※ 1600字くらいです。先生のご了承がとれちゃったので掲載したけど、書籍化したらちゃんと書きたいな。

『何でもいい何かって何?──Any-nessの哲学』という入不二基義先生が来年刊行予定の本の原稿を読ませていただく機会があり、衝撃を受けているところ。まだ、今年刊行された『現実性の極北』のほうも消化しきれていないのに、怒涛の思考力だ。
この文章は、僕が入不二先生にお送りしたメールを若干手直ししたもので、先生のご了承を得て、ブログに載せています。書籍化され、ゆっくり読めるのが楽しみ。


ようやく読み終えました。
いやあ、すごい文章ですね。
思考の奔放な溢れ出しっていう点では、『現実性の問題』に比べ、『現実性の極北』は一段階上がった気がしてましたが、更に一段階上がった気が・・・
先生は、当初、入門書的な新書を考えていたそうですが、これは全然、入門書ではない気がします。
冒頭部分の「中学校の英語レベルから・・・」というキャッチフレーズ的な記述は、その頃の名残りだと思いますが、内容がぶっ飛ぶほどすごいのでミスリーディングな気がしました。
もう「奔放に書きました」と明記したほうが、読者の心構えとしては適切な気が。
述べ方としても、ある程度、先生の本を読んでないと前提がわからない箇所が多い気がします。
僕は入不二信者?なので、前提はわかるし、用語もついていけます。それに、入不二的な思考の進め方も馴染んでいるほうだと自負しているつもりです。ただ、それでも、まだ消化しきれていないところが多々あります。
けれど、それはそれでいいのかな、という気もします。入不二哲学の初心者向けに逐一説明するのはもったいない。この文章は多分、「ぶっ飛んだ本」になるのだろうと思います。時間をかけて様々な発見がされていく鉱脈という感じ。
僕が好きなのは、「第8章 Any-nessと現実性」の「現実性への「開口部」としての任意の実現・生起」の節の終盤の、任意性が呼吸の開口部となり、現実性を引き入れているっていう話です。
僕は、ここに、任意性と現実性の関係の最奥部があるような気がします。
僕はやっぱり、あっけらかんとした「外側」の現実性が一番偉い?ような気がしているのですが、その現実性を語るためには、「内側」から任意性を使って現実性を引き入れなければいけない。
ここでの「「呼吸」が、「外(の空気)」を「内(なる器官)」に招き入れる「開口部」として働いている」という比喩は、なぜかそんな芸当ができてしまうことの不思議さを、うまく表現している気がします。
宙吊りにして、隙間をあけて、そこに現実性が流れ込んでいき、そこにAny-nessが生じる感じ。
入不二先生の『あるようにあり、なるようになる』の最終章での「ビッグウェーブに乗る」話が好きな僕としては、ビッグウェーブのように現実性に巻き込まれている力動性を、丸々一冊かけてAny-nessというかたちで高い解像度で描写しているような気がして嬉しかったです。
あと、「存在」をベタで静的なものとして一刀両断しているのもよかったです。さらには「論理」と「時間」を接続したり、なんというか、既存の思考の枠組みを根底から揺るがす感じが凄かったです。読後感としては、ビッグウェーブやジェットコースターどころじゃなく、ビルディングの爆破解体に巻き込まれたような感覚。
最後に、一点だけ僕の考えを述べるならば、現実性と可能世界論は合わないような気がします。可能世界論を使うなら、「ある可能世界には現実性がなく、別のある可能世界には現実性がある」ということになると思いますが、そうすると、「現実」の遍在性が損なわれてしまうのではないでしょうか。「現実性は、あくまでも可能世界という分岐を考えているこの現実世界にしかなく、そもそも可能世界などない」という気がします。
なんとか理解したいと思い、時間をかけて読み、いろいろ考えたのですが、とりあえず、一旦、お送りします。また考えたことがあれば、改めてお送りします。
今回は貴重な機会をいただきありがとうございました。書籍になるのを楽しみにしています。