容体が悪くなり、また長期化するにつれ、いつ、ハナは死ぬのだろうか、という予測をしてしまうのを止めることができなくなってきた。
僕は、そんなことを考えてしまうのが嫌だった。これでは、ハナの死を期待しているかのようだ。
そうではなく、ハナが苦しんでいるから、その苦しみから解放してほしいと望んでいるのだと思おうとした。だけど、僕は、僕自身の事情で、ハナの死を期待しているということが、どこかでわかっていた。
そんなことを僕が考えているなんて思いもせず、ハナは頑張っている。とても申し訳なかった。
だから、ハナが僕の気持ちに気付かないよう、僕は、なるべく何も考えないようにした。ただ、ハナのことだけを見ていようとした。それが、とてもきつかった。
だから、ハナが死んだ時、泣いたのは、きつい閉塞した状況からの解放、という意味が多分にあったと思う。
もう、ハナがいつ死ぬかと考えなくてよい、僕はハナの死を期待しているのではないか、なんて思わなくていい、ハナの親として、ハナの幸せに責任を持ち、ハナの生を求めなくてよい、そう思った。一言で言えば、肩の荷が降りたのだ。
僕がこんなふうに泣いたのは初めてではない。
僕がまだ20代の頃、妻と付き合うと決め、それまで5年半付き合っていた彼女と別れたときの涙と同じ涙だ。
僕は、クリスマス・イブ、多摩川の河川敷で、彼女に別れを切り出した。僕が妻を選び、彼女との別れを望んだのに、涙が止まらなかった。
そのときは、なんでこんなに涙が出るのかわからなかった。ただ、そこにある種の解放感があることには気付いていた。
僕は、大学2年の春、彼女と付き合うとき、彼女を幸せにしようと心に決めた。だから、僕は、彼女を幸せにする責任があると思い続けていた。そう思い続けるべきだと思っていた。それが、徐々に重荷になり、彼女といることが楽しくなくなっていった。責任のために、自分を制限しているように感じてしまっていたのだ。
自分のために彼女を幸せにするのを諦めるなんて無責任すぎる。そもそも責任を果たさずに、幸せになることなんてできるのだろうか。だけど、今のままでは幸せになれない。そんなふうにグルグルと考え、行き詰まっていた。
しかし、妻と出会い、問題は、彼女と付き合い続けるか、別れるか、ではなく、妻と彼女のどちらを選ぶか、に変わった。短期的には二股もできるが、長期的にそんなことをするほど器用じゃない。それならば、どちらかしか選べない。
どちらにせよ、誰かを傷つけてしまう。どちらにせよ、完全に責任を果たし、いい人でいる訳にはいかない。そんな状況になって、はじめて彼女と別れることができた。
そんなふうにして、僕は肩の荷を降ろし、涙を流した。
このように考えると、ハナの死にせよ、彼女との別れにせよ、僕の涙には、ごまかしがある。自分のことをどこかで騙しつつ、それでも何とか荷を下ろすしかなかった。
彼女と別れたことで、僕は汚い大人になったのだと感じたことを思い出す。正確に言えば、ただ「汚い大人になった」のではなく、汚いけれど、それでもどこか凛と美しく、弱くて、強くて、無様だけど、どこかかっこいい大人になったと感じたのだけれど。
【ハナにかける言葉】
こんなふうに、今回のハナの死に際して、僕のハナに対する気持ちはかなり複雑なものだった。
それは、この数日で、ハナにかけた言葉にも現れていると思う。
ハナの死を覚悟してから、本当に、たくさんの声をかけた。
いつ死ぬかわからないから、とにかく何度も声をかけた。
そして、自分のことを考えず、ハナのことだけを考えるためにも、とにかく何度も声をかけた。
代表的なものを列記すると、
うちに来てくれてありがとう、大好きだよ、他のネコより美人で、かわいいね、宝物だよ、至らない親でごめんね、ずっと一緒にいたいよ、頑張ってすごいね、尊敬するよ、一緒に過ごせて幸せだったよ、いなくなったら寂しいよ、お疲れ様、僕達のことは気にしなくていいよ、もう無理しなくていいよ・・・
そんな言葉をかけた。
このように列記してみるとわかるが、深く考えずに、ただ、思い付く限りの言葉をかけていたから、矛盾がある。もっと生きてほしいのか、もういいのかわからないし、僕が幸せなのか、苦しいのかもわからない。
多分、どの言葉でも捉えられない気持ちを抱えていたのだろうと思う。
【別のネコを飼うということ】
死にゆくハナに対する感情は、主に2つの点で矛盾していたと思う。
第一に、もっと生きてほしいけれど、もういいという矛盾だ。
これは、先ほどの、ハナともっと一緒にいたいけど、死を望んでしまうという矛盾の話だ。
だけど、矛盾は、多分、それだけではなかったと思う。
確かに、責任を果たすという義務感と、その限界という矛盾する気持ちはあった。
しかし、それ以外にも色々な矛盾があった。例えば、ハナが苦しんでいるのを見ていられないけれど、そんなハナでも、一緒にいて、温もりを感じていたいという矛盾した考えもあった。ハナは、僕が矛盾した気持ちを抱え、苦しむことなんて、望んでいないと思いつつも、そんなふうにハナの気持ちを都合よく解釈してはいけない、という矛盾した考えもあった。また、ハナと遊んで楽しかったという思いが浮かぶと同時に、だけど、疲れて帰ってきたときに遊んであげるのは大変だったし、旅行に行くのに制約ができたりして、いないほうがいいなんて思ったこともあったなあ、なんていう矛盾した思いが生じることもあった。そんなふうに、様々なかたちで、矛盾がグルグルと頭のなかで渦巻いていた。
もう一つ、別の種類の矛盾として、僕はハナの親として頑張り、ハナを幸せにしたんだ、と思いつつも、親として、目が行き届かず、ハナのことを幸せにできなかったという矛盾した気持ちを抑えられなかった。
目が行き届かなかったというのは、具体的な後悔がいくつかあるからだ。
一番大きな後悔が、以前、病院に連れて行った際に、肝臓の数値が悪いので、落ち着いたら検査しておきましょうと言われたのに、病院に連れて行かなかったことだ。
確か、8月頃、原因不明でハナが吐いたので、病院に連れて行ったら、点滴を受け、回復したのだが、その際に血液検査をしたら、少し数値がおかしいと言われたのだ。
そのときは、何かエッセンシャルオイルとか、変なものを舐めて、一時的に調子が悪くなったのかな、というくらいに思っており、点滴を受けて、すぐに元気になっていたので、すっかり忘れていた。今回、先生とその話になったときも、再検査して問題がないという結果が出たんじゃなかったでしたっけ、と勘違いしていたくらいだ。
火葬した時、骨がすごく脆くなっていると言われたことを踏まえると、ハナの病気は長期的に悪くなった可能性が高い。それならば、このとき再検査しておけば、早期に発見でき、何か治療ができたのではないか、という後悔がある。
また、12月頃から活動量が落ちていたことを、見過ごしていたという後悔がある。今回のことがわかってから妻と確認したのだが、振り返ってみると、最近、ハナはあまり遊ばなくなり、寝ていることが多くなってきていたことに、ふたりとも薄々気付いていた。
遊ぶ時間が短くなったり、妻の椅子の上で寝ている時間が長くなったり、という変化に気付いていたのだ。しかし、ふたりとも、最近寒くなってきたからかな、大人になってきたのかな、というくらいしか思わず、それ以上は考えなかった。
そして、以前の検査で肝臓の数値が悪く、また、最近活動量が落ちていたのに、予防接種を受けさせてしまったという後悔がある。もし、事前に血液検査をしていれば、予防接種を受ける前に肝臓の病気がわかり、ここまで悪化しなかったかもしれないという後悔がある。配慮が足りなかった。
そんな後悔があるから、病気がわかってからは、後悔したくないと思った。だから、より責任を感じ、がんばってしまったのかもしれない。
そして、今も、別のネコを飼いたくないという気持ちになる一番大きな理由はここにあるような気がする。
確かに、別のネコを飼っても、それはハナじゃないとか、世話が大変だとか、旅行が制限されるとか、死を看取るのが辛いとか、色々な理由はある。しかし、一番大きな理由は、親として行き届かないことへの恐れだ。
確かに、ハナは捨て猫のままだったら、そのまま死んでいただろうし、実際、かなり、色々と気をつけてあげたとも思う。しかし、それはわかっていても、後悔の気持ちを抑えることはできない。理屈ではなく、僕は、僕を責めてしまう。
もし、次にネコを飼うことがあるなら、そのときには、もっと気をつけてあげたい。それができるようになったときに飼いたい。
【僕達の死後観】
僕は、死にゆくハナに様々な矛盾した言葉をかけた。
それは、どの言葉でも捉えられない気持ちを持っていたということだ。だが、もう少し正確に言うなら、どの言葉でも、僕の気持ちの一部を捉えられたが、一部を取り逃がしていた、と言ったほうがいいかもしれない。
例えば、僕がハナに対して強く思っていた気持ちとしては、ありがとう、という感謝の気持ちと、ごめんね、という後悔の気持ちがある。
うまくつなげれば、この二つの気持ちは矛盾してはいない、とも言える。僕は親として至らなくて後悔しているけれど、そんな至らない我が家を選び、ハナが来てくれたことには感謝している。というのは、不自然ではない。だけど、僕の気持ちは、そんなふうにまとめられるものではない。僕は、そんなふうに、感謝と後悔をつなげては感じていない。ただ、感謝と後悔の気持ちがグルグルと渦巻いているだけだ。
感謝だけでも、後悔だけでも、感謝と後悔をつなげても、どんな言葉でも、この気持ちを掬い取ることはできない。
それならば、ありがとうという感謝の言葉や、ごめんねという後悔の言葉は、僕の気持ちを全く表していないのかというと、そうではない。
僕の中に渦巻く気持ちのなかに、感謝の気持ちがあるのは確かだ。後悔の気持ちがあるのも確かだ。感謝していない、ということはない。後悔していない、ということはない。
これは、ハナの死を看取るという特殊な状況だから生じているものではなく、言葉というものにつきまとう限界なのではないかと思う。言葉は、感情をうまく表し切ることができない。(これは僕の哲学の話なので、ここまで)
また、ハナに対してかけた言葉のなかで、もうひとつ、興味深い矛盾が生じていた。
ハナが死んでから僕は、元気でね、天国でお母さんと楽しく過ごしてね、僕達を見守ってね、どこかで、また会おうね、そんな言葉をかけた。
そして、ハナが死んでから、妻と、ハナの死後について、色々と描写した。
お母さんネコに連れていかれて、天国に行った。僕達のことなんて気遣わず、そこらで楽しく遊んでいる。別のネコに生まれ変わる。もしかしたら、人間に生まれ変わるかも。僕達が死んだら、また、どこかで出会える。そんなことを言い合った。
これらの話をまとめると、ハナは、今、幽霊になってそこらへんにいたり、天国にいたり、遠くで生まれ変わったり、僕達の身近なところで生まれ変わったりするのを待っていたりする。これは、矛盾がある。
まあ、僕達の希望を述べているだけだと思えば、矛盾があってもいいのだが、そうとも思いたくない。
まず、思い付く簡単な解決策は、そこに時間経過があるというものだ。まず、幽霊として気が済むまで遊んだ後、天国に行く。そして、楽しく天国で過ごしているある日、神様に呼ばれ、生まれ変わることになる。僕達が死ぬまでは、他の人の家に生まれ変わったりもするが、僕達と転生のタイミングが合えば、また、近い存在としてお互いに生まれ変わる。そんな流れがありうる。
また、そのなかに、瞬間移動的なものを組み込むこともできる。普段は天国で過ごしていて、気が向いたら、外界に少し遊びに来るとか、転生しても、夜寝ているときは天国に戻っているとか、そんなかたちで。
だけど、僕は、そのようなかたちで、矛盾をきれいに解決したくはない。僕がハナに対して、天国や、転生や、お母さんネコのお迎えや、時々のうちへの訪問や、そういったものを、ハナが望むなら、すべてあげたい。僕が、そう信じることで、ハナの望みを叶えることにつながるなら、それでいいと思う。
【人とネコの距離】
と、このように色々と考えてきて、ふと思う。
ハナは、そんなことを考え、望んでいる訳がないと。
僕が抱える思い出や、僕が感じた閉塞感や、僕の後悔や、僕が願うハナの死後や、僕がハナと過ごして感じた喜びなんて、ハナにとってはどうでもいい。
なぜなら、それがネコなのだから。
僕のそんな思いなんて関係なく甘えてきて、遊び、寝るのがネコの良さなのだ。
それでも、僕は、思い出や後悔や死後の願いを抱えて生きていく。そして、また、どこかで閉塞感や喜びを感じることになるのだろう。なぜなら、それが人なのだから。
人とネコは、そのようにして、絶対に交わらないけれど、一緒に寄り添うようにして生きていく。それが、人とネコの距離だ。
おわり。
【参考 ハナが死ぬまでの経緯】
ハナは生後1月経たないうちに、公園でひどい状況で一匹でいたところを、妻の知人に保護され、推定生後1月でうちに来た。
母猫と幼いときに別れたからか、とても甘えん坊で、人の近くが好きで、いつも、僕達の近くにそっと座っているようなネコだった。
また、困ったことに、洋服をチュパチュパと吸って、そのまま食べてしまうという癖があった。ウールサッキングと言い、シャム系のネコに多く、親離れが早過ぎることとも関係があるそうだ。目が青く、アメショーとシャムの中間のようなうちのハナはまさしくそうだった。
あと、多分、これが親と別れた理由なのだと思うが、ハナは猫白血病という致死性が高い病気のキャリアだった。娘を産んだ母猫も猫白血病で、娘の世話ができなかったのだろう。
だから、僕は、ハナは異物を食べるか、猫白血病を発症するかして、早死してしまうことは覚悟していた。まあ、それも運命だし、仕方ないと思っていた。
実際、簡単には自力で吐き出せないような大きな結び目がある紐を食べてしまったので、6万円かけ、遠くの病院で内視鏡で取ってもらったことがあった。
また、吐いたので、病院に連れて行ったことも、最近では6月と8月末の2回あった。原因不明で調子が悪くなり、点滴すると元気になるということが何回かあった。
だけど、ハナは、12月26日、予防接種を受けるまでは、思い返すと、最近少しおとなしくなったな、大人になったのかな、と思った瞬間もあったが、基本的にとても普通だった。
本当は、9月頃に年1回の予防接種を受けさせる予定だったのだけど、娘の病気やら、妻の仕事やらがあり、すっかり先延ばしになっていたのを思い出し、受けさせたのだ。
12月26日朝、予防接種を受けた。2、3日は安静にしてくださいと言われたので、どうやってネコを安静にするんですか、と聞いたところ、追っかけたりといった興奮するような遊びをしないように、ということです、と説明され、そういうことですか、と合点がいった。休みでせっかく家にいるのに、もったいないなあ、なんて思いつつ。
この日は、確か、午前中はホームページの更新作業などをして、午後は部屋の片付けをしていたと思う。
うちでは、餌は、朝、起きた時6時頃と、夕方仕事から帰ってきたとき、6時頃と、夜寝る前、11時頃の3回餌をあげている。
朝は妻があげ、夕方は家に早く帰ってきたほうがあげ、夜は僕があげるというのがパターンだった。当然、休日で家にいると、夕ごはんは6時まで待ってくれないのだけど。
ハナの夕食は、あまり覚えていないが、多分、普通に食べていたと思う。
夜食は、たまたま、思いつきでウェットの缶詰を買ったので、特別にあげてみたら、嬉しそうに食べたものの、全部吐いてしまった。
吐いたものを見てみると、五本指ソックスの指一本分が出てきた。そういえば、少し前になくなってるなあ、と気づいたが、いつものことなので、あまり気にしていなかったのを思い出した。
夜、ハナは妻と一緒に寝た。起こされないよう、また、寝ているうちに変なものを食べないよう、夜はいつもケージに入れて寝ていたが、連休なので、一緒に寝ることにしたのだ。妻によれば、思い返すと、とても良い時間を過ごせたそうだ。
12月27日朝は、残りのウェットをあげたら、美味しそうに全部食べていた。
夕食と、夜食は、カリカリをあげたが、数粒残していた。妻と、時々あるんだよね、という話をした。
僕は、午前中は携帯の乗り換えと抱き合わせで加入した光回線の接続作業などをした。昼からヨガ帰りの妻に合流し、ご飯を食べ、買い物をして帰り、その後、窓を曇りガラスにするシートを貼る作業をした。かなり大変な作業で、昔、古い社宅に入る際に、妻と一緒にペンキを壁に塗ったのを思い出した。
この日もハナは普通に過ごしていた。安静に、ということなので、激しくは遊ばなかったが、シートを貼る作業を邪魔したり、普通にじゃれたりしていた。
だけど、夜は、妻の部屋には行かず、一人、ダイニングの妻の椅子の上に寝ていたそうだ。思い返すと、この頃には、多分調子が悪くなっていたのだろう。
12月28日は、朝、夕、晩と、カリカリをあげたが、少しずつ残す量が増えてきていた。
晩は、カリカリをあげても、砂をかける真似をするので、手にとってあげたら、手からは少し食べていた。僕は、食べなければ、ウェットが出てくると思っているのかな、気まぐれにウェットなんてあげなければよかった、なんて後悔していた。
ハナは、少しおとなしい気はしたが、食事以外は普通に過ごしていたし、それほど心配はしていなかった。
僕は年賀状を作り、妻は仕事をしていてつまらなかったので、夕方、靴を買いに行った。結局、良い靴がないので帰ってきて、ネットで4足も靴を買ってしまった。
ハナは、この日も、夜はダイニングで一人で寝ていたそうだ。
12月29日朝は、カリカリが皿に残っており、食べようとしないので、シーバをあげたら、喜んで食べた。
これから正月で病院も休みになるので、念のため早めに病院に連れて行ったところ、先生からは、胃に何か残っているのかもしれないし、薬の副作用かもしれないと言われ、抗生物質の注射を打ち、背中に点滴をしてもらった。
先生には、うちの子は病院に連れて行き過ぎですかね、なんて聞いたら、先生は、この子は何でも食べちゃう癖がありますから、仕方ないですよ、くしゃみしただけで病院に連れてくる人もいるけど、そういうのじゃないですから、なんて言っていた。ちょっと心配症なのかもしれないと思った。
先生からは、少しの間食事を控え、午後4時に少しだけご飯をあげて様子を見てくださいとの指示があった。
この日から、妻と娘は妻の実家に行き、僕は一人でハナの世話をし、31日から合流することになっていた。
昼は一人で何を食べようと思い、引っ越す前の家の近くにあるらしい古民家カフェに行ったが、休みだったので、以前、時々行っていた店でブリ照りを食べた。その後、家の近所にいい感じのカフェがないか捜索したが、見つからなかったので、家で本を読み、午後4時を待ち、ご飯をあげた。しかし、砂をかける真似をして食べないので、病院に電話したところ、今晩様子を見て、また、明日、病院に連れて来てくださいのとのことだった。
一人だったからか、僕は急に不安になってしまい、少しあわてて、近くのペットショップでウェットフードを買い、カリカリと混ぜて手から食べさせたところ、なんとか、少しだけ食べた。
12月30日朝は、もしかしたら、ウェットフードの種類が違うのが原因かもしれないと思い、近くのドラッグストアが開くのを待って、先日食べたのと同じ種類の缶詰を買い、ハナにあげてみた。しかし、ハナは砂をかける真似をして食べないので、あわてて病院に連れて行った。
このときは、もしかしたら猫白血病が発症してしまったのだろうかと不安になっていた。
しかし、望みを託し、何か変なものが胃に残っているかもしれないので、吐かせてみてくれませんか、と言ったところ、先生も、それを疑っていたらしく、吐く薬を注射してみることになった。
待合室で待っていると、ハナは吐きはじめ、何かが色々と出てきているようだった。
僕は、ほっとした。薬を入れても吐かない場合もあるし、吐いても何も出てこなかったら、原因が不明ということになる。しかし吐いてくれた。これで安心だと思った。
だから、先生から、タオル、ジーンズ生地、輪ゴム、糸くずと並べて見せられても、色々食べちゃってますねえ、なんて脳天気に話していた。
先生からは、たくさん吐いたので、点滴をしておきます、また、血清の色がおかしいので、念のため肝臓の値を検査しておきましょうと言われた。
僕は、夏にハナが吐いたので病院に連れて行ったとき、肝臓の値が少し悪いので、念のため少し経ったら病院に連れて来てくださいと言われたのを思い出した。その後、再検査して問題ないと言われたんじゃなかったでしたっけ、と言ったところ、先生からは、来てないですよ、と言われた。そのくらい忘れていた。その頃から肝臓が少し悪かったんですかね、連れて行くのを忘れていてすみません、とは言ったが、それが、そんなに大事なこととは思っていなかった。
そしてヨガに行き、喫茶店で時間をつぶし、夕方、ハナを迎えに行った。
すると、先生から肝臓の値が計測不可能なほど悪いと知らされた。腫瘍とかでないと出ない数値で、いつ死んでもおかしくない数値とのことだった。
また、だんだんよだれを出すようになってきたとのことで、奥から連れてこられたハナを見ると、口の周りがガビガビになり、元気がない姿になっていた。
猫白血病ではないのかと聞いたところ、値の出方として違うので、原因は不明とのことだった。
今後の治療について聞いたところ、強肝剤を注射し、栄養剤を点滴し、肝臓の再生により、少しずつ値が下がるのを待つとのことだった。数日で大幅に改善することは難しく、長期戦になるだろうとのことだった。
妻が帰ってくる2日までに死んでしまうことはないのかと聞いたところ、治療をしているので、それはないだろうとのことだった。
僕は、ショックを受け、家に連れて帰ると、ハナは、ダイニングの床暖の上で、ほとんど動かず、体を横たえていた。
体を丸めて寝ることもできないようで、体を伸ばして床にうつ伏せになり、じっと耐えているようだった。
普通は、椅子の上に乗って寝るのだが、上がることもできない。
手に付けた点滴の器具をかじらないよう、エリカラをつけていたのだが、とてもそんな元気はないようなので、すぐに外してしまった。
これは一人にはできないと思い、ダイニングに布団を敷き、一緒に寝ることにした。
ハナは時々、ダイニングテーブルの下から、トイレの前、キッチンの前と少しずつ、よろよろと場所を変え、また体を横たえていた。つらく、寝ることはできないようだった。
午前3時と、午前7時頃の2回、吐いた。
肝臓の値がこれだけ悪いと、気持ち悪く、ご飯は食べられず、よだれが出て、吐いてしまうのも仕方ないという先生の話を思い出した。
しかし、吐いても脱水にならないよう、しっかり点滴はしてあるとのことだったので、そのことはあまり心配しなかったが、ネットで検索するにつれ、死につながる状況ということがわかってきた。ただ、ハナはまだ若く、体力があり、高齢で肝炎になったネコとは違う、とも信じていた。呼吸も、1分に20~30回で、通常の範囲のようだった。
僕は、床暖を付けて寝たので、布団に変な熱がこもり、寝にくかった。ハナほどではなかったが、寝れなかった。うつらうつら、ぐったりしたハナを見ていた。
12月31日朝は、あまり抵抗できなくなったハナを洗濯ネットに入れ、キャリーに入れて病院に連れて行った。待合室は混んでおり、何匹もネコやイヌがいて、飼い主が楽しそうに話していたが、僕は輪には入れなかった。うらやましかった。
ハナを預け、家で本を読んだりして過ごした。
気分転換にドトールでコーヒーを飲み、近くの身代わり地蔵と神社でお参りをした。
僕のポリシーとして、ハナが元気になりますように、とは祈らなかったが、今年、ハナと過ごせたことのお礼をして、できれば来年もハナと一緒に過ごせますように、と祈った。
夕方、ハナを引き取りに行き、先生にハナの様子を聞いたところ、変化はないとのことだった。変化がないことはいいことなのか聞いたところ、黄疸も出ていないということなので、悪くはないということだった。
ネットに入れようとすると、ネットに入れる必要はないと言われた。できていたことが、だんだんできなくなっていくのが悲しかった。
家に連れて帰ると、明らかに、昨日よりも調子が悪そうだった。呼吸が早くなっており、1分間に50回近くと倍増していた。また、一箇所に止まって休むこともできないようで、少し休んでは動き、を繰り返していた。表情も、苦しみに耐えているような表情になっていた。
思い返すと、この日が一番つらかったのではないかと思う。
病院に連れて行くたび、ストレスによるのか、悪化しているようだった。しかし、治療をしなければ良くならないし、点滴で栄養を取らないとどうしようもないということもわかっていた。
僕は、昨日の反省を活かし、布団をリビングに敷き、そちらは床暖をつけなかった。
年越しまで、スパークリングワインを飲みながら起きていて、除夜の鐘を確認してから、ハナにあけましておめでとうを言い、寝た。
夜中に、ハナに覗きこまれている気がしたのを思い出す。そして、朝方、ハナが足元にいるのに気づき、目が覚めた。こういう状況でも、人懐っこくてかわいい。
まだ明るくならない部屋の中、そっとハナを撫でると、かすかに音を立てた。聞いたことがない音だったが、多分、とても弱くゴロゴロと喉を鳴らしていたのだろう。
あまり触ると体力が落ちると思い、我慢していたが、我慢しきれず、思わずなでてしまった。このときが、最後のゴロゴロだったので、撫でておいてよかった。
1月1日朝、病院に連れていく前に、ハナを抱き、家中をパトロールをした。いつも窓から外を見ていた妻の部屋も見せた。しっぽを振り、嬉しそうに顔を動かしていた。あたりを見回していたのだろう。ずっと、こんなハナが見たいと思った。
明日もパトロールしようね、と言い、キャリーに入れ、病院に連れて行った。
新年の挨拶をして先生にハナを見せたところ、ハナの顔を見るなり、先生は、黄疸が出てきていると言った。ショックだった。
呼吸が早いと言ったら、レントゲンを撮ってくれたが、腹水は溜まっていないとのことだった。レントゲン代はいいとのことで、正月も休みなのに見てくれるし、本当に良心的な病院だ。
僕は何をする気もせず、家でぼうっとしていた。ただ、ハナのために何かできないかと思い、ひたすらネットで検索をしていた。すると、同じような状況から生き残ったネコの共通点は、食べられたかどうかにあることがわかってきた。強制給餌をして、もし食べてくれたら生きる可能性が少し出てくるのではないかと思った。休みにも関わらず、何度も先生に連絡したところ、きちんと対応してくれたが、先生としては吐くと体力がなくなるのでおすすめできないとのことだった。
僕は昨日行ったのと同じ神社で初詣をして、買ったこともない破魔矢まで買った。おみくじも引いた。大吉で、病気は長引くが問題ないとのことだった。僕も娘も妻も昨年は色々と病気があったが、ハナも含め、みんな、このおみくじが当てはまるといいな、と思った。
参拝を待っていると、娘の学童時代の友人家族に会ったが、あまり話すことはできなかった。向こうもあまり話しかけてこなかったので、どこか意気消沈しているように見えたのかもしれない。
夕方、ハナを迎えに行くと、ハナはウォー、ウォーと変な声で啼くようになっていた。目が少しおかしく、表情が変わっていた。黄疸もひどくなってきていて、綺麗な青だった目が緑色になっていた。
ハナは病院に居る間に、大きく状況が変わる。覚悟していた以上に変わる。よほどストレスなのだろう。
僕は、先生に、どうしても強制給餌をしてみたいと言い、先生からは、飼い主のお気持ちなら、と言われた。
家に帰る間も、ハナは、キャリーの中でウォーウォーと啼き続けていた。ハナ、と言っても、もうわからないようだ。とても悲しかった。
家に着き、ハナをキャリーから出すと、ハナはウォーと啼き、僕から離れ、壁伝いにぐるぐると家を回り始めた。体の片方を壁に当て、機械的に歩き続ける。足元にコードがからまっても、気付かず歩く。そして時々、力尽きると壁に頭を付けて止まる。そして、また歩き出す。更に疲れて倒れると、少し休み、また気付いたように起き上がり、歩き出す。倒れて休んでいる間は、少し正気に戻っているように見えるが、また、戻ってしまう。
呼吸も、昨日の更に倍の1分あたり、100回以上になっていた。
ここからの数時間はとても長かった。
もともとは、妻と娘は、1月2日の昼に帰ってくる予定だったが、昼の時点で、それではハナと会えないかもしれないと思い、今日の夜中に帰ってくることにしてもらったのだ。妻とハナを会わせたいということもあったが、僕が一人で抱えるのは限界だった。
夜11時半までの6時間が長かった。
しかし、良いこともあった。ハナが落ちないよう、二階から降りる階段を空気清浄機で封鎖しておいたのだが、僕が、用があって一階に降りたところ、ハナが乗り越えて、転がり落ちるように降りてきた。
こんな状況でも僕を追いかけてきたのかと思うと、とても愛おしかった。
また、強制給餌も少し成功した。トレーニング用に家にあったBCAA入りの水を、スポイトで飲ませたら、舌をペロペロと出し、飲み込んだのだ。BCAAは、人間の肝炎に良いようで、多分、ハナの症状と思われる、肝性脳炎にも良いという情報もあった。調子に乗って、ウェットフードを丸めて口に押し込めても、吐き出さなかった。もし、明日から、強制給餌を続けられれば、良くなるかもしれないと少し期待した。
と、少し気分が明るくなったところで、妻と娘が帰ってきた。
ハナはウォーウォーと大きく啼いた。妻と娘は変わり果てたハナを見てショックを受け、泣いていた。
しかし、こんなに大きく啼いたのは、このときだけだったので、ハナは何かわかっていたのだと思う。ハナは、脳がダメージを受けてしまう前に、とても大切にしていたもののことを、思い出して声が出たのではないかと思う。
僕は、少し力が抜け、1時頃には寝てしまった。妻は、ぐるぐると歩き、だんだん、歩き疲れ、休む時間が多くなっていくハナをずっと見ていて、そのうち、二時半頃には寝てしまったとのことだ。
そして、二人が寝てしまった後、午前4時半頃、ハナがドタっと倒れ、大きく啼く声で目が覚めた。
もう力が尽き、歩けなくなってしまったようだ。それはそうだ。こんなに歩いたのだから。起きて見守っていると、ハナはそれでも起きて、なんとか歩こうとするが、もうちゃんと立つこともできなく、脚を踏ん張っても滑って倒れてしまう。
6時頃には、もう横たわったままになってしまった。
もう目はほとんど見えていないようだった。撫でたり、ハナと呼んだりすると、しっぽを動かしていた。
そして、1時間に1、2度、立って歩こうとする。あまり動くと体力を使うので、抱っこしてあげると、立てたと思うのか、しっぽを振り、歩くように脚を動かす。抱っこをして部屋を歩いてあげると、その刺激がよいのか、落ち着き、嬉しそうにする。
何度か、家の中の全ての部屋を一緒にパトロールしてあげた。だけど、もうハナはわかっていないようだった。昨日、明日もパトロールしようね、と言ったけど、それは半分しか叶わなかった。妻にも、昨日のパトロールを見せてあげたいと思った。
病院に電話し、相談したが、もう連れて来るのはやめてもいいのでは、という話になった。
治療しなければ、生きることはできないが、治療をしたとしても、同じ治療しかできず、それで回復するかはわからないということだった。
僕は、何かができるのに、それをしなくてよいのか、とも考え、悩んでしまったが、もし、病院に連れて行けば、ある程度の可能性で、病院で、誰にも看取られず死んでしまうかもしれないという状況は受け入れられなかった。
よい天気で、旅立ち日和なのが救いだった。
午前中には息絶えてしまうのではないか、とも思ったが、午後になっても、ハナはがんばっていた。
徐々に時々歩こうとする動作も弱くなり、目や耳が動くこともなくなり、呼吸も少しずつ弱くなっていったが生きていた。
思えば、朝から晩まで、こんなにハナのことを、ずっと見ていることなんてなかった。
体の模様がこんななんだ、なんて気づかなかったこともあった。
いつ死んでしまうかわからないので、ずっとハナを見ていると時間の感覚がよくわからなくなってきた。
このままハナが永遠に行きていればいいと思うけど、このままずっと、こうしていることはできない。精神的にもきつい。だけど、もし、目を離すと、そのときにハナが死んでしまうような気がして、目が離せなかった。
そして夜になり、思いつきで、3人と1匹で新年会をすることにした。
それまでは、ずっとリビングに横たわるハナを見ていて、コンビニで買ってきたサンドイッチやおにぎりを合間にかじるだけだったが、ちゃんとご飯を食べよう、ということになった。
食欲なんてなくて、サラダに冷奴、納豆くらいだったが、久しぶりの夕ごはんだった。
ビールも出し、乾杯をした。
ハナもいつもの場所に置き、参加させた。
そして、久しぶりにテレビも付け、娘の友人の話など、ハナと関係ない話もした。
食べ終え、夜、どのようにハナの面倒を見るか、なんて話をしていたら、ハナの呼吸が急に落ち着き、2回、大きく伸びをした。
死が近いと気づき、妻にハナを抱かせ、僕と娘でハナを撫でた。
ハナは、3回、口から食べ残りなどを出し、息絶えた。
涙があふれるように出た。だけど、その涙は、どこか安堵の涙だったように思う。
ハナが寂しくないように、最後まで付き合い、ちゃんと勤めを果たすことができた。ハナが苦しまないように、というのが最後の願いだったが、それは果たすことができた。
もう、この役目から解放された。そんな涙だったように思う。
最後の数時間のハナは、苦しさや狂気から解き放たれ、とても穏やかな顔をしていた。そして、そのまま息を引き取った。それがとても嬉しかった。
それに、新年会を待ち、更に食べ終わるのも待ち、夜の世話の話をし始めた時に旅立つなんて、できすぎている。ここしかないタイミングだと言ってもよいだろう。
そして、手際よく、ハナを、バスタオルに載せ、フライパンが入っていたダンボールに入れ、ケージの前に置いた。
僕は、火葬場を探して予約し、娘は部屋から折り紙で折った花を持ってきてくれた。
みんな覚悟ができていて、どこかで脳内シミュレーションをしていたから、とてもスムーズだったのだろう。皆が口には出さなかったが、この状況を想定していたのだ。
火葬場が、明日2日の12時で予約できたので、今夜が通夜だ。
妻と、ハナの前でワインを飲んだ。さっきは乾杯だったのに、その1時間後には別れの酒だ。ハナはだんだん冷たく、固くなっていった。
そして、リビングに布団を敷き、僕が一緒に寝ることにした。
目を閉じるとすぐに寝てしまった。
1月3日、朝起きて、火葬場に行くための車を借り、妻は飾るための花を買いに行った。正月なので近所の花屋は開いておらず、遠くまで行った。
おもちゃ、ご飯など、一緒に焼いてもらうものを準備した。
そして時間になったので、最後に、ダンボールに入ったハナを連れ、最後に全ての部屋をパトロールし、家を出た。
火葬場は娘が少しの間行っていた塾の近くにあった。こんなところにこんな施設があるとは知らなかった。
手続きをして、お別れの場所に行き、ハナを台に置く。ハナはとても固くなっていた。そして、花を飾り、餌とおもちゃを置く。ハナは上の階にある火葬場にエレベーターで連れて行かれた。
火葬には1時間半ほどかかるとのことだった。そんなにかかるとは思っていなかったので、手持ち無沙汰で待合室で待つことになった。
壁には色んなイヌ・ネコの写真が貼られていた。イヌは10歳以上、ネコは下手をすると20歳以上なんてのが多く、ハナのような若いネコはいなかった。
これだけ長く一緒にいたペットと離れる寂しさは想像できないが、逆に大往生なので、僕達が抱えているような無念さ、足りなさは少ないかもしれないと思った。どちらがいいのかはわからないけれど。
娘がお腹がすいたと言うので、近くの牛丼屋に行き、戻ってきて少し待つと、準備ができたとの声がかかった。
一度、待合室を離れ、気分転換できたからかもしれないが、骨になったハナと、少し、清々しい気持ちで対面することができた。妻も、少し気分の整理ができたと言っていた。
あまり深刻にならず、ハナを車に乗せ、家を離れる際にも、学校の話なんてしていた娘に少し助けられた気がする。
ハナの骨はとても脆く、あまり形が残らなかったとのことだった。高齢で寝たきりになったネコのような骨で、この骨で普通に生活していたとしたら、かなり無理をしていたのではないか、限界だったのではないか、という話だった。子供の頃、栄養状態が悪かったのが原因では、ということだった。
この話のとおりなら、生まれてすぐ、僕達に会うまでの時間が一番の原因で僕達のせいではないということになる。
僕は、肝臓の数値が悪かったのに検査をしっかりしなかった、ハナの変化に気付いてあげられなった、と、自分を責めていたので、少し救われた気がした。
ハナは骨壷にきれいに収まり、とてもコンパクトになり、帰宅した。
そして、ハナをテーブルに置くとすぐに、妻と娘をセール会場まで車で送った。
僕は、すぐに家に帰り、この文章を打っていたが、じきに妻が帰ってきて、そして、服をたくさん買って嬉しそうな娘が帰ってきた。
妻が、ハナのものがあると思いだしてしまう、というので、僕と妻は、夕方までに、ほぼすべてを片付けた。
おもちゃなどはネコを飼っている妻の友人にあげ、エサは僕の母が飼っているネコ、ミミにあげることにした。
ケージやトイレは、妻が、もし、次のネコを飼った時に使いたいというので、実家に置いてもらうことにした。
そして、僕たちは、時々、ハナの不在を感じながら、少しずつ、日常に戻ってきている。
僕は別のネコを飼いたいとはとても思えないが、妻が飼いたくなるのは時間の問題だろう。
これが、ハナが死ぬまでの経緯だ。