※1200字くらいです。
どこかに書いたかもしれないけど、書いてないかもしれないのでメモ。
「やりたい」ことばかりをして生きていくほうがいいけれど、「やるべき」ことをやらなければ生きてはいけない。「やりたい」と「やるべき」には、このような問題がある。
僕はこの大問題に答えは出せないけれど、とりあえず応急措置的な対処をするならば、「やりたいことのために、やるべきことをやる」という心構えがいいのかもしれない。スキーに行くために早起きをするときのような心構えである。
僕は寒い朝、いや、まだ朝には早い深夜、目覚まし時計に起こされる。ちょっと腹が立ちながらアラームを止める。そこで友達とスキーに行く約束をしたことを思い出す。なんでそんな約束をしたのだろう、布団から出たくないなあ、なんて思う。だけど数分の葛藤の後、僕は渋々、布団を抜け出す。その後、震えながら服を着替え、スキー板を車に積んだ頃には、わくわくする気持ちになっている。
ちょっと例が古くて共感が得られなければ、海外旅行やディズニーランドに行く朝のほうがいいかもしれない。とにかく、面倒な準備作業と、その後に待っている楽しいこと、という対比を思い浮かべてもらえればいい。準備作業は「やるべき」ことであり、その後の楽しいことは「やりたい」ことである。
寒い朝、スキーに行くために布団を出るように、「やるべき」と「やりたい」をセットにすれば、「やるべき」も「やりたい」ことの一環になる。
僕はなるべく「やりたい」ことをやって生きていけるよう人生を設計している。それでも人生では、やりたいことのために、やるべきことをやらねばならないときもある。スキーに行くために布団を出なければならないし、海外旅行に行くお金を稼ぐために働かなければならない。だけど、そのような「やるべき」ことも実は「やりたい」ことの一環だと考えることはできる。そう考えると、実は、僕がやっていることは「やりたい」ことばかりだとさえ言える。寒い朝に布団を出るときも、会社に通勤するときも、僕がやっていることは、実は常に「やりたい」ことである。「やるべき」は「やりたい」に重なり、吸収される。
そのように考えることは自己欺瞞的な気もするけれど、決して間違えてはいない。そして何より、そのように考えると、ちょっと元気が出る。
だけど、以上の話は一面の真理でしかない。「やるべき」と「やりたい」は確かに重なってはいるが、やはりイコールではない。
だから、自らを鼓舞して無理しすぎてはいけないだろう。「やるべき」も実は「やりたい」だという魔法が解けてしまったなら、素直にその状況を受け入れたほうがいい。「やるべき」ことはやはり「やるべき」ことだという現実から目を逸らせてはいけない。
ただしそんなときでも、無理して「やるべき」ことをやるのではなく、またそれを「やりたい」と思えるよう、少し休んだほうがいいような気がする。