先日書いた文章で、思わず、神の愛というキーワードが出てきたので、少し考えたことの備忘録。
神の愛ということで、僕は、神「から」の愛というものをイメージしていた。だけど、もうひとつ、神「へ」の愛というものがある。これは祈りだ。
神→僕の愛と、僕→神の愛=祈り。
神からの愛という言葉で僕が考えていたのは、神が僕のことを幸せにしてくれるとか、ましてや何か願いを叶えてくれるとか、そういうことではない。これから何かしてくれることではなく、既にしてくれていることだ。
と言っても、幸せな家庭に生んでくれたとか、才能を与えてくれたとか、そういうことではない。神からの愛とは、仮にそうでなかったら神は愛してくれなかったのだ、ということになってしまうような不確かなものではない。
もっと必然なこと。僕の考えでは、それは、僕を存在させてくれた、ということだ。僕は神からの愛により存在している。瞬間ごとに僕を存在させてくれているなんて、神の奇跡だ。
一方で、神への愛というものがある。祈り。
この祈りとは、やはり、幸せになれるよう祈るとか、何か願いを叶えてくれるよう祈る、ということではない。ここまでの神からの愛の話の対比として考える必要がある。
神への愛とは、僕のことを存在させてくれるものとして神の存在を信じ、祈るということだ。いうなれば、僕の神への愛が、神を存在させる。ということだ。
神が僕を存在させる神からの愛。僕が神を存在させる神への愛。神の愛にはそんな二面性があるように思う。この愛が万に一つもない奇跡を必然のものとしている。それが時間の成立であり、人生の成立であり、生命の成立なのではないか。