※2000字ちょっとで、ややライトめな文章です。痛くなった当初は文章を書く精神的余裕もありませんでしたが、だんだん良くなってきたので文章を書きました。

頭と体の連動の解除

最近、股関節を痛めてしまい、リハビリのために(軽い)ストレッチと筋トレをしている。その中で、久しぶりに体を動かして気付いたことがある。

ストレッチをうまくやるには、頭で考え、ポーズの完成形を高い解像度でイメージし、それを目指す必要がある。しかし一方で、気負わず落ち着き、変に力を入れないことも重要だ。

例えば前屈をする場合、膝を伸ばしたまま体が足のほうへ倒れていく様子をイメージし続ける。体を倒していくにつれて、太ももに突っ張りを感じ、呼吸も荒くなりがちだけど、その違和感がある部位には、あえて力を入れず、できるだけ呼吸を整えるようにする。すると、ほんの少しだけ、より前に体を倒すことができる。

これは、「頭と体の連動を解除する」ということではないかと気付いた。頭と体のすべてを前屈に集中させるのではなく、頭と体の間に隙間をつくり、余裕を持たせることで、よりうまく前屈ができるということではないか。

頭・心・体の三者関係

更に、これは心と体の二者関係ではなく、頭と心と体の三者関係なのではないか、とも気付いた。

ストレッチをしているとき、最も集中すべきは頭だ。集中して、ポーズの完成形を高い解像度でイメージする事が重要である。

一方で、筋肉は伸ばされ、痛みが走るから当然、心は焦ろうとする。それでも、あえて心は弛緩すべきである。なぜなら、そうすることで、頭の緊張と心の弛緩の間に隙間としての領域が生まれるからである。

その隙間に物体としての体を配置する。頭ができる限り集中し、心ができる限り弛緩することで、この隙間としての領域は広がり、その広がりに応じて、体をより柔軟に動かす余地が生じることになるのである。

体はあくまで物体だから、集中にせよ、弛緩にせよ、それ自体を直接操作をすることはできない。だから、頭と心が、集中と弛緩という逆方向の意識の向きで引っ張り合うようにして、その間にある体をストレッチさせることができるのではないか。

このようにして、ストレッチにおいては、「頭=集中、心=弛緩、体=中間」という三者関係が成り立つのである。

(僕は、ストレッチでしか実感できていないけれど、筋トレなどの他の身体動作でも同じだと思う。)

僕は、気功に興味があるから、この頭・心・体とは、上丹田・中丹田・下丹田という三つの丹田という考え方に結びつけられそうだと(根拠ない連想として)思っている。更に、ヨガならば、チャクラは7つあるとされているとおり、この頭・心・体という三分法は粗すぎて、より繊細な区分の仕方があるのかもしれない。

とは言え、ストレッチをうまくやるためには、ストレッチという身体動作を繊細に捉えることが役立つのは間違いない。

そんなことを考えているうちに、この年になって、ようやく自分の体の使い方が少しずつわかってきたような気がする。ストレッチをうまくやるためには、ストレッチにできるかぎり集中しつつ、できるかぎり弛緩する。そうすることで、集中と弛緩の間の中間領域をできるかぎり確保しておくのである。

さらに大切なのは、この集中と弛緩と中間の分離を漠然と行うのではなく、頭や心や体と対応させることで、分離の解像度を上げることである。そこに丹田やチャクラといった怪しげな概念を無理に混入させなくてもいいけれど、とにかく使えるものは使うという姿勢は悪いものではない。

こんなことを考えていると、リハビリのキツさも少しは和らぐ。

僕の身体の現在

そして、頭・心・体という区分を意識してみて気付いたのは、僕の体に対する解像度の低さである。

例えば、「左太ももの付け根の内側」をストレッチするとする。そのためには、頭で「左太ももの付け根の内側」をどのような状態にすべきか考え、「左太ももの付け根の内側」がどうなっているか心の内側から感じ取り、「左太もも外側の付け根」という身体的部位を現にうまく動かさなければいけない。

そのためには、「左太ももの付け根の内側」という特定の部位だけを明確に捉える必要があるけれど、なかなかそれができない。

これができるようになるためには、先ほど述べたとおり、僕という個体に頭・心・体があるように、「左太ももの付け根の内側」にも頭・心・体があることを繊細に捉える必要があるだろう。だけど、それはかなり難しいことだ。

この難しさを明確にするために、時間という視点を導入したい。僕は時間論が好きなので何でも時間に結びつけてしまうのだが、「頭・心・体」という区分は、「未来・現在・過去」という時制区分と対応しているのではないか。

ストレッチでどのようなポーズを将来的に目指すかを頭でイメージするから、頭と未来が対応している。ストレッチで体が現在どのような状況になっているかを心の内側から感じるから、心と現在が対応している。ストレッチで体を実際にどの程度動かせるかは、筋肉や関節の使い方のこれまでの蓄積によるから、体と過去が対応している。そんなふうに考えると、「頭=未来、心=現在、体=過去」という対応関係が浮かび上がってくる。

もし、このように対応しているとすると、僕が最も苦手なのは、「この現在において、心の内側から身体の特定の部位を捉えること」なのではないか。僕は頭で未来を考えることに囚われ、心を現在に向けることができていないから、僕の身体の現在の声を聞き取れなくなっているのかもしれない。

このような課題認識は、リハビリに限らないようにも思う。思考に、そして未来に偏りすぎること、これが僕の人生の課題そのものなのである。