これはいつの文章だろう、全く覚えてないなあ。
病気の前かなあ。
病気の前かなあ。
いいこと言ってるけど、最近の僕の考えとはちょっと変わってきてる。
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僕は、学生の頃、ありがちな感じで人生に悩んだ末、間違いのない人生の指針はないかと考え、「自分がやりたいことをやる」ことをその指針にしようと決めた。
なぜなら、自分がやりたいことを「やらない」ことは、どうしてもできないからだ。
たとえ自分が嫌なこと、例えば自分自身の手を叩くというようなことでも、それをやるならば、自分の意志に従って選択したということであり、自分がやりたくて自分の手を叩いたことになってしまうのだ。
自分が選択したことは、自分の意志の結果だ。そこから外れることは絶対にありえない。間違いはないはずだから揺るぎない人生の指針としよう。そう思ったのだ。
しかし、そこで居心地の悪さを感じた。
自分だけが「やりたいことをやる」という、自分勝手で都合がいい指針を採用してよいのだろうか。また、本当に、この指針こそが最も正しいのだろうか。そもそも、何をやってもよいなら、何をするのがベストなのだろうか。
その居心地の悪さから、二つの「やりたいこと」が生じた。
まず、自分だけでなく、他の人も「やりたいことをやる」ことができるような世界を作り上げたい。
また、「やりたいことをやる」以外のことはできないというこのアイディアを掘り下げ、本当に最も正しい指針であるということを確かめ、できれば、具体的に何をするのがベストなのか導きたい。
これらは、一般的に、何の縛りもない状況で人が「やりたいこと」として挙げるものとはかけ離れているかもしれないが、確かに僕にとっての「やりたいこと」なのだ。
これらの二つの僕特有の「やりたいこと」と、いわゆる普通に言われるような二つの「やりたいこと」を合わせ、四つの当面の人生の指針が今の僕にはある。
指針1 今の僕がやりたいことをやる。例えば、旅行に行ったり、おいしいものを食べたりする。また、何をするではなく、誰とする、つまり、家族や友人といった一緒にやりたい人とやるという視点も含む。(普通1)
指針2 指針1の前段でやるべきことをやる。つまりは、他の人がやりたいことをできる世界を作り上げることに力を注ぐ。(特有1)
指針3 やるべきことを定める。つまりは、「やりたいことをやる」ことがベストというこのアイディアを掘り下げる。(特有2)
指針4 指針1から3までのことができるような物質的な条件を整える。つまりは、金を稼いで生活を維持し、自分の能力を高め、健康を保つ。(普通2)
更に、今の僕は、この四つの指針から、七つの具体的な行動基準を設けている。残り短い人生で、この七つのことに関わることだけに力を注ごうと決めている。
指針1→趣味、友人、家族
(※なお、睡眠欲、食欲、性欲といった基本的な欲求は「やりたいこと」から意識的に除いている。なぜなら心がけなくても力を注がざるをえないから。)
指針2→社会貢献(他者の自己実現につながるようなもの)
指針3→哲学(人生の指針という倫理学的な問題が根底にあるが、その前提としての形而上学も含む)
指針4→健康維持、勉強(哲学以外の勉強。特に英語)
(※なお、金を稼いで生活を維持する、つまり働くという観点は意識的に除いている。なぜなら心がけなくても力を注がざるをえないから。)
このように考えを進め、整理してみると、なんだかとても普通のことを目指している自分が浮き彫りになってくる。
「自分がやりたいことをやる」という極端なアイディアから、とても普通な行動基準が導かれているのだ。
その理由は二つあると思う。
第一に、人生の生き方についての本当に極端なアイディアは、「○○をすべき」というような思い込みから生まれるが、しょせん「自分がやりたいことをやる」に過ぎない、と一歩引いて考えることにより、バランスがとれた考えができるようになるのではないか。
神のために生きるべき、とか、国家のために生きるべき、とか、親のために生きるべき、というように「○○をすべき」の思い込みのバージョンは色々と作ることができる。
いずれの思い込みも、そこから極端な行動基準が導かれがちになることは容易に想像できるだろう。
それよりも、自分のために生きるべき、から始まったほうが考えが広がるに違いない。なぜなら、自分のために生きる、という言葉はあたり前すぎて、何も思い込みがなく、何も言っていないに等しいからだ。
第二に、「やりたいことをやる」ということは、正確には「自分がやりたいことをやる」とは、何も言っていないと全く等しくはないからだ。そこには、根源的な人生の肯定がある。「やりたいことをやる」とは、何かやりたいことがあるということを前提にしている。やりたいことが全くないほど人生を否定的に捉えている人には、「自分がやりたいことをやる」という肯定的なアイディアは思いつかないに違いない。自分で言うのもなんだが、「自分がやりたいことをやる」と言えるのは、僕が、とても素直に人生を肯定的に受け止めている証だと思う。だから素直に普通の行動基準を導くことができるのだ。
ということで、この「やりたいことをやる」という人生の指針は、僕のこれまでの人生を、ある側面から結晶化した自信作なので紹介してみた。