※途中(魅力4)まで「ほぼ」具体的なネタバレなしです。5000字以上あります・・・
僕は今、『氷の城壁』(https://twitter.com/agasawa_tea)というウェブマンガにはまっている。課金したし、現在二周目だ。
本当に色々と素晴らしいので、布教したくて、この文章を書いている。この文章を読んでも読まなくてもいいので、是非、多くの方に『氷の城壁』を読んでもらって、読書会でも開いて、みんなで魅力を語り合ってみたい。(けど、僕は飽きっぽいので、1月後、そんなことを考えているかは怪しいけれど。)
『氷の城壁』は、ウェブ限定で、縦スクロールの、いわゆる「縦読み」形式の新しいタイプのマンガだ。僕はアラフィフなので、こういうのにはあまり慣れておらず、時々、ツイッターなどで流れてくる無料四コママンガを読むくらいだ。
だから、僕の考察は的外れで、『氷の城壁』特有のものではなく、広く新しいマンガに共通のものだったりするかもしれない。そのあたりは割り引いて読んでほしい。
(このマンガの主人公は高校生の女の子で、それにアラフィフのおっさんがはまっているというのは、かなり気持ち悪い状況だということはご容赦ください。)
魅力1 内面の成長:触媒
『氷の城壁』は、男女4人の高校時代の恋愛模様を描いている、いわゆる恋愛マンガだが、その最大の魅力は、単なる恋愛マンガには留まらない内面の掘り下げ具合にあるだろう。作者の意図はわからないけれど、僕の受け止めでは、恋愛はあくまで舞台設定であって、実は、彼らの内面の成長を描いたとさえ思える。
推理小説には、「ヴァン・ダインの二十則」というのがあって、そのなかに「7.長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。」という法則があるらしい。(うろ覚えだったのをネットで調べました。https://pdmagazine.jp/background/knox/)
同様に、「青春マンガには恋愛が絶対に必要である。恋愛より軽い出来事では読者の興味を持続できない。」という法則があるのではないだろうか。当然「ヴァン・ダインの二十則」を破った推理小説が存在するように、恋愛がない青春マンガがあっていい。けれど、殺人や恋愛はかなり強力な舞台設定であることは確かだろう。
そして、『氷の城壁』は、強力な、恋愛という舞台設定を全面化するのではなく、あくまでもその力を借りて、登場人物の内面の成長を描くことに成功している。
その証拠に、僕の興味は途中から、「こゆんちゃんの恋愛は成就するのかな。」ではなく、「こゆんちゃんは幸せになれるのかな。」に変わっていった。「もしかしたら恋愛は成就しないかもしれないけれど、こゆんちゃんが変わっていって幸せになれるならそれでいい。」と願いながら読んでいた。(こゆんちゃんは主人公の女の子です。気持ち悪いですね。すみません。)
そして当然、彼らの内面の成長の問題は読者自身にも降り掛かってくる。このマンガは、「では君はどうなんだい」と僕に問いかける。そのような意味で、このマンガは単なるエンタメではない。もう少し重い何かで、僕ならばそれを「触媒」と呼びたくなる。僕の心に化学反応を起こさせる触媒だ。(僕にとって、これに似た本は、フランクルの『夜と霧』だ。)
魅力2 人とのつながり:憧れ
そして重要なのは、その内面の成長が、独りではなく、主に男女4人の仲良しグループ内での共同作業として行われるという点にある。一人ひとりの登場人物は真摯に、独りで問題に対処しようとして、考え悩む。だけど、それだけでは足りなくて、そこには他者との関わりがある。独りでは乗り越えられなかった壁でも、誰かとなら乗り越えることができる。『氷の城壁』における恋愛は、そのような関係の延長線上に位置づけられている。
これはとても羨ましい状況だ。僕は心から、こういう人間関係を欲していた。子どもの頃から手に入れたくて、だけど手に入れられなくて、今も、どこかでそれを欲している。
僕は、独りで壁を乗り越えてきた。途中からは奥さんが一緒とも言えるけれど、少なくとも、青春時代と呼ばれるような期間は、独りで壁を乗り越えてきた。あの頃の僕は、一緒に壁を乗り越えられる人間関係をかなり自覚的に欲していたけれど、結局、手に入れることができなかった。
僕がずっと憧れてきたものを、こんなに解像度が高いかたちで示してくれる、『氷の城壁』は、とても稀有なマンガだと思う。
このマンガを多くの人に読んでもらい、僕が何を欲していて、何を手に入れることができなかったのかを多くの人に共有してほしい。そうしたら、きっと、自覚的に手に入れることができた人は自らの幸せを再確認できるだろうし、無自覚に手に入れた人は自らの幸せに気づくことができるだろうし、自覚的に手に入れられなかった人は僕のように憧憬に浸れるだろうし、無自覚に手に入れられなかった人は新しい世界の観方に気づくことができるだろう。
そして、まだ手に入れてなくて、これからまだチャンスがある人は、目指すものを明確に捉え、それを目指すことができるようになるだろう。僕自身がそうだと信じているし、きっと皆がそうだと信じている。
魅力3 表現形式
僕の勝手な読み込みかもしれないけれど、この『氷の城壁』は、ここまで述べた二つの魅力を最大限引き出すような表現形式を採用していると思う。
まず、「縦読み」であるということは、内面を描くことにとても適していると思う。下にスクロールするという動作が、心の内面に沈んでいく描写にとても合っていて、そして、縦にスクロールする際の微妙な間が、うまく心情の隙間を表現しているように感じられる。
また、フルカラーなウェブマンガならではの色の使い方もいい。『氷の城壁』では実際に頬を赤く着色し、頬を紅潮させる描写が多用されるのだけど、これは恋の記号であると同時に、心が通じ合っているという記号でもある。先程の僕の話に合わせるならば、これは、共同して壁を乗り越えていこうという合図でもある。こんな表情をされたら、僕だってミナトくんと恋に落ちて、一緒に頑張ろう、と思ってしまう。(ミナトくんは、主な登場人物である高校生の男の子です。気持ち悪いですね。すみません。)
以上は、ウェブマンガという表現形式であることによる魅力だけど、作者自身の表現スタイルにも、内面の成長や人とのつながりといったものを表現するうえでの相性の良さがある。
まず、『氷の城壁』ではデフォルメされたマンガ表現が多用されるけれど、この使い方もメリハリという点で素晴らしいと思う。それぞれのコマの読み方をきちんと示し、どのコマにどのように注目すればいいかをストレスなく伝えることに成功している。つまり、シリアスなコマのセリフを追えば、心の内面の描写を漏れなく把握できるということになる。
また、『氷の城壁』は余白が多く、あまり背景の書き込みがない。これは小さなスマホの画面で読むのに適しているということもあるけれど、心の内面を描く上では、外的な世界の書き込みは余計なノイズになりかねないので、とても相性がいい表現スタイルだと思う。
魅力4 匿名性・普遍性
更に、これは作者自身のスタイルなのか意図的なものなのかはわからないけれど、この『氷の城壁』は匿名性が極めて高い作品だと思う。匿名性が高いからこそ、この物語が普遍的なものとなり、読者が登場人物の内面と自らの内面と重ね合わせ、この恋と成長のストーリーを他人ごとではなく自分ごととして受け止めることができるようになる。
匿名性の高さは、例えば、このマンガの舞台がどこかわかりにくい、という点に現れている。特徴的な神社など、モデル地の目印になるところがあって、そこが聖地になってもいいような気がするけれど、『氷の城壁』に登場するのは、どこにでもありそうなチェーン店や公園ばかりだ。それは普遍的な描写であり、あえて言えば、東京の郊外の普遍的な描写である。(違うかもだけど。)その普遍性が読者を読者自身の内面世界に没入させる。
また、その普遍性はストーリーにも現れている。序盤なのでネタバレにはならないと思うけれど、僕が、「え、そんなこと普通ある?」と違和感を持ったのは、序盤、こゆんちゃんが図書館に向かうときにナンパされるシーンくらいだ。あとは、「ちょっと偶然にしてはできすぎ・・・」と思うところがいくつかあるくらいで、徹頭徹尾、どこにでもありそうな話ばかりで組み立てられている。これはつまり、もしかしたら同じことが読者自身の身に起こった世界線があったかもしれない、ということを示しており、読者が自らの物語として読むことを助けてくれる。
そして、その匿名性の最たるものは、『氷の城壁』が、高校を舞台とした高校生の物語であるというところに現れていると思う。このマンガのおおまかな流れは、黒歴史の中学校時代のトラウマを抱えた高校生が、文化祭や夏休みなどの高校生ならではのイベントを過ごしていく、というものだ。このような大まかなプロットは、日本で中学高校時代を過ごした多くの人が容易に理解できるものに違いない。そのような普遍的な物語に乗っかることで、多くの読者が自分自身に当てはめることができる、匿名性が高い内面描写が可能となるのである。
だから、『氷の城壁』が、高校を舞台とした高校生の物語であるということには本質的な意味はないはずだ。僕の感覚では、『氷の城壁』の登場人物はちょっと大人びている。このような内面の動きを経験するのは、高校生ではなく大学生や社会人になってからでも決して遅くはない。いや、もしかしたら、アラフィフの僕でも、まだ十分には追いつけていないかもしれない。だけど、問題はそこにはない。これが高校生の物語であるということは、あくまで、高校時代という普遍的な装置を用いるための方便であって、そこで展開される内面の成長とは、高校時代という普遍的な装置を経由し、世代を超えて万人が自分ごととして理解できるようなものなのである。
だから僕はこうして『氷の城壁』を世代を問わず、多くの人に勧めている。そして、誰かが、このマンガを触媒として、僕と同じようなことを感じてくれて、僕と一緒に壁を乗り越えてくれたらいいな、と思っている。
魅力5 おまけ(ここはネタバレ)
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僕は『氷の城壁』の、こゆんちゃんとミナトくんが付き合ってからの最終盤が結構好きだ。
修学旅行で二人の気持ちを確認したあと、残りの話数を見て、あと何が残っているのだろうと思ったけれど、いい方向で裏切られた。このような恋愛成就後のエピソードがあえて描かれているというのは、このマンガのひとつの魅力だろう。
僕が好きなエピソードをいくつか列挙しておきます。
1 クリスマスのデートでのやりとり(111話 クリスマス)
小雪「1人で悩んだり、無言ですれ違うぐらいなら、こうやって言い合いできる仲のほうがいいです」
湊「うん、俺、こゆんちゃんの心、無視したりしないから・・・ちゃんと見て、言葉を聞いて、俺も伝えるから。もしぶつかっても、その度に仲直りしよ。」
これは、ほとんどの結婚している夫婦に刺さるのではないでしょうか。また、結婚してなくても、男女を問わず、ほとんどの人間関係に当てはまる真理のような気がします。僕が哲学カフェで目指しているのもこれだと言いたいです。ほんとに、プーチンさんに聞かせたいです。
そして、この言葉は、ここまで色々なことがあった二人が言う言葉だからこそ、心の深いところに届きます。
僕が『氷の城壁』を周囲に強く推してるのは、このあたりを皆に読んでほしいからでもあります。
2 こゆんちゃんちでお泊りしたときのやりとり(114話 暖)
湊 (小雪と一緒にベッドに倒れ)「これ以上は無理 手が出る・・・」
小雪「・・・したい?」
湊「したい・・・です・・・正直・・・ごめんなさい」
小雪「いいよ・・・正直・・・不安だし・・・怖いけど・・・好きな人なら・・・湊がしたいならいいよ・・・」
湊(ベッドから起きて)「しません。不安で怖いならしません・・・!俺だけしたくても意味ないの! というか 避妊具(ゴム)持ってきてないから・・・出来ません」
これは、将来こういうことがあるだろう子どもが本来の読者層であることを考えると、一人の大人として、大変素晴らしい描写だと思います。
「初めてのときにゴムを持っていくかどうか問題」については、世の多くの男性が葛藤しているはずで、こういうふうに一つの正解をきれいに出してくれたということは、ここまで述べてきた『氷の城壁』の魅力とは全く関係なく、とても意義があると思います。
世の男の子は、このミナトくんと、全く同じことを言えばいいのです。
そして、このような二人をあえて描写することで、「王子様とお姫様は末永く幸せに暮らしました。」ではない、もっと説得力がある幸せな未来を描き出すことに成功していると思います。
3 こゆんちゃんとお母さんの和解後のやりとり(115話 繋ぐ)
小雪「私が生まれてから・・・お母さん、幸せだった時ってある・・・?」
母「・・・今? 今、すごく幸せ」
小雪「・・・なんか・・・ズルい・・・」
母「・・・けど、本当。小雪が周りの人に恵まれて、幸せに過ごせてるんだったら、私にとっては充分」
・・・(略)・・・
小雪「・・・お母さん、産んでくれてありがとう」
急にお母さんが登場したのが唐突とも思ったけれど、このエピソードは、こゆんちゃんの成長を描くうえでは、必要不可欠だったんだろうな、と思います。
きちんと過去に向き合って自己肯定するというプロセスを、とりあえずはここで完遂したということなのでしょう。強くなったね、本当によかったね、という感じ。
けど決してこれは保護者目線ではなくて、僕はここまで達することができていないなあ、理解のあるお母さんでいいなあ、ミナトくんたちのような周囲の人に恵まれていて羨ましいなあ、という色んな思いが混在しています。
きっと、こゆんちゃんのお母さんも同じじゃないのかな。大人は子どもが思うほど大人じゃないし、子どもは大人が思うほど子どもじゃないということなのでしょう。
そんなふうに、高校生に色々と教わった、すばらしいマンガでした。2周目読了!
俺も頑張るぞ!