僕は、音楽を聞くときは、Spotifyなどを使って音だけを聞くのではなく、YouTubeで動画を流すことが多い。「ながら」作業ができないからでもあるけれど、僕はMVが好きなのだ。
MVにも色々なパターンがあって、短編映画のような動画も好きだけど、アーティスト本人がただ演奏しているのも好きだ。

今日、サニーデイ・サービスの「春の風」という動画を観た。僕はサニーデイ・サービスのボーカル&ギターをしている曽我部恵一のファンだ。彼は90年代後半から第一線で活躍し続けているアーティストで、ソロ名義や曽我部恵一バンド名義でも多くの作品を残している。

「春の風」は疾走感があって、若々しくて、僕とほぼ同年齢でベテランの領域にいる彼がこんな曲をつくるなんて、なんて素敵だろう、と思った。いや、歳の割に、なんて適切ではない。ただただいい曲だった。

画面の向こうで歌い、ギターをかき鳴らしている彼は、僕から遠く隔絶していて眩しかった。僕は彼に憧れて、そして、ちょっと嫉妬していた。こんな気分になったのが久しぶりだったので、僕はこんな文章を書こうと思ったのだ。

彼は僕のように、餃子を食べて口がにんにく臭くなったり、仕事に疲れて夜中にエッチな動画を開いたり、せっかくの休日に布団の中でTwitterを見て過ごしたりはしない。
彼はただ、空の下で、ギターを弾き、素敵な言葉を紡いでいる。きっと彼にも僕と同じようなちょっと格好の悪い瞬間はあるのだろうけれど、MVのなかの彼は、どこまでも透明で、どこまでも輝いていた。
僕は、そんな動画のなかの彼に憧れて、嫉妬しているのだ。

こんな嫉妬なら悪くない。嫉妬とは、自分の外側の世界に、自分が持っていない素晴らしいものがあると感じることであり、現状ではその何かを手に入れられないことに気づくことなのだろう。僕はどうも内側にこもりがちで、外の世界にはたいしたものが転がっていないと思いこむところがある。
たまには僕も自分を更新し、動画の中の彼が持っているものを目指していこう。曽我部恵一という個人が持っているかどうかは知らないけれど、MVのなかの彼が持っているあれを目指していこう。もしかしたら、僕も誰かからそんなふうに見られることがあるかもしれないと期待しつつ。

動画のなかの彼は妖精だ。人間ではなく、音楽の神に愛でられた、人間とは別の存在だ。彼はただ、音楽のためにだけ存在し、音楽を体現する存在なのだ。そんな彼のことを僕は妖精のようだと思う。(彼の曲に、中年の天使について歌ったものがあるから、妖精ではなく天使でもいいかもしれない。)

僕も哲学の神に愛でられた存在になろう。いや、そんなことは不可能だから、せめて一瞬でも、誰かにそう見られるような存在となることを目指そう。そんなことを思った。

(10/4追記)
だから僕は文章を書くのかもしれない。書いている間だけでも、そして文章の中でだけでも、僕は妖精のような純粋な存在になれるから、僕は文章を書くのかもしれない。