※続きの文章です。13000字近くあるので、前の文章(もうちょっと短い)を読んで気に入った方だけ読んだ方がいいと思います。

僕の7つの主張

先日、僕は「『〈私〉の哲学をアップデートする』のA変容とB変容の話の続き」という文章を書いた。https://dialogue.135.jp/2024/06/09/henyo/

この話の続きを書きたい。

続きを書くに先立ち、先日の僕の主張を簡単にまとめると次のようになる。

  1. 認識により内的・主観的に把握される事実をA事実、言語により外的・客観的に把握される事実をB事実とする。
  2. A事実には全体が一挙に推移するというA変容があり、B事実には全体が一挙に生じるというB変容がある。
  3. A事実とは、この瞬間が推移するという事実、または、この人生が推移するという事実であり、B事実とは、この瞬間が生じるという事実、または、この世界(宇宙)が生じるという事実である。
  4. 今を極限化するならば、A事実におけるこの瞬間とこの人生は重なり、B事実におけるこの瞬間とこの世界(宇宙)は重なる。
  5. 今のところ、A事実とB事実を重ね合わせることに、どの哲学者も成功していない。
  6. AにせよBにせよ事実はひとつしかない。複数あるように見えるものを仮に出来事と呼ぶならば、複数の出来事があると考えるのは、A的な捉え方とB的な捉え方を誤った形で重ね合わせたことによる誤解である。
  7. 常識的には、認識と言語は併用されるので、認識によるA的把握と、言語によるB的把握は、混同されがちである。
    (僕の主な主張は、この混同を避け、A的把握とB的把握を分けることで、時間の問題への見通しがよくなる、というものである。)

伝聞的把握

まず、着目したいのは、主張3と主張4である。瞬間や人生として捉えることができるA事実と瞬間や世界として捉えることができるB事実は、瞬間という点では重なるが、人生と世界という点ではずれがある。このずれに着目してみたい。

ずれは、例えば、こんなふうに生じる。

B的、つまり客観的に考えるならば、僕が生まれる前の出来事、例えば、第二次世界大戦は確かに年表的な事実として存在する。当時の人たちはまだ生きているし、映像にも残っているし、不発弾が時々発見されたりもする。確かな証拠に基づく客観的事実である。(ここでは出来事や事実という語について、僕が主張するような限定的な使い方ではなく、常識的な使い方をしている。)

一方で、A的、つまり主観的に考えるならば、第二次世界大戦は、僕が直接経験していないという点で、主観的事実ではない。直接的な経験の有無により、昨日の昼に沖縄料理を食べた、というような主観的事実と、第二次世界大戦があったというような非主観的な事実とは明確に分けられる。

では、僕にとっての主観的事実として第二次世界大戦が全く登場しないかというとそんなことはなく、「第二次世界大戦があった」ではなく、例えば「第二次世界大戦があったという本を読んだ」ならば主観的事実である。新たな用語を増やすならば、伝聞的把握である。

以上をまとめると次のようになる。

  • A事実とB事実のずれ、つまり人生と世界のずれは、生まれる前の出来事(及び死んだあとの出来事)の把握の仕方において生じる。
  • B的把握においては、生きている間の出来事も、生前(死後)の出来事も同じように把握されるが、A的把握においては、生きている間(造語をしてしまうなら「生中」)の出来事と生前(死後)の出来事は別のやり方で把握され、生前(死後)については「伝聞的」に把握される。

Aの純化

A的把握において「伝聞」が重要な役割を果たすのは、伝聞とは言語を意味するからである。認識によるA的把握に、言語によるB的把握が混入し、伝聞的把握となるから、主観的事実の伝聞的把握が可能となるのである。つまり、伝聞的把握とは、A的把握へのB的把握の混入であり、僕の考えでは、不用意なAとBの混同であり、避けるべき事態である。

では、伝聞的把握を諦め、生前や死後の出来事のA的把握を諦めればいいのかというと、そんな単純な話ではない。

先ほど、さらりとカッコ書きをしたとおり、そもそも、生前や死後の「出来事」という描写自体に問題があり、A的把握とB的把握の混同を経たものだからだ。A的に捉えたにせよB的に捉えたにせよ、事実はひとつしかない。その事実の中に、複数の出来事を位置づけ、これは生前の直接体験できない出来事で、これは生中の直接体験できる出来事だ、などと分類すること自体が誤りなのである。

純粋にA的に述べるならば、この人生は一挙に推移する。大空にヒバリが飛ぶ情景を眺めるとき、その認識において、大空からヒバリが分節化し、ヒバリだけが動いているということはない。または、その認識において、赤い屋根の上を飛ぶヒバリの情景が切り取られて分節化し、また、その後の、鉄塔の上を飛ぶヒバリの情景が切り取られて分節化し、その2時点間の運動としてA的変容が表現される、というようなことは決してない。もし、そのように考えてしまうならば、そこには分節化という言語のB的描写が混入してしまっている。

純粋なA的把握においては、事実を分節化し、複数の出来事として切り分けるために必要な、言語の力が働く余地がない。ただ、事実は、事実において一挙に推移するのである。これがA変容である。

なお、純粋にA的なやり方で認識により把握するならば、この一挙に推移するA事実とは、この瞬間という事実、あるいはこの人生という事実である。このうち、この瞬間については、一挙に推移するという描写は実感に即しているけれど、この人生が一挙に推移するという描写については、実感に反しているだろう。だが、そう感じるのは、そのような実感自体に、すでに言語というB的な要素が入り込んでいるからであり、それを丁寧に取り除くならば、A的には、この人生は一挙に推移するのである。

(「この人生」自体が言語表現であるから、何が一挙に推移すると述べること自体が誤りであるとも言える。)

Bの純化

同様に、B的把握を純化することもできる。

純粋にB的に考えるとき、この世界(宇宙)は一挙に生まれる。そこには、第一次世界大戦が起きてから、第二次世界大戦が起き、やがて、一昨日の昼におけるコンビニのパンを食べるという出来事が起き、そして、僕が大学に入学し、そして、僕が会社に入社する、というような年表的な出来事の推移はない。なぜなら、出来事間の推移があるように考えてしまうとき、そこには、認識をもとにした推移というA的描写が混入してしまっているからである。

純粋にB的に述べるならば、B事実としてのこの世界(宇宙)の生成は、推移というかたちで関係づけられないような相互に無関係な複数の出来事を含んだ形で、一挙に生成される、ということになるのだろうか。(当然、出来事というものが含まれているという点で問題があると僕は考えている。)

この問題について考えるため、B的描写とされる「推移というかたちで関係づけられないような相互に無関係な複数の出来事」について、より精度を高め、真にB的なものなのか捉えなおしてみたい。

まず、A的要素が混入しにくくするためには、生前の出来事を例に用いたほうがいいだろう。それも、当時経験した人の話を直接聞いたことがある、といったA的な主観的要素を排除するため、なるべく古い出来事、例えば、関ケ原の戦いや大坂夏の陣といったものがよいだろう。そのうえで、戦国時代に関する本で読んだ、といった伝聞的な主観的事実がどうしても入り込んでしまうので、これらを極力捨象し、なるべく客観的出来事として捉えてみる。

そのようにして関ケ原の戦いや大坂夏の陣を客観的に捉えるならば、それは年表的な描写になるだろう。社会の教科書の後ろに折りたたまれた年表には、1600年のところに関ケ原の戦いと書かれており、1615年のところに大坂夏の陣と書かれている、というイメージである。

だが、これが、純粋なB的把握なのかというと、そうではないだろう。

関ケ原の戦いや大坂夏の陣を同じひとつの年表に描くためには、これらの出来事が同じ年表上の出来事として関係づけられなければならない。だが、その関係性は、1600年の後に1601年があり、やがて1615年になるというA的な推移によって成立するからである。つまり、A的要素を混入させ、推移によって複数の出来事を関係づけなければ、教科書に載っているような年表を描くことはできないのである。

だが、これに対しては反論があるだろう。A的な認識的推移によらずとも、例えば、因果関係のようなもので、複数の出来事を関係づけ、同じ年表に出来事を描写することはできるのではないか、という反論である。確かにそれならば、純粋なB的把握のみによって、複数の出来事を一つの年表に描くことはできそうである。

だが、この反論に対しては、再反論ができる。入不二が『あるようにあり、なるようになる』の運命論の中で展開しているけれど、因果関係のような関係性を突き詰めることで、分節化された複数の出来事自体がベタに塗りつぶされてしまい、成立しなくなるのである。詳細は入不二の議論を追ってほしいけれど、僕なりに簡単に述べるならば、ある出来事Aとある出来事Bを関係づけるためには、関係づけるための出来事Cが必要であり、更にそれを関係づけるためには出来事Dが必要である、というように関係づけという行為自体が、無限後退を招き、やがてベタの出来事の連続となってしまうのである。(こういう述べ方は入不二はしていなかったと思うので、あくまで僕の理解です。)

このように反論を重ねることで、僕が主張していることのグロテスクさが多少でも伝わると嬉しい。僕は、純粋にB的に描写するならば、言語によって複数の出来事として分節化できないような、ただひとつの事実が、一挙に、「言語的に」生まれる、と主張している。普通、言語は分節化する機能を有していると考えられているけれど、実は、分節化は、言語と認識が協働することによって実現されるものであり、純粋に言語だけを捉えるならば、言語は、このただひとつの事実を誕生させるという機能だけを有しているのである。

純粋にB的に述べるならば、そこには、関ケ原の戦いも大坂夏の陣もない。僕の主観的な認識というA的把握の力が、伝聞というかたちで、生前の出来事(不正確な呼び方ではあるが)にも及び、客観的な言語というB的把握の力と協働することによって、はじめて関ケ原の戦いや大坂夏の陣といった出来事を個別の出来事として立ち上げるのである。

よって、例えば、関ケ原の戦いという出来事がいつ始まったのかは、純粋にB的な客観的要素だけで決定することはできない。宣戦布告の手紙が届いたときとか、最初の矢が放たれたときとか、主観的解釈によりA的要素を混入させることによって、初めて出来事の始点(や終点)が確定し、出来事をひとかたまりの出来事として切り出すことができるのである。

このことは、僕の主張から帰結することの一例に過ぎないが、僕が主張していることの正しさを多少は示してくれているように思う。

認識と言語の先

こうして、AとBをそれぞれ純化することによって、僕の認識と言語を巡る考察は行きつくところまで来たように思える。僕は、A事実とB事実は相互に無関係で独立したものと考え、それぞれを純化し、異様ではあるけれど、それなりに整合した哲学的事実を描き出すことに成功したと考えている。

だが、問題はまだ残っている。A事実にせよB事実にせよ、ただ一つしかないはずなのに、A事実とB事実という二つの事実が全く独立に存在すると考えるのは、やはりどこかおかしいのではないか。

ここまでの考察において、認識を用いたA的把握と言語を用いたB的把握の限界は明らかになったことから、その限界の先にあるだろうこの問題について考えるためには、いずれでもない、全く別のやり方を考える必要があるだろう。

脱線:留保付きの真実

だが、A事実とB事実という二つの事実があるという問題に取り組む前に、A的把握とB的把握とを併用した場合の到達地点についても確認し、A的把握とB的把握とを併用しても、A事実とB事実という二つの事実があるという問題に対処できないことを明らかにしておいたほうがいいだろう。

なぜなら、常識的には、認識と言語は併用されるものであり、そのようにして描写されたものこそが、この常識的な世界であり、常識の限界を明らかにしておくことは有意義だろうからである。

なお、先日の文章では、既に、この問題について、認識と言語を併用するような常識的なやり方では、A変容とB変容という時間のあり方をうまく説明できないので、常識的な考え方から離れ、A的把握とB的把握とを完全に切り分けるべき、と論じている。だから、ここでは、それと同じことを別のかたちで論じ直すものである。(だから、先日の文章で、この問題は解決済みということであれば、この節は読み飛ばしていただいてかまわないです。)

 認識と言語を併用した場合の限界を明らかにするために、もし、認識と言語を併用することで真実が把握できたとしたら、その真実とはどのようなものだろうか、と考えてみよう。

その場合、当然、真実とは、認識され、言語で表現されたとおりのものであるだろう。目の前にリンゴがあれば、それは疑いなくリンゴであり、また、リンゴと言語で表現されたら、それはリンゴを間違いなく指し示している。そこには、実はリンゴではない、という真実は隠されていない。

だが、リンゴだと思ったら赤いボールだったというような見間違いはありうるし、遺伝子分析したらリンゴではなく梨であったということもあるだろう。また、間違えるという言語使用にすら間違いがある可能性だってありうる。僕は懐疑論者的傾向があるから、色々な反論を持ち出し、そう簡単には、認識され、言語で表現されたとおりの真実に到達することを許さない。

それでも、より詳細に分析したら実は梨だったといったかたちで、いつかは真実に到達するはずだとは言える。だが、その真実とは、常に、更なる分析によって覆される可能性がある真実であり、いわば留保付きの真実である。

この「留保」こそが、認識と言語を併用して行う把握の限界である。

だが、この留保付きの真実はそう悪いものではない。この認識と言語を併用するやり方を、自然学的方法と呼び、その最も成功したやり方を自然科学と呼ぶならば、この留保付きの真実という、真実のあり方は、まさに自然科学的な真実のあり方のことであるからだ。自然科学においては、自然科学的に適当な方法によるならば、いくらでも真実を覆すことが認められ、だからこそ、自然科学は成功したとも言える。自然科学的真実は、留保付きの真実であるからこそ、常に真実に向かうものであり、だからこそ真実の名にふさわしいのである。

このようにして到達した、自然科学的な留保付きの真実という、極めて常識的な地点は、決して悪いものではない。留保とは、限界であるだけでなく、留保があるからこそ、将来、限界を超え、より真実に接近できるとも言えるからである。

そして、この留保付きの真実とは、暫定的で流動的だから、A事実としても解釈できるし、B事実としても解釈できるという点で、A事実とB事実という二つの事実をうまく統合するポテンシャルを持ったアイディアである。

だから、この留保付きの真実を受け入れるかどうかが分かれ道となる。

そして、もし受け入れたならば、このような真実観は実生活に役立つものになるだろうし、きっと哲学の問題に悩まされることも少なくなる。(自然科学を信じて生きることができれば、倫理学的な価値の問題を除けば哲学は要らなくなるように思う。)

だが、当然、僕は、留保付きの真実では満足できない。僕は、「実は」で覆されることのない真実を掴み取りたい。確かに、留保付きの真実は、この常識的な世界を常識的に生き抜くためには大いに役立つものである。だけど僕は、そんな生活上の有用性から目を背けてでも、僕は、留保のない真実に到達したい。

そういう訳で、僕は、認識と言語を併用することでは到達できない真実に到達したいから、議論を先に進めなければならない。

形而上学的把握

さて、話を戻すと、ここで問題としているのは、認識によってA的に把握されるA事実と、言語によってB的に把握されるB事実という二つの事実が全く独立して存在するという問題である。

ここまで、認識によるA的把握を純化して突き詰めるという道筋や、言語によるB的把握を純化して突き詰めるという道筋は既に辿ったし、また、認識と言語を併用することによる帰結も確認した。これらのいずれによっても、僕が納得できるかたちでは、A事実とB事実という二つの事実が独立して存在するという問題を解決することはできなかった。

それならば、この問題を解決するためには、認識や言語によらない把握の仕方が必要ではないか、という話になる。ここからは、この問題について考えることにする。

認識と言語を用いた把握とは、自然学的把握であり、その代表例として自然科学がある。一方で、認識や言語によらない把握というものがあるとしたら、それは形而上学的把握と呼ばれるべきだろう。ここからの考察は、この形而上学的把握をどうすれば実現できるのかを考察するものとなる。

「不合理ゆえに我信ず」という矛盾

認識と言語とは、常識的にはものごとの把握の根幹にあるものだから、当然、認識と言語によらない形而上学的把握というとんでもないことを実現するためには、普通のやり方ではない、新しいやり方を見つける必要がある。

そこで着目したいのが、入不二の『問いを問う』を通じて知った「不合理ゆえに我信ず」(p.265)という言葉である。これは死後の魂について論じる中で登場する言葉であるが、言葉の意味はおおむね次のようなものであると僕は理解している。

「合理的だから信じるということでは、死後の魂や神のような特殊なものを信じるということの特殊さにはそぐわない。そのような特殊なものに対する態度としては、「不合理ゆえに我信ず」というような特殊な態度がふさわしい。」

僕もここで、認識でも言語でもない何かを目指そうとしているのだから、そのような特殊なものを目指すならば、「不合理ゆえに我信ず」に類するような特殊な態度が役立つのではないだろうか。そして、このような態度を、形而上学的把握の場面に適用するならば、認識によるA的把握と、言語によるB的把握とが矛盾するところにこそ真実が隠されていると考えるべきなのではないだろうか。

つまり、「矛盾」こそが、形而上学的に先に進むための道しるべなのである。

これは無根拠な思いつきではあるのだけど、一応、理屈付けをしておこう。

もともと僕は、A事実とB事実は相互に無関係で独立したものと考えたほうがうまくいくと考えている。だが、ただひとつの事実しかないはずなのに、A事実とB事実の二つが独立に存在すると考えるのは、やはりどこかおかしい。よって、この先に進むためには、A的把握でも、B的把握でもない、別の道を探すしかない。

その進むべき道とは、きっと、A的把握やB的把握ではうまくいかず、否定され、放棄された道であるはずである。そして、その否定のあり方としても、A的把握の否定やB的把握の否定という単純な否定ではなく、A的把握とB的把握の両者を貫く根源的な否定であるはずである。それならば、AとBが絡み合う、より深いところに潜む否定を見出すべきである。つまり、矛盾というあり方の否定である。そして、その矛盾というあり方の否定が、逆に突破口となり、先に進む道を見つけることができるのではないか。

以上のような、理屈とも言えないような思いつきをもとに、認識によるA的把握と、言語によるB的把握とが矛盾するところを探すかたちで、僕の考察は先に進んでいく。

瞬間としての矛盾

僕は、認識によるA的把握と、言語によるB的把握には、二つの矛盾があると考えている。この二つの矛盾は、A的把握によるA事実には、今を極限化するならば、この瞬間とこの人生という二通りの捉え方があり、そして、B的把握によるB事実には、今を極限化するならば、この瞬間とこの世界(宇宙)という二通りの捉え方があるということに対応している。

一つ目の矛盾は、この瞬間における矛盾であり、A事実とB事実は、いずれも、今とはこの瞬間である、という捉え方ができる、ということによって生じる矛盾である。そう捉えた場合、この瞬間において、A事実とB事実はきれいに重なる。A事実とB事実は全く独立しているはずであり、そのように考えたほうがうまくいくのに、なぜか、A事実とB事実は、ある側面では、きれいに重なってしまうのである。

この瞬間において、A変容があり、認識において今が推移し、そして、同じこの瞬間において、B変容があり、言語において今が生まれる。推移しつつ生まれるというかたちで、二つもの理解不能な事態が、この瞬間において重なり合うようにして生じている。(この生じているという言葉もB変容的で不正確ではあるが。)

これは、この瞬間における大きな矛盾である。

人生と世界の間の矛盾

だが、この「瞬間としての矛盾」について、これ以上、考察を進めるのは難しい。(瞬間という言葉が持つイメージが、議論の場の広がりを制約し、豊かな議論をしにくくする。)

よって、迂回路として、もう一つの矛盾に着目したい。A事実とB事実について、瞬間ではないもうひとつの捉え方として、A事実とは人生であり、B事実とは世界(宇宙)であるという捉え方ができることによって生じる矛盾である。

実は、ここに登場するのは、人生と世界(宇宙)という全く別のものだから、それだけでは全く矛盾はない。だからこそ、あえて矛盾を作り出すために、人生と世界(宇宙)とは全く同じもののことであると、あえて考えてみる必要がある。せっかく、これまでA的把握とB的把握を分けて議論することにより、明晰な議論をつくりあげてきたところをぶち壊しにするのである。そのような議論の流れも含め、これは、かなり矛盾に満ちた議論だと思う。

いわば背理法的に、あえて反対の議論を措定し、矛盾を見つけることで議論を進めるのである。ただ、背理法であれば矛盾は単なる誤りであるが、ここでは、矛盾とは、議論を先に進めるための道しるべである。

まず、「今とはこの人生である」という極限化したA事実がある。そして、もうひとつ、「今とはこの世界である」という極限化したB事実がある。そのうえで、この人生というA事実と、この世界というB事実とを無根拠に重ねあわせる。そこで見出される「AかつB事実」という唯一の事実とは、極限化するならば、「この人生かつこの世界」のことである。

この唯一の「AかつB事実」についての描写は以下のようなものである。

  • 「この人生かつこの世界」というただひとつの事実がある。
  • つまり、この僕の人生は、この世界、この宇宙と等価である。
  • 「この人生かつこの世界」には、一挙の推移というA変容があり、そして、一挙の生成というB変容がある。
  • 「この人生かつこの世界」は、一挙に生成されるという点で、どこか決定論的であり、そして、一挙に推移するという点で、どこかに自由や偶然が潜んでいるような感じもある。当然、複数の出来事という捉え方はできないので、普通の意味での決定論や自由や偶然とは違う。だが、そのようなものにつながる芽のようなものを含んでいる。
  • お好みであれば、「AかつB事実」という大きな矛盾から派生するかたちで、複数の出来事という小さな矛盾を認めてもいい。複数の出来事という矛盾したものがあるとして、そこに、普通の意味での決定論や自由や偶然をつなげてもいい。だが、あくまで、それは、派生した影のようなものである。

以上の描写は、僕にとってはかなり魅力的なものである。なぜなら、「AかつB事実」というただひとつの事実から、様々な形而上学的な概念を引き出すことができるからである。僕には、ここを哲学の出発点として、ここから全てを導き出すことができるようにさえ思える。

確かにこのような描写は、ここまでのA的把握とB的把握を分け、明確にA事実とB事実を切り分けてきた議論に比べれば、はるかにわかりにくく、混乱しており、理解し難いものである。だが、そのような怪しさも含め、この「この人生かつこの世界」という「AかつB事実」の描写は怪しい魅力を持っている。そして、その怪しさこそが、説得力を持ち、論理的整合性とは異なる別の正しさを指し示してるようにも思える。

「この人生かつこの世界」という矛盾に満ちた事実だからこそ、その矛盾が怪しい魅力を持ち、「AかつB事実」という唯一の事実があるという主張を正しいものとしているのである。

そして、このような「AかつB事実」には、認識というA的把握によっても、言語というB的把握によっても、さらには、それらを併用することによっても到達できないという点が重要である。このような自然学的手段によっては把握できないという点に、形而上学の形而上学らしさがあると思う。

以上の話は、もうひとつの矛盾である、「瞬間としての矛盾」にもそっくり当てはまる。なぜなら、「この人生かつこの世界」とは極限化した今であり、その今を別のかたちで極限化するならば、「この瞬間」となるからである。

この今という瞬間だけが、この人生やこの世界と全く等しい意味での、ただひとつの事実であり、そこで、一挙の推移というA変容があり、そして、一挙の生成というB変容がある。

永井と入不二

これで僕の話は終わりにしてもいいのだけど、最後に、以上の話が、永井の独在論や入不二の現実論とどのようにつながるかを付言しておきたい。

まず、永井の独在論は、ここまでの話をつなげると、A事実と関係が深い。だから、永井の独在論は、A変容としての推移を取り扱うことに長けている。そのうえで、わずかに、言語というB的なものを混入させることで、A変容としての推移を分節化し、そこに複数性を見出すことを可能とする。過去のある時点、現在としての時点、未来のある時点というように。そのような描写から永井の独在論的な時間論は始まる。また、この分節化による複数性は、事物、特に人間の複数性にもつながり、そこから人称が生まれる。そこから、永井の独在論的な人称論(〈私〉の独在論)が始まる。

なお、永井はA的な面をこれほど重視しながら、なぜ、B的なものをわずかに混入させるのかと言えば、そうしないと面白くないからである。これは、僕が、さきほどの考察で、あえてA事実とB事実を重ね合わせ、意図的に矛盾を作り上げたことに似ている。A的把握とB的把握を完全に切り分け、平板な理解をしただけではつまらないから、あえて混ぜるのである。そして、その、「わずかな」混入という分量の絶妙さに、永井哲学の魅力があるのだと思う。

次に入不二の現実論についてだが、入不二自身がB変容を発見したとおり、入不二哲学はB事実と関係が深い。だから、入不二の現実論は、B変容としての生成を取り扱うことに長けている。

入不二の現実論においては、力としての現実性と、マテリアルとしての潜在性が重要概念であるが、生成においては、マテリアルとしての潜在性が大きな役割を果たしている。入不二のマテリアルとしての潜在性は、あらゆるものを発現させ顕在化させる傾向性を含んでいる。だから、マテリアルのうちに潜在した傾向性が、顕在化して発現することこそが、生成であるとも言える。

ここで重要なのは、入不二は、この生成は、無から有への生成とは考えていないという点である。あくまで、マテリアルの潜在から顕在への推移である。また、入不二にとって、顕在化することは必須ではないし重要でもない。入不二にとって潜在性とは、潜在しっぱなしでもいいものなのである。だから、この推移には、潜在しっぱなしとしての推移さえも含まれている。

以上のような意味で、入不二の現実論における潜在性には生成というB変容だけでなく、推移というA変容が含まれている。僕の考えでは、入不二の現実論は、B的な性格が強いけれど、やはりA的な要素が混入している。

潜在性からの生成

だが、ここで話を終えたら、僕は、入不二の現実論を正確に説明したことにならない。

入不二の議論をより正確に述べるならば、入不二が発見したB変容とは、正確には、A変容が横の推移とするならば、それに直交するものとして表現できるような、縦の推移とでも言うべき、全く別の推移のことである。だから、入不二の推移をA変容としての推移と同列に扱うのはおかしい。

今まで、僕は、A変容を推移、B変容を生成と使い分けてきた。だがこれは、説明を簡単にするための方便であり、あえて、A変容としての横の推移を推移呼び、B変容としての縦の推移を生成と言い換えてきただけなのだ。だから、入不二の現実論には、横の推移としてのA変容が含まれているというのは誤った指摘である。

だが、入不二自身の主張を離れることが許されるならば、僕が、B変容としての縦の推移を生成と言い換えることには、説明の簡便さ以上の意義があるとも言える。

なぜなら、入不二の潜在性というものを最も深く捉えるならば、潜在性があって、それが推移して、顕在化する、といった描写をすること自体がおかしいだろうからだ。最も深い潜在性とは、あらゆる描写からも潜在し、「潜在性がある」などと描写できないものであるはずである。それならば、このB変容という事態は、描写できないもの、つまり描写上の「無」から、いきなり、顕在化したものが生成したかのようにしか描写することはできないはずである。

確かに、入不二の潜在性は、A的な要素は含まれておらず、純粋にB的なものである。だが、入不二が読者に伝わるよう、サービスをして、それを「潜在性」と呼称する限り、そこには、純粋な言語としてのB的把握に加え、言語を言語として認識することを可能とするような、最低限のA的把握が混入してしまう。だからこそ、潜在性が顕在化する、というような推移的な描写が可能となるのである。

B変容に対して僕が採用した「生成」という言葉遣いは、便宜上の使い分けだけではなく、このような問題を踏まえ、より正確にB変容を描写しようとしたものだとも言えなくはない。

現実性

最後に、入不二ファンとして、入不二現実論のうちの、力としての現実性について付言しておく。

僕は、ここまでのA事実とB事実にまつわる矛盾に満ちた話に通底し、その矛盾を可能としているものこそが、力としての現実性であると考えている。

なぜなら、現実性の力は、遍在し、どこでもあまねくかたちで働くからである。それならば、当然、矛盾した場においても働くに違いない。「AかつB事実」という矛盾したあり方においても、現実性はあっけらかんと働き、それを現実としているのである。

そして、「AかつB事実」という事実が、A変容にせよ、B変容にせよ、もし仮に僕が思いもつかないようなC変容というものがあったにせよ、変容という動性に満ちたあり方をしているのは、この現実性の力によるのである。