これは2015年の冬か2016年に書いたと思います。

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クルミドコーヒーで哲学カフェも開催している影山さんの「ゆっくり、いそげ」という本を読んだ。

この本は、ざっくり言うと、人からテイクするビジネスばかりではなく、ギブのビジネススタイルもあるんだよ、と提案するビジネス書だ。
お客さんから、いかにお金をテイクするかばかり考えていたら、客の側だって、いかに店からサービスをテイクするかというような考えになってしまい、結局どっちもうれしくない。
それより、お客さんにいかにギブするかを考えたほうがいい。そうしたら、客の側もギブで返してくれる。という提案だ。
ただし、世の中うまくはいかない。
この本も、テイクを否定し、ギブだけを肯定する、という単純な図式ではない。著者は元々バリバリのコンサルで、現代資本主義社会の意義は重々承知しており、テイクのメリットも認めている。認めたうえで、ギブを提案している。
ここには、ギブとテイクとの間の複雑な関係がある。それは、矛盾した並立というか、拮抗と言ってもよいだろう。「ゆっくり、いそげ」というタイトルが示しているとおりだ。
ギブとテイクの拮抗をどのように実現していくのか。この本は、一般原則のようなものは提示してはいない。ただ、著者がクルミドコーヒーというカフェを経営していくなかで、現に行ってきたことを具体的に記述しているだけだ。(それが、この本の正しさなのだと思う。)
だから、この本を読んで、よし、ギブで何か事業をやってみるぞ、と思っても、同じようにうまくいくとは限らない。僕も、いつか、とは思ったけれど、簡単にはうまくいかないだろう。
ただ、僕はいくつか思いついたことがある。
いつか起業した未来の僕のために、つぎのことを備忘録として残しておきたい。
まず、ギブとテイクのバランスがとれるような、ある静的な一点があると考えてはいけない。
テイクだけを考えたらコーヒーは一杯500円だけど、ギブも考えればコーヒーを250円にすべきだ、というような単純な話ではない。
あるときは、事業の存続のため、テイクを考え、値付けしなければならないときもあり、あるときは、採算度外視でギブしよう、と考えるべきときもある。そんなふうに悩み、逡巡しつつ、ギブとテイクを揺れ動かざるを得ないのだろう。そんな動的な拮抗が、ギブとテイクの関係性にはある。
そして、そんな苦悩や逡巡が垣間見えるからこそ、テイクしつつもギブする、という複雑な思いが、ある営利事業に込められていることが、顧客や従業員に伝わるに違いない。こんなふうに、一段深いところで、その思いが伝わるからこそ、顧客や従業員もテイクしつつもギブするという心からの態度を返してくれる。そんな真摯な営みとしてしか、営利事業におけるギブは成立しないのだろう。
もうひとつ。
多分、ギブが成立しやすい場というものがある。
カフェは、生活に必須のものではない。カフェに行くためには、ある種の余裕が必要だ。
すごくお金に困っていたり、すごく時間に余裕がなかったりしたら、駅前のチェーンのカフェで済ませるだろうし、そもそもカフェになんて行かない。
クルミドコーヒーに行く人は、もともと、ギブをギブで返す余裕がある人だ。
もし僕が事業を始め、関係者とギブの関係を結びたいと思ったら、余裕がある人と関わるほうがよい。余裕がない人とはギブの関係は結べない。貧すれば鈍するだ。
なお、この提案は、社会の階級化を認め、固定化しようとするものではない。
余裕がある人同士でギブの関係を始めることで、余裕がない人を巻き込むことができるのではないかと考えている。
僕がここで言う余裕がない人とは、金銭的余裕がない人には限らない。というか、本質的には余裕がない人とは、お金の余裕の有無に関わらず、人生に余裕がない人のことなのだろう。いくらお金がなくても、人生に余裕があれば、お金がないなりのギブの関係が築けるはずだ。
だから、僕はギブの関係を現に始め、小規模であっても、それを維持することで、ギブの関係が成立することを周囲に示し、色々な人を巻き込むことができると考えている。
始めが肝心だ。カフェもいいけれど、僕なりのギブが成立する場を慎重に探し、第一歩を踏み出したい。