※ 19,000字弱あります。軽い気持ちで書き始めたら長くなっちゃいました。僕が時間に興味がある理由が伝わるといいな、と思って書いています。(ちなみにアイキャッチ画像は、僕のスマホが水没する瞬間の写真です。)
0 前置き
これから書く文章は、入不二基義の哲学から発想を得たものであり、彼の哲学から十分に導けることだと考えている。しかし、入不二が実際にそう言っている訳ではないことに留意してほしい。
1 死の恐怖
僕は、死ぬのが怖いと感じている人の心が多少でも安らぐことを願って、この文章を書いている。この文章は、死の恐怖に対する僕なりの処方箋である。(なお、ここでは「恐怖」としているが、死に対するこのネガティブな感情の捉え方は人によって違うようにも思うので、ここでの「恐怖」には、例えば、寂しさのような他のネガティブな感情を含むこととする。)
これまで何度も似たような話を聞いてきたと思われるかもしれない。実際、多くの哲学者や思想家が、死の恐怖の解消を目指すような話をしてきたと思う。けれど、これから僕が行う話の中には、彼らの話にはない、何らかの新しさが含まれていると考えている。
2 数直線のような時間
僕の中では、死の話は時間の話と密接につながっている。というか、死の話とは時間の話そのものであると言ってもいい。時間の捉え方に問題があるから、死の恐怖を生んでいるとさえ言ってもいいと思う。
そこで、まずは死の恐怖そのものからは少し距離を置いて、時間の話から始めることにしよう。
時間とは、一般的には数直線のようなものとして理解されている。時間とは、はるか未来から遠い過去までをつなぐ長い一本の線のようなものであり、その線の一部を区切った線分として、ある個人の、生まれてから死ぬまでのひとつながりの人生を位置付けることができる。数直線を辿るならば、生まれる前には長大な時間経過があり、そして死んだあとにも、きっと長大な時間経過がある。そして、二つの長大な時間に挟まれたところに、限られた生が位置付けられる。時間において生とはこのように描写されるのである。
そのうえで、生というものが、長い数直線のうちの、ごく一部の線分として限定されているという意味での生の限定性が、死の恐怖の源泉となっているのだろう。
3 A時間・「なる時間」
僕は、恐怖の前提となっている数直線のような時間の捉え方に対して、全く異なる時間観を提案することで、その恐怖を和らげることを試みたい。それは、A時間に対するB時間の提案であり、「なる時間」に対する「ある時間」の提案である。
どういうことか。
まず、A時間・「なる時間」とは、先ほど取り上げた常識的な数直線のような時間のことである。
なぜ、これが「なる時間」なのかというと、数直線のような時間とは、推移する時間だからである。現在を示す点が数直線の上を推移し、それに伴い、ものごとが推移していく。種から芽が出て花が咲き、緑色の葉が徐々に紅葉していく。コンロに乗せられたヤカンから湯気が出て、大空をヒバリが横切っていく。これらはすべて、現在において観察される「動的な推移」である。現在を示す点が数直線上を推移する(または現在を示す点が固定されていて数直線の側が推移する)から、ものごとが推移していくのである。この推移を表す言葉が「なる」であり、だから「なる時間」なのである。(これは入不二の「あるようにあり、なるようになる」という本から「なる」という言葉だけを借りた、僕の造語である。)
なお、A時間という言葉は、(これも僕の造語だけど、)もう少し哲学史的な背景があって、マクタガートという哲学者のA系列という用語を意識したものである。A系列とは、過去・現在・未来という時制区分の系列性を指す言葉であり、未来が現在になり、現在が過去になる、という動的な推移をその内に含んでいるとされる。
(対するB系列とは、これもマクタガートの用語だけど、1941年12月に真珠湾攻撃という出来事があり、1945年8月に日本の無条件降伏という出来事があった、という年表のような出来事の系列のことである。つまり、B系列には出来事の静的な前後関係だけがあり、動的な推移は含まれていない。)
だから、動的な推移という点で、A時間と「なる時間」はイコールで結ぶことができる。
3-1 「なる時間」における完全な無
だが、このような時間観には欠点がある。推移する時間観では、この推移する世界が生まれる前の「完全な無」を捉えられないという問題である。
例えば、ビッグバンを世界の始まりとして位置づけたとする。だが、推移する時間観によるならば、その位置づけにも関わらず、必然的に、ビッグバンは、世界の真の始まりではなくなってしまう。なぜなら、世界の始まりとしてのビッグバンというイベントであっても、それが「なる時間」上に位置づけられる限り、「ビッグバン以前」からの推移により生じたものでなければならないからである。
3-2 因果関係
なお、推移とは、現代においては、因果関係というかたちで理解されがちだろう。例えば、水からお湯への推移であれば、水が入ったヤカンをコンロの火で熱した「から」お湯になったというように、推移を因果関係として捉えるのである。
同様に、ビッグバン以前からビッグバンへの推移についても、因果関係として捉えたくなる。そのうえで、ビッグバン以前に対しては科学法則や因果律が届かないから、ビッグバン以前などなかったのだ、と言いたくなる。
だが、ここでの推移とは因果関係のことではなく、因果関係よりも深い(広い)ものでなければならない。なぜなら、推移する時間であるためには、因果律は及ばなくても、推移は及んでいなければならないからである。ビッグバンが推移する時間における出来事であるためには、ビッグバンにも推移が及び、そしてビッグバンへと推移する時点としての「ビッグバン以前」にも推移は及んでいなくてはならない。
よって、推移する時間を維持するためには、我々には決して知ることができないにせよ、ビッグバン以前にも何かがあるのでなければいけない。よって、ビッグバンは真の始まりとはなりえない。
3-3 不完全な無
このようにして、A時間・「なる時間」においては「完全な無」はありえないことが導かれる。どのような無を想定したとしても、その無とは、やがて有に推移するか、有であったものが無に推移するかのいずれかでなければならない。それならば、無には、推移を推移として成立させるための最低限の有が含まれていなければならない。つまり、A時間・「なる時間」における無とは、有が含まれた「不完全な無」なのである。
4 B時間・「ある時間」
このような推移する動的な時間であるA時間・「なる時間」に対して、固定的で静的な時間を対置することができる。マクタガートがB系列と呼んだ、年表のような時間である。僕はそれをB時間と呼ぶ。
この年表には、例えば、1941年12月の欄に真珠湾攻撃という出来事が書かれ、1945年8月の欄に日本の無条件降伏という出来事が書かれている。時点と出来事が紐づいて記載されている。ただそれだけである。時点は単なる見出し以上の意味を持たず、年表の記載は決して揺らがず、動くことがないという意味で、これは静的な時間である。
なお、年表上の出来事は、新発見などにより変わることがある。キリストが生まれたのは、西暦1年だったはずが、実は紀元前4年頃だった、というような場合である。だが、この場合、キリストが生まれた年は、実はもともと静的に紀元前4年頃だったのであり、西暦1年から紀元前4年頃に動的に推移した訳ではない。よって、年表のようなB時間はどこまでも静的な時間である。
このようなA時間は、動的な「なる」ではなく、静的な「ある」を基底とした時間であるという意味で、「ある時間」と呼ぶこともできる。
4-1 「ある時間」における完全な無
ところで、なぜ、あえて「ある時間」と呼ぶかというと、「ある」の対比としての「ない」を浮かび上がらせることができるからである。この「ない」とは、先ほど問題とした「完全な無」のことである。
「ある時間」に基づくならば、1941年12月の真珠湾攻撃という出来事と、1945年8月の日本の無条件降伏という出来事は、それぞれ「ある」。それぞれ「ある」ということは、つまり全く独立した二つの出来事として「ある」ということである。当然、常識的には、そこには推移という関係性があるのだが、その推移は「なる時間」が担っている。よって、「ある時間」に基づいた場合、二つの出来事は、年表の異なる行に書かれた全く別の隔絶した出来事として「ある」。
こうして、「ある」は年表の別の行に書かれた出来事同士の隔絶を呼び込むのである。
この隔絶をビッグバン以前と以後にも適用することができる。「ある時間」の年表によるならば、ビッグバン以前の欄に、有と隔絶した無、つまり「完全な無」を書き入れることができる。(または、年表上のビッグバン以前の欄を空欄のままにしておくことで「完全な無」を示すことができる。)この「完全な無」とは「ない」ということであり、ビッグバン以前が「ない」ということと同義である。
この「ない」「完全な無」こそが、「なる時間」では取り扱うことができなかったものである。
このように、年表のような「ある時間」には、「完全な無」を取り扱うことができるという大きなメリットがあるのである。
4-2 隔絶がもたらす問題
一方で、「ある時間」には、二つの出来事のつながりを描写することができないという大きなデメリットがある。それは、真珠湾攻撃から無条件降伏までの間の大小さまざまな出来事の連関としての推移を描写できないだけではない。この例では、実は「(日本のアメリカへの)真珠湾攻撃」、「(日本のアメリカへの)無条件降伏」といったように、「日本」「アメリカ」といった共通の言葉が隠されているけれど、そのような言葉の共通性すらも失われてしまうのである。つまり、真珠湾攻撃を行った日本が、無条件降伏をした日本とは別物になってしまう。
日本だと話が大きすぎるならば、例えば、「私は朝ご飯を食べた。」と「私は歯を磨いた。」でも同じことである。「ある時間」においては、この二つの出来事は完全に隔絶しているから、朝ご飯を食べた「私」と歯を磨いた「私」は全く別物になってしまう。このように、「ある時間」における出来事間の断絶は、言語というものの根底を揺るがす大問題を生じさせる。
更には、「ある時間」におけるそれぞれの出来事は完全に隔絶しているので、以前・以後という順序関係も成立しない。だから、厳密に考えるならば、「なる時間」を完全に捨象した純粋な「ある時間」に関して、年表のようなひとまとまりのものとして描写することも実は誤りである。僕は、「ある時間」をB時間と呼び、マクタガートのB系列と結び付けて考えたけれど、実は、純粋なB時間にはその系列性すらなく、時間というまとまりで捉えることすら適切ではないのである。このように「ある時間」の隔絶は、「完全な無」を可能とするというメリットがある一方で、大きな問題を抱えているのである。
このように考えると、言語や時間といったものを当たり前のように使う一方で、「無」や「ない」という言葉も問題なく使っている僕たちは、「なる時間」と「ある時間」という対立する二つの時間を無理やり結び付け、都合よく、いいとこ取りをしているとも言えるだろう。
5 4つの死
このように、「なる時間」と「ある時間」とがあることを確認したところで、ようやく、本来の目的である、死の恐怖についての話を始めたい。
僕は、死の恐怖の源泉は、二つあると考えている。ひとつは、先程述べたとおり、数直線のような「なる時間」において、未来と過去をつなぐ長い直線に対して、人間の生が限られた線分として表現されるということに由来している、「生の限定」という死のイメージである。
もうひとつは「ある時間」における「完全な無」という死のイメージである。
そのうえで、僕たちは、「なる時間」と「ある時間」を無理やり結び付け、そして、「生の限定」と「完全な無」を無理やり結び付けることにより、「人生という線分を越えて推移することによる『完全な無』への到達」という、死の恐怖にまつわる豊かなイメージをつくりあげているのではないだろうか。
だから、実は、この常識的で豊かな死の描写は、単なる誤りであり、より死を正確に捉えるためには、「生の限定」という「なる時間」における死と、「完全な無」という「ある時間」における死とを、明確に分ける必要がある。そうすることによって、常識的な死のイメージから喚起される恐怖は和らぐはずである。
そして、ここには、「自分自身の死」と「他者の死」の違いの問題も関わってくる。よく言われることだけれど「自分自身の死」と「他者の死」は全く異なる。例えば、「自分自身の死」は経験できるけれど、観察することはできない。一方の「他者の死」は観察できるけれど、経験することはできない。そのように対立する二つの死が、常識的には同じ「死」として括られ、結び付けられている。この常識的な捉え方も解きほぐさなければならない。
こうして、死に関しては、実は、二つの側面からの二種類の捉え方の違いがあることになる。つまり「なる時間」における死・「ある時間」における死の違いと、自分自身の死・他者の死の違いである。これらを組み合わせ、4種類の死として整理してみたい。
- 「なる時間」における自分自身の死
- 「なる時間」における他者の死
- 「ある時間」における自分自身の死
- 「ある時間」における他者の死
である。
5-1 「なる時間」における自分自身の死
「なる時間」とは、未来が現在になり、現在が過去になる、というように動的に推移する時間であり、そこでは、現在が重要な役割を果たすのであった。そして、「なる時間」は、A時間と呼ぶこともできるとおり、過去・現在・未来という時制区分を前提としているマクタガートのA系列と深く関わっており、時制区分の中心に位置づけられる「現在」が重要な役割を果たしている。
イメージで語るならば、「なる時間」における「現在」とは、路線バスのようなものである。僕たちは現在というバスに乗り、未来と過去とを結ぶ数直線の上を、未来に向かって走っている。(または、スタジオでの背景と合成されたバスの撮影のように、「現在」というバスは止まっていて、周囲の風景だけが、未来から過去に向かって流れている。)現在だけが動いている。(または現在だけが止まっている。)だから現在は特別であり、特異点であるとも言える。
そして、「現在」というバスに乗っていた僕たちは、あるとき、病気や事故や老衰によって死を迎え、たった一人でバスを降り、皆が乗ったバスが遠ざかっていくのを見送ることになる。(僕たちの生は限定的だから、そのバス停を越えて、現在というバスに乗車し続けることは叶わない。)
以上が、「なる時間」における死のイメージである。死は現在の喪失と深く関わっている。
だが、ここで問題が生じる。死によってバスを降り、遠ざかっていくバスを見送る僕はどこに立っているのだろう。それは当然現在ではないし、過去のある時点(例えば僕の死亡時刻)でもない。(僕が僕の死亡時刻で固定されてしまったら、「見送る」という動的な推移を伴う出来事は生じえない。)
つまり僕が立つ場所は、どこでもありえない。
それでも、なんとか死後の居場所を確保するために、人は天国や地獄のような場所を考え出したのだろう。だけど、もし、天国に、花の匂いを嗅ぎながら踊ったり、地獄で蜘蛛の糸を登ったり、といった動的な推移があるのだとしたら、それは推移する現在において、でなければならない。だが、それでは僕は、現在というバスを降りても、天国という現在にいることになってしまう。
だから、普通にイメージされるような天国とは、現在というバスの外にあるのではなく、バスの中にあるのでなければならない。つまり、いわゆる天国に行くような死とは、現在というバスの中における席替えに過ぎないのである。だが、それでは、死とは、生における大きな変化(海外移住など)と変わらないものになってしまい、死の描写としては不十分であると言わざるを得ない。
このように、「なる時間」における自分自身の死は、死後の居場所という観点において、大きな問題をはらんでいる。
5-2 「なる時間」における他者の死
「なる時間」における死について、現在というバスから降りて去り行くバスを見送るという比喩をしたが、このような死の情景には、もうひとつ、バスの中で、乗客が降りて、ぽっかりと空いた空席を見つめる別の乗客からの視点がある。
前者が自分自身の死であり、後者が他者の死であるが、「なる時間」とは、後者の他者の死のほうが相性がよいだろう。なぜなら、種から芽が出て花が咲くように、または、大空をヒバリが横切っていくように、他者の死は現在において推移しつづけるからである。比喩的に述べるならば、バスの乗客は、別の乗客がバスを降りる際の推移を眺めることができるのである。
そして、他者の死について、より直接的に述べるならば、死の当事者ではない他者としての僕たちは、自分の身近な人が病で入院し、徐々に弱っていき、ついに息絶えるという死の推移に立ち会うことができるのである。このような「なる時間」における他者の死は、常識的な死の捉え方に合致しているように思える。
ただし、この推移には先があって、バスの比喩によるならば、乗客が降りてからも、他の乗客は、ぽっかり空いた座席とともに旅を続ける。死後も、他者にとっては、どこまでも、現在というバスにおいて死が推移し続けるのである。
死が推移し続ける、という描写は、一見、違和感がある。けれど、よく考えてみれば、確かに他者においては死は推移し続けるとも言える。身近な人が亡くなったなら、その死後も葬式に出席したり、ふと故人を思い出したりすることもあるだろう。有名人の死ならば、ときどきテレビで特集が組まれたり、もしかしたら、教科書に載ったりすることもある。他者の死というイベントは死後も推移し続け、他者の死はどこまでも僕たちの生に伴走しつづける。
それを強化するのが、天国や霊や魂というようなアイディアである。死んだ人は、天国から愛する人達を見守ったり、恨みを持った地縛霊になったり、千の風になったりして、他者として推移し続ける。
こうして、他者は「この世からは消えてなくなるけれど、別のかたちで推移し続ける」と捉えることができ、死者も推移し続けると捉えることができる。このような死の捉え方は、非科学的という欠点はあるけれど、「なる時間」における推移が首尾一貫し、破綻がないという意味で、成功しているとは言えるのではないか。
5-3 「ある時間」における自分自身の死
次に、「ある時間」における死についてだが、この場合の死とは「完全な無」であった。
完全な無には、喜びや悲しみといった感情はないし、良い悪いといった価値もない。だから死は恐れるべきものではない。古くからある、このような捉え方は死の恐怖をうまく払拭してくれる考えだと思う。
さらに、「ある時間」を徹底すると「死には到達できない」という捉え方も帰結する。なぜなら、静的な「ある時間」を徹底し、動的に推移する「なる時間」の要素を取り除くと、生から死への「推移」が不可能となるからである。例えば僕が2050年1月1日0時に死ぬとして、「ある時間」における年表上の2049年12月の生の行と、2050年1月の死の行とは隔絶しているから、生の行から死の行へと推移し、到達できなくなるのである。
よって、「ある時間」における死は、二重の意味で恐怖と無縁である、と言える。
ただし、問題は、このような常識からかけ離れた死の描写を受け入れられるかどうかである。到達できない完全な無など、僕たちのこの生から隔絶されすぎていて、イメージがわかない。そのような死を真剣に考え、受け入れることはできるのか。
もし、僕たちがそのような死に多少でも近づけるとしたら、それは、思索によってである。たとえイメージがわかなくても、思索を通じ、隔絶され、言葉も何も届かないところに、「完全な無」としての死がある「はず」だと考えることができれば、このような死を我々は取り扱うことができる。(思索を通じた、隔絶された死へのアクセスを多少でもやりやすくするための議論については次章で行う。)
この常識から乖離した思索的な死を受け入れることができるならば、「完全な無」としての死、つまり到達できず、何の感情も価値も届かない死は魅力的なものであるはずだ。
そして、このような「ある時間」における死は、自分自身の死と相性がいいと言える。なぜなら、常識的に言っても、自分自身の死は経験できないからである。それも、これまで経験したことがないだけでなく、もしかしたら、いつか訪れる一度限りの死においても、死は普通の意味では経験できないかもしれない。つまり、死とこの生は、少なくとも、自分自身の経験としては隔絶しているのかもしれない。そのように考えるならば、自分自身の死に限れば、死とは「ある時間」における到達できない「完全な無」のことである、というアイディアは、ある程度成功しているように思える。
5-4 「ある時間」における他者の死
では、「ある時間」における死とは到達できない「完全な無」である、というアイディアを自分自身ではなく他者の死に対して適用できるかというと、残念ながら難しいに違いない。なぜなら、他者の死は十分に到達し、経験できてしまい、他者は完全な無にはならないからだ。
きっと、他者の死は経験できるけれど、自分自身の死は経験できない、という話は、このあたりに源泉がある。自分自身の死と他者の死は同じようなものだと考えがちな常識的な傾向に反し、実は、他者の死とは違って、自分自身の死だけは経験できないという驚きとは、この「ある時間」についての驚きであるとも言えるのではないか。それならば、話の成り立ちからして、「ある時間」における死は、他者の死には適用できないのであろう。
5-5 なる=他者、ある=自分
ここまで4つの死について考えてみることで、他者の死は、推移する「なる時間」と相性がよく、自分自身の死は、「完全な無」を扱うことができる「ある時間」と相性がよいことが明らかになった。
他者の死は、死にゆく過程や、死後の状況の推移を観察できることから「なる時間」的である。一方、自分自身の死は、観察の余地はなく、この生から隔絶された思索的な「完全な無」であるという点で「ある時間」的である。
ただ、それで話は終わらない。なぜなら、他者の死と自分自身の死と同じようなものであるはずだ、という前提があるからだ。他者とは、自分自身とよく似た存在だからこそ他者なのであり、だからこそ、他者も自分自身にも同じ「死」が訪れるはずなのである。
そこから、死の捉え方に「ずれ」が生じる。「なる時間」における推移する死は、他者と同じように自分自身にも訪れることに「なる」し、「ある時間」における「完全な無」としての死は、自分自身と同じように他者にも訪れることに「なる」のである。この「ずれ」は、「なる」時間としての「なる」とは別のレベルでの「なる」の用法であるとも言える。
そこから、更に「ずれ」の操作が加わり、推移する死と「完全な無」としての死は混ざり合い、生から「完全な無」へと推移する死、という死の常識的なイメージが出来上がるのだろう。
だから、死の常識的なイメージに抗うためには、この「ずれ」が生じる前に立ち帰る必要がある。本来問題とすべきは、「そもそも、他者と自分自身とはよく似た存在なのか」という問題であり、「他者にも自分自身にも同じ「死」が訪れるのか」という問題なのである。そのことに気づくことが重要なのである。
こうして、ここまでの「なる時間」と「ある時間」との対比は、「なる時間」と他者とが結び付き、「ある時間」と自分自身とが結び付くかたちで、他者と自分自身の対比へとつながっていくことが明らかになった。
ここからは、この「「なる時間」=他者」と「「ある時間」=自分自身」という結びつきを用いて死に関する考察を深めていくので、この結びつきを、短縮し、「他者・なる時間」と「自分・ある時間」と名付けることにする。
6 ある時間の肉付け
6-1 純化作業
なかなか、死の恐怖にズバリと切り込むことができないけれど、ようやく、直接的に死の恐怖に対する処方箋の話をしたい。
ここまでの話でおよそ予想がついていると思うけれど、僕は、死の恐怖に関する常識的なイメージは、「他者・なる時間の死」と「自分・ある時間の死」が混ざり合うことで生じるものであるという前提に立ち、この二つの死を切り分け、両極に純化していくことによる死の恐怖の緩和という処方箋を出したいと考えている。
このうち「他者・なる時間の死」への純化のほうの話は簡単で、この方向で純化された死とは、先ほど述べたとおり、死の過程としてどこまでも推移し続け、例えば、魂や霊として残り続けることになるようなあり方をしているものである。そう考えるならば、死んでも魂や霊として残るのだから、死の恐怖が和らぐことになるのは明らかである。このような説明は、理解が容易だし、説得力もあると僕は思う。
だが、この話で緩和するのは、あくまで他者の死に対する恐怖だけである。確かに、(親しかった)他者が死んでも魂や霊として残り続けるならば、それは(他者が消えてなくなってしまうよりも)喜ばしいことかもしれない。だが、それでは自分自身の死の恐怖は緩和しない。
自分自身の死の恐怖を和らげるためには、もうひとつの極にある「自分・ある時間の死」のほうへと死を純化していく必要がある。
この方向での純化とは、つまりは、先ほど述べたとおり、死というものを、この自分自身から隔絶され、感情も言葉も届かないところにある「完全な無」として捉えるということである。そのような死は、自分自身から隔絶されているから、怖くもなんともない。以上。
このとおり、こちらの純化についても作業としては簡単なのだけど、ここには特有の困難があると思う。それは、話としては理解できても、正面から受け入れることに抵抗を感じるという困難である。きっとこの困難は、自分自身から隔絶した「完全な無」という描写が、極めて思索的で抽象的であることに由来する。このような死は、少なくとも僕にとっては、概念的には理解できても、正面からは受け入れ難いものである。
だから、この話には肉付けが必要だろう。抽象的な話であっても、様々な角度から論じ、描写を豊かにすることで、多少は受け入れやすくなるだろうからである。この章でこれから行うのは、この肉付けの作業である。肉付けすることで、純化された「自分・ある時間」の死が受け入れられ、(他者ではなく)自分自身の死の恐怖が多少でも和らぐことを願っている。
6-2 完全な有
ひとつめの肉付けは、「完全な無」に対比するかたちで「完全な有」という概念を導入するというものである。
どういうことか、説明しよう。
まず、「不完全な無」は「不完全な有」と対応している。
さきほど、推移する「なる時間」において、「無」は、少なくとも、「無から有への推移」または「有から無への推移」という最低限の有を含んでいるとした。これが不完全な無である。それならば、「有」についても、「無への/からの推移」という最低限の無を含んでいなければならない。つまり、「他者・なる時間」においては、無とは「不完全な無」であり、有とは「不完全な有」なのである。
それと対比するならば、「自分・ある時間」においては、無とは「完全な無」であるのと同様に、有についても「完全な有」であるはずである。なぜなら、「完全な無」の完全性を維持するためには、無と有は完全に隔絶していなくてはならず、それならば、無から隔絶した有とは、無の要素が全く混入しない「完全な有」であるはずだからである。
つまり、無と有が隔絶しているならば、それは「完全な無」と「完全な有」でなければならないのである。
そして、隔絶された「完全な無」と「完全な有」という対比とは、自分自身と「ある時間」を重ね合わせた「自分・ある時間」における対比であることを思い起こすならば、隔絶の向こう側にある「死」と「完全な無」を結び付けることができるのと同様に、隔絶の手前にある「自分自身」と「完全な有」を結び付けることができるだろう。つまり、「完全な無」つまり「死」と隔絶したところにある「完全な有」とは自分自身のことなのである。
「自分自身」とは「完全な有」である。「自分自身」とは、常識的な用法としての「死」のような「不完全な無」など入り込む余地のないほどに、「完全な有」なのである。だから、「完全な無」としての「死」は、「自分自身」から全く隔絶したところにしかないのである。
死が自分自身から隔絶したところにある、ということは、決して、臭いものに蓋のような隔離ではない。より重要なことは、自分自身が「完全な有」であり、死というような無を完全に寄せ付けない存在である、ということなのである。これは、言ってしまえば、自分自身という生の讃歌であると言ってもいい。
そのように考えることで、多少は死の恐怖が和らぐといいな、と思う。
6-2-1 否定
なお、「不完全な無」は、「死」というかたちをとらなくても、この世界に様々なかたちで忍び込んでいる。最も顕著なものは「否定」を用いた「不完全な無」の混入である。例えば、「私は歩く」の否定は「私は歩かない」であり、歩くが「ない」から否定である。では、なにも「ない」かというと、そんなことはなく、歩くが「ある」代わりに、昼寝をしたり、走ったり、別の何かの動作が「ある」。だから、「私は歩かない」は「不完全な無」である。
この話は、「歩かない」のが僕自身であっても、他の誰かであっても、そう変わらないように思えるけれど、ここまでの話を踏まえるならば、大きな違いがある。
他者については「歩かない」という描写はありえる。なぜなら、他者については、歩くのではなく、何をしているかに興味を持たないことができるからである。
だが、僕は、僕自身については「歩かない」ことはできない。僕は僕自身が歩く代わりに何をしているかに興味を持たないことができないからである。僕自身が歩かないとき、僕は、僕自身が、昼寝をしたり、走ったり、ぼうっとしていることを知ってしまっている。そういう意味で、自分自身には不完全な無が混入することはなく、「完全な有」なのである。
この他者と自分自身との対比は、死の話に限らず、様々なものごとの捉え方の根本となっている。
6-3 独我論と汎我論
さらなる肉付けの作業として、出来事の羅列としての年表のような「ある時間」と自分自身とを重ね合わせるとはどういうことか明確にする、という作業がある。
これはつまり、自分自身の中に、すべての年表を抱え込むという作業である。または、すべての年表の中に、自分自身を浸透させるという作業であると言ってもいい。これらは、一見全く違う作業のように思えるけれど、前者は独我論的アプローチ、後者は「汎」我論的アプローチとでも呼ぶべきものであり、それぞれのやり方で、年表と自分自身を重ね合わせている。
独我論的アプローチの場合、年表とはこの私が想起する年表である。家族で行った海外旅行も、娘が生まれたことも、僕が大学に入学したことも、すべての出来事が僕の記憶のひとつとして位置づけられる。
なお、真珠湾攻撃も、日本の敗戦も、僕には直接的な記憶はないけれど、僕が読んだ本についての記憶というようなかたちで、間接的には僕の記憶に含まれているとも言える。間接的な記憶というものを導入するならば、ビッグバンにせよ、恐竜の絶滅にせよ、僕の記憶の年表のなかに位置づけることができるのである。
(だから、体験の順序に年表という記憶に書き込まれるというよりも、記憶が年表的に構成されると言ったほうがいいのだろう。)
こうして、独我論的には、自分自身と年表の重ね合わせについて「自分自身の記憶をもとに、自分自身の中に年表を構成する。」という捉え方ができる。
一方の汎我論的アプローチによるならば、私は年表の傍観者である。真珠湾攻撃にも、恐竜の絶滅にも、この私は関わっていないけれど、それでも、年表上の出来事と、この私は関わっていなければならない。なぜなら、それが、この年表と自己を重ね合わせるということだからである。この関与がない関わりとは、例えば、傍観者のようなものである。過去への関与が禁じられたタイムトラベラーが、タイムマシンの窓から恐竜を眺めるようにして、私は年表上の出来事に関わっている。
そのように私は、すべての年表上の出来事に、傍観者として関わっているから、汎我論である。では、どのように関わっているのかというと、知識として、である。僕は、ビッグバンがあったことも、恐竜が絶滅したことも、本を読んで知っている。つまり、本を通じた傍観者なのである。
だから、この汎我論的アプローチと、さきほどの独我論的アプローチとは同じことを描写しているとも言える。本で恐竜の絶滅について読んだことを、記憶と捉えるか、知識と捉えるかの違いである。
なお、汎我論の場合、家族旅行や娘の誕生というような、本ではなく直接体験によって得た知識をどのように扱うかが問題となる。僕の実感として、娘の誕生については、僕は主役ではないにせよ、イベントの重要な登場人物の一人であり、決して傍観者ではない。「娘の誕生」という年表上の出来事に、僕は傍観者として溶け込むように関わることはできない。
だが、このような直接経験の出来事についても、汎我論を徹底するならば、「娘が生まれたとの一報を受け、あわてて車を走らせる僕」を眺める「我」のようなものを傍観者として想定するべきだろう。この世界という舞台の登場人物Aとしてひとつの役割を演じる僕を眺める、もうひとりの我を想定するのである。
こうして、独我論的にせよ、汎我論にせよ、この年表と自己は重ね合わせられる。
このようにして捉えられた年表に、僕自身の死を書き込むことはできない。なぜなら、独我論的には、僕自身の死は直接的にも間接的にも記憶されておらず、汎我論的にも、僕自身の死は知識として得られていないからだ。過去の偉人や身近な知人の死ならばいくらでも記憶されているし、知識としてもある。だけど、この僕自身の死はそのようなあり方はしていない。
なお、僕自身ではなくても、今現在生きている他者は、その死はまだ記憶されていないし、知識としても成立していない、とも言える。だが、僕自身の死との違いは、他者の将来の死については、その死が記憶されたり、知識として成立したりするところを明確に想像することができる。それは、明日、雨が降るでしょうという天気予報が、年表上の明日の欄に雨と書き入れることを意味するならば、全く同じことである。だが、自分自身の死はそのようなあり方をしていない。
(これについては、自分自身の死についても想像できる、という反論がありそうに思う。だが、そう考えるとき、さきほど「娘の誕生」の例で示したように、死にゆく「あなた」を傍観するもうひとりの「あなた」を想定してしまっていないだろうか。)
6-4 内側と外側
もうひとつの肉付けは、「自分・ある時間」は全然動いておらず、時間の名にふさわしくないのではないか、という疑念に対応するためのものである。
「自分・ある時間」における時間とは、年表としての記憶または知識であり、どちらの捉え方にせよ、年表上の別の行に書かれる個々の出来事は全く隔絶している。その隔絶された出来事が、私の記憶となることで、または、私という傍観者の知識となることで、緩やかに統合され、なんとか年表としての形を保っている。
だから、この年表においては、私によって、その並び順としての前後関係までは構成されてはいるけれど、そこに動性はない。
一方の「他者・なる時間」のほうには、過去・現在・未来を貫く推移があり、動性に満ちている。よって、時間というものを表象するのに、より相応しいように思える。この問題をどうするのか。
これに対しては、時間をどこから観察しているか、という観察者の視点を導入することで解決できると考えている。結論から述べるならば、「他者・なる時間」は推移の外側から観察しているから、推移を明確に捉えられる一方で、「自分・ある時間」は推移の内側から観察しているから、推移を捉えることができない、と考えることができるのではないか。
ここにあるのは「内側/外側」という対比である。そのうえで、「他者・なる時間」と外側とを結び付け、「自分・ある時間」と内側とを結び付けるのである。
まず、「他者・なる時間」における「外側」について詳細に述べてみよう。「他者・なる時間」における過去・現在・未来を貫く推移を、僕たちがどこから観察しているかというと、過去でも現在でも未来でもない時点からである。三つの時制を俯瞰的に眺め、すべてを対等に捉えることができる視点に立っているから、僕たちは、「他者・なる時間」は過去・現在・未来を貫き、推移していると言える。つまり、「他者・なる時間」の動性は、外側の視点が確保されているから、動性があると言えるのである。
一方の、「自分・ある時間」と「内側」の関係は次のように描写できる。例えば、僕の娘の誕生という出来事は、独我論的に描写するならば、僕がその出来事を想起するというかたちで、出来事と僕自身が癒着している。また、汎我論的に描写するならば、僕がそれを知識として知り、いわば傍観するというかたちで、出来事と僕自身が癒着している。この癒着は、ビッグバン、恐竜の絶滅、家族旅行など、すべての出来事において同様である。
これはいわば、「自分・ある時間」における年表的な出来事と自己とが常に伴走しているような状況であるとも言える。この伴走という表現は誤解を生むけれど、なぜ完全に伴走できるかというと、出来事と自己とが完全に癒着し、一体化しているからである。それは汎我論的にはすべての年表上の出来事の内側に自己があると言ってもいいし、独我論的には自己の内側にすべての年表上の出来事があると言ってもいい。いずれにせよ、癒着し、一体化しているから推移という動性がないのである。
だが、そこに全く動性がないかというと実はそうではない。なぜなら、個々の年表上の出来事には、癒着している自己にとっての感覚としての「動いている感じ」があるからである。ヤカンのお湯が沸く、という年表上の出来事には、コポコポ湯気が立つ感じ、という動性があり、ヒバリが飛んでいるという出来事には、ヒバリが大空を横切る感じ、という動性がある。もし、何もない殺風景な部屋に閉じ込められていても、時間が経過する感じ、という動性がある。これを「時間の動性のクオリア」と呼んでもいいだろう。、「自分・ある時間」における年表上の出来事が単なる出来事ではなく、この自己と癒着した出来事である限り、出来事には、自己の感覚としての動性が含まれている。
年表上の出来事においては、確かに出来事と出来事の間の関係としては、推移がなく、動性もないけれど、個々の出来事の「内側」において、時間の動性が確保されているのである。
こうして、「内側」という捉え方をすることによって、「自分・ある時間」とは、動性をその内に含み、時間と呼ぶに相応しいものであることを確認することができた。
6-5 処方箋
ここまで、「自分・ある時間」の肉付けを行うことで、僕が、どのようなものを「自分・ある時間」に盛り込んでいるのかが、多少なりとも伝わったのではないかと思う。きっと、多くの読者が、多くのものを盛り込みすぎていると感じたのではないだろうか。
僕は、僕の主張が正しいと考えているけれど、すべてを同意いただなかなくてもいい。ただ、僕の主張の全てを受け入れなくても、「自分・ある時間」における自分自身の死は、常識的に考えるよりも、遥かに困難があり、一筋縄でいかないということまで、伝わればいいと僕は考えている。
僕は、読者に僕と同じように考えてほしいとは言わない。ただ、自分自身の死の常識的な捉え方には大問題があって、当たり前のように怖がったり安堵したりする前に多くのやるべきことがあることだけが伝わればいい、と僕は考えている。
僕は、自分自身が死ぬのが怖くないとは言わない。だが、その前に、僕には、この謎を解くという大きな宿題があり、そのためには、怖がる暇はないのである。これが、死の恐怖に対する最終的な僕の処方箋である。怖がる前に、何を怖がっているのか考えるべきなのだ。
7 僕の現在地点
死の恐怖への対処については、ここまでの話で十分だと思うけれど、ここからは、僕が、この謎にどう取り組み、どこまで進めているのか、僕の哲学の現在地点を紹介していきたい。
7-1 固定的な装置
まず、大きな問題として、「他者・なる時間」においても「自分・ある時間」においても、時間は動いてばかりではないという問題がある。
「他者・なる時間」においては、確かに、過去・現在・未来を貫く推移があり、動性に満ちている。だが、その時間を捉える俯瞰的な視点は、その推移の外で固定されている。
逆に言うならば、固定的な視点が確保されているからこそ、そこからブレずに、過去・現在・未来を貫く推移を観察できるとも言える。華厳の滝を眺める展望台が造られているからこそ、その固定的な視点から、滝の動性を堪能できるのである。
「自分・ある時間」においても、年表上の個々の出来事は動性に満ちているけれど、それらをまとめた年表自体は固定されている。
逆に言うならば、年表が固定され、年表上の出来事が明確に位置づけられているからこそ、そこからブレずに、個々の出来事に内在する動性を観察できるとも言える。華厳の滝の中のひとつの水しぶきに明確に着目できるからこそ、その水滴が飛び散る様を堪能できるのである。
ここには、動性が成立するためには、それを支える固定性が必要である、という共通の構造を見て取ることができる。「他者・なる時間」においては俯瞰的な視点、「自分・ある時間」においては年表が、その固定的な装置となっている。
なお、年表が固定的な装置である、というのはわかりやすく、これ以上の説明は不要だろう。一方の、俯瞰的な視点が固定的な装置である、ということについては、具体例を用いて、若干の補足をしておこう。
過去・現在・未来を貫く推移を観察できるようにするための俯瞰的な視点とは、例えば「空間」である。過去にも、現在にも、未来にも、同じ空間が広がっているという前提があるからこそ、そこでは変化というかたちで推移を捉えることができる。空間上の僕の机と、空間上のネコの位置関係が変化し、机の下で丸くなっていたネコが机の上に飛び乗った、と描写できるのは、時間推移のなかで、空間だけは変化しない、という前提があるからである。
また、「言語」も俯瞰的な視点を確保するための重要な装置である。過去・現在・未来を貫き、ネコや机といった言葉を固定的に使用できるから、机の下で丸くなっていたネコが机の上に飛び乗ったと描写することができる。
このように、「空間」や「言語」といった、この常識的な世界を根本から支える固定的な装置が、「他者・なる時間」を下支えしているのである。
7-2 時間の交差
さて、前節で時間の動性を確保するためには固定的な装置が必要であるということを論じたが、この固定的な装置は、動的な時間の外にあることになってしまうという問題が生じる。固定とは、そもそも、時間が経過しても動かない、といった意味であるが、その固定性が時間の外にあってしまうというのは、大問題である。
この問題をより詳細に捉えるならば、時間が根本的な時間であるためには、固定的な装置も含め、すべては、その時間の中に位置づけられなければならない、という問題であるとも言える。なぜなら、推移する時間と固定的な装置という対比が成立するためには、推移する時間と固定的な装置の両方を流れる、一層深いところでの基盤となる時間が必要となるからである。そして、この一層深いところでの時間が成立するためには、固定的な装置が必要であり、その固定的な装置を下支えする、更に深い階層での時間が必要となる。そして、この無限後退はどこまでも続くことになる。
つまり、固定的な装置を導入する限り、「自分・ある時間」も「他者・なる時間」もそれぞれ単体では成立することができないのである。
きっと、ここで二つの時間は交差せざるを得ないのだろう。ここまで、二つの時間を全く別個のものと捉え、それぞれに純化を進めてきた。だが、その純化が行き着いたところで、それぞれの時間では捉えきれない、推移の外の視点と年表そのものという二つの固定的な装置が不純物として残ってしまった。
この不純物を無限後退を避けて説明するためには、もうひとつの時間原理が必要となる。つまり、「他者・なる時間」における推移の外の視点は、「自分・ある時間」に位置づけられるべきだし、「自分・ある時間」における年表そのものは、「他者・なる時間」に位置づけられなければならない。
「他者・なる時間」における推移の外の視点が、「自分・ある時間」に位置づけられるとは、つまり、他者における時間推移を観察するのは自分自身である、ということである。そして、「ある時間」における「ある」という特性が、その安定的な視座を確保してくれる。
また、「自分・ある時間」における年表そのものが、「他者・なる時間」に位置づけられるとは、つまり、自分自身と癒着したものである年表を他者のように取り扱うということである。そして、「なる時間」における「なる」という特性が、年表に順序や向きという推移性を提供してくれる。この順序や向きが、「時間の動性のクオリア」とでも呼ぶべき動性の由来を説明してくれる。
こうして、純化の果てで二つの時間は交差し、時間とは、「他者・なる時間」と「自分・ある時間」という二つの側面を持っているただ一つのものである、ということになる。
入不二が、『あるようにあり、なるようになる』で描いているのは、こういう問題だと思う。