ハナの死で考えたこと

2016年1月7日の文章。

この文章がハナのお墓なのかもしれないなあ。

・・・

【はじめに】

ハナとは、うちのネコの名前だ。

2015年1月2日、午後6時50分、まだ生まれて1年半なのに、肝臓の病気で死んでしまった。
実は、この文章は、一度、かなり書き進めたところ、保存し忘れて消えてしまったので、もう一度打ち直している。
ハナは、こんな文章を書いてほしくないのかなあ。それとも、もう一度思い出してほしいのかなあ。なんてことも思うけれど、ともかく、僕は、この文章を書き終わることで一区切りつけられるような気がするので、もういちど書くことにする。
この文章は、大きく3回に分けて書いている。
まず、2015年大晦日、一人、スパークリングワインを飲み、弱ってきたハナを見ながら。
そして、翌2016年1月3日、ハナの火葬を終え、妻と娘がセールに行っている間に一人で。
そうしたら保存し忘れてデータが消えてしまったので、1月4日から7日にかけて、正月気分が残る職場から帰り、ハナがいない日常のなか、一人で。
【ハナが死ぬまで】
ハナの死は突然だった。
12月30日に肝臓の値が悪いことがわかってから、どんどん調子が悪くなり、わずか4日後の1月2日に死んでしまった。
思い返すと、最近、活動量が減ってきた気がした、とか、夏に肝臓の値が高く、落ち着いたところで再検査しましょうと言われていたのを忘れていた、とか、思い当たることはいくつかある。しかし少なくとも、12月26日に予防接種をするまではいつもどおりだった。調子が悪いなんて、全く気付かなかった。
【ハナの思い出】
僕は忘れっぽいから、今、思い出そうとしても、ハナとの思い出はあまり出てこない。
家に来てすぐは、まだ階段を登れず、階段の隙間から落ちたこととか、
小さい頃はリビングとダイニングの間を猫じゃらしを持って走り回ると後ろから追いかけてきたのに、最近は先回りして省エネしていることとか、
買ってきたときは好きじゃなかったハナちゃんベッドに結局は寝てることとか、
最初はベランダに出る猫用窓をうまくくぐれなかったけど、なんとかくぐれるようになり、だけどやっぱり、基本、開けてもらうのを待っていることとか、
帰ってくると玄関から出てきて、お出迎えをすることか、
ブックオフの紙袋が好きで、勢い良く飛び込むこととか、
1階と2階の間の階段に立ち、本棚の下の隙間から手を出すとじゃれてくることとか、
全然寝る気がないのに、無理やりお腹に入れると、脇をゴキュゴキュし始めることとか、
風呂を洗っていると入ってきて、高くなっているところでゴロゴロすることとか、
風呂から出ると、なでてもらうのを待っていることとか、
トンネルのおもちゃの隙間から手を出すと、ズサッと滑り込んでくることとか、
風呂の前の水は飲むけれど、ケージの中の水は飲まないこととか、
お気に入りの隠れる場所は玄関のタタキの下と僕のベッドの下とソファーの裏のダイソン掃除機の前とダイニングテーブルの下と妻の椅子の上のこととか・・・
忘れっぽい僕でも、このくらいすぐに思い出す。
そのくらいに、ハナは印象深い存在だ。
妻なら、
食洗機の蓋が開いていると間に挟まることとか、
朝、妻の部屋の窓から外を眺めることとか、
階段を降りるときはトコントコンと音がするけど、上がるときは音がしないこととか、
嫌なことがあったときは妻にニャアニャア文句を言うこととか、
そういうことを挙げるのかもしれない。
娘なら、
娘の部屋に入ると、娘のベッドの下に隠れることとか、
娘にはご飯の催促をしないこととか、
観葉植物や、ガラスのオルゴールを落とされたこととか、
他にも、僕が知らないことを、実は色々と知っているのかもしれない。
猫の手も借りたいと言うくらいで、ハナは何も役に立たない。
だけど、誰もいない家に帰ってくると、ハナは役に立っていたんだなあ、ということがよくわかる。
こういう、ハナの思い出というか、ハナの気配というか、ハナに対する僕達の関心というか、そういうものたちに、この家は埋め尽くされている。
ハナが、この家を充実したものにしてくれていたのだ。
【ハナの死を期待するということ】
僕は、そんなふうに、ハナが大好きだ。
だけど、一方で、ハナの調子が悪くなってからは、色々と大変だったなあ、という思いがまず先にある。
特に、ある種の閉塞感がきつかった。
具体的には、ハナが調子が悪くなってから、この状態はいつまで続くのだろうという考えが、頭から離れなかったのがきつかった。
正月休みが終わったら、仕事もあるし、このようにハナにベッタリと付いてあげることはできない。こんなふうに、夜もハナに付き添うなんて、いつまでもできるものではない。
そんな先の見えない、息詰まった感じが常にあった。
その感覚が生じる理由については、意識的に、ハナを心配しているからだと思うようにした。僕の事情による僕に対する心配ではなく、ハナの体調についての心配と置き換えようとしたのだ。
しかし、ハナの容体が悪くなり、また長期化するにつれ、いつ、ハナは死ぬのだろうか、という予測をしてしまうのを止めることができなくなってきた。
僕は、そんなことを考えてしまうのが嫌だった。これでは、ハナの死を期待しているかのようだ。
そうではなく、ハナが苦しんでいるから、その苦しみから解放してほしいと望んでいるのだと思おうとした。だけど、僕は、僕自身の事情で、ハナの死を期待しているということが、どこかでわかっていた。
そんなことを僕が考えているなんて思いもせず、ハナは頑張っている。とても申し訳なかった。
だから、ハナが僕の気持ちに気付かないよう、僕は、なるべく何も考えないようにした。ただ、ハナのことだけを見ていようとした。それが、とてもきつかった。
だから、ハナが死んだ時、泣いたのは、きつい閉塞した状況からの解放、という意味が多分にあったと思う。
もう、ハナがいつ死ぬかと考えなくてよい、僕はハナの死を期待しているのではないか、なんて思わなくていい、ハナの親として、ハナの幸せに責任を持ち、ハナの生を求めなくてよい、そう思った。一言で言えば、肩の荷が降りたのだ。
僕がこんなふうに泣いたのは初めてではない。
僕がまだ20代の頃、妻と付き合うと決め、それまで5年半付き合っていた彼女と別れたときの涙と同じ涙だ。
僕は、クリスマス・イブ、多摩川の河川敷で、彼女に別れを切り出した。僕が妻を選び、彼女との別れを望んだのに、涙が止まらなかった。
そのときは、なんでこんなに涙が出るのかわからなかった。ただ、そこにある種の解放感があることには気付いていた。
僕は、大学2年の春、彼女と付き合うとき、彼女を幸せにしようと心に決めた。だから、僕は、彼女を幸せにする責任があると思い続けていた。そう思い続けるべきだと思っていた。それが、徐々に重荷になり、彼女といることが楽しくなくなっていった。責任のために、自分を制限しているように感じてしまっていたのだ。
自分のために彼女を幸せにするのを諦めるなんて無責任すぎる。そもそも責任を果たさずに、幸せになることなんてできるのだろうか。だけど、今のままでは幸せになれない。そんなふうにグルグルと考え、行き詰まっていた。
しかし、妻と出会い、問題は、彼女と付き合い続けるか、別れるか、ではなく、妻と彼女のどちらを選ぶか、に変わった。短期的には二股もできるが、長期的にそんなことをするほど器用じゃない。それならば、どちらかしか選べない。
どちらにせよ、誰かを傷つけてしまう。どちらにせよ、完全に責任を果たし、いい人でいる訳にはいかない。そんな状況になって、はじめて彼女と別れることができた。
そんなふうにして、僕は肩の荷を降ろし、涙を流した。
このように考えると、ハナの死にせよ、彼女との別れにせよ、僕の涙には、ごまかしがある。自分のことをどこかで騙しつつ、それでも何とか荷を下ろすしかなかった。
彼女と別れたことで、僕は汚い大人になったのだと感じたことを思い出す。正確に言えば、ただ「汚い大人になった」のではなく、汚いけれど、それでもどこか凛と美しく、弱くて、強くて、無様だけど、どこかかっこいい大人になったと感じたのだけれど。
【ハナにかける言葉】
こんなふうに、今回のハナの死に際して、僕のハナに対する気持ちはかなり複雑なものだった。
それは、この数日で、ハナにかけた言葉にも現れていると思う。
ハナの死を覚悟してから、本当に、たくさんの声をかけた。
いつ死ぬかわからないから、とにかく何度も声をかけた。
そして、自分のことを考えず、ハナのことだけを考えるためにも、とにかく何度も声をかけた。
代表的なものを列記すると、
うちに来てくれてありがとう、大好きだよ、他のネコより美人で、かわいいね、宝物だよ、至らない親でごめんね、ずっと一緒にいたいよ、頑張ってすごいね、尊敬するよ、一緒に過ごせて幸せだったよ、いなくなったら寂しいよ、お疲れ様、僕達のことは気にしなくていいよ、もう無理しなくていいよ・・・
そんな言葉をかけた。
このように列記してみるとわかるが、深く考えずに、ただ、思い付く限りの言葉をかけていたから、矛盾がある。もっと生きてほしいのか、もういいのかわからないし、僕が幸せなのか、苦しいのかもわからない。
多分、どの言葉でも捉えられない気持ちを抱えていたのだろうと思う。
【別のネコを飼うということ】
死にゆくハナに対する感情は、主に2つの点で矛盾していたと思う。
第一に、もっと生きてほしいけれど、もういいという矛盾だ。
これは、先ほどの、ハナともっと一緒にいたいけど、死を望んでしまうという矛盾の話だ。
だけど、矛盾は、多分、それだけではなかったと思う。
確かに、責任を果たすという義務感と、その限界という矛盾する気持ちはあった。
しかし、それ以外にも色々な矛盾があった。例えば、ハナが苦しんでいるのを見ていられないけれど、そんなハナでも、一緒にいて、温もりを感じていたいという矛盾した考えもあった。ハナは、僕が矛盾した気持ちを抱え、苦しむことなんて、望んでいないと思いつつも、そんなふうにハナの気持ちを都合よく解釈してはいけない、という矛盾した考えもあった。また、ハナと遊んで楽しかったという思いが浮かぶと同時に、だけど、疲れて帰ってきたときに遊んであげるのは大変だったし、旅行に行くのに制約ができたりして、いないほうがいいなんて思ったこともあったなあ、なんていう矛盾した思いが生じることもあった。そんなふうに、様々なかたちで、矛盾がグルグルと頭のなかで渦巻いていた。
もう一つ、別の種類の矛盾として、僕はハナの親として頑張り、ハナを幸せにしたんだ、と思いつつも、親として、目が行き届かず、ハナのことを幸せにできなかったという矛盾した気持ちを抑えられなかった。
目が行き届かなかったというのは、具体的な後悔がいくつかあるからだ。
一番大きな後悔が、以前、病院に連れて行った際に、肝臓の数値が悪いので、落ち着いたら検査しておきましょうと言われたのに、病院に連れて行かなかったことだ。
確か、8月頃、原因不明でハナが吐いたので、病院に連れて行ったら、点滴を受け、回復したのだが、その際に血液検査をしたら、少し数値がおかしいと言われたのだ。
そのときは、何かエッセンシャルオイルとか、変なものを舐めて、一時的に調子が悪くなったのかな、というくらいに思っており、点滴を受けて、すぐに元気になっていたので、すっかり忘れていた。今回、先生とその話になったときも、再検査して問題がないという結果が出たんじゃなかったでしたっけ、と勘違いしていたくらいだ。
火葬した時、骨がすごく脆くなっていると言われたことを踏まえると、ハナの病気は長期的に悪くなった可能性が高い。それならば、このとき再検査しておけば、早期に発見でき、何か治療ができたのではないか、という後悔がある。
また、12月頃から活動量が落ちていたことを、見過ごしていたという後悔がある。今回のことがわかってから妻と確認したのだが、振り返ってみると、最近、ハナはあまり遊ばなくなり、寝ていることが多くなってきていたことに、ふたりとも薄々気付いていた。
遊ぶ時間が短くなったり、妻の椅子の上で寝ている時間が長くなったり、という変化に気付いていたのだ。しかし、ふたりとも、最近寒くなってきたからかな、大人になってきたのかな、というくらいしか思わず、それ以上は考えなかった。
そして、以前の検査で肝臓の数値が悪く、また、最近活動量が落ちていたのに、予防接種を受けさせてしまったという後悔がある。もし、事前に血液検査をしていれば、予防接種を受ける前に肝臓の病気がわかり、ここまで悪化しなかったかもしれないという後悔がある。配慮が足りなかった。
そんな後悔があるから、病気がわかってからは、後悔したくないと思った。だから、より責任を感じ、がんばってしまったのかもしれない。
そして、今も、別のネコを飼いたくないという気持ちになる一番大きな理由はここにあるような気がする。
確かに、別のネコを飼っても、それはハナじゃないとか、世話が大変だとか、旅行が制限されるとか、死を看取るのが辛いとか、色々な理由はある。しかし、一番大きな理由は、親として行き届かないことへの恐れだ。
確かに、ハナは捨て猫のままだったら、そのまま死んでいただろうし、実際、かなり、色々と気をつけてあげたとも思う。しかし、それはわかっていても、後悔の気持ちを抑えることはできない。理屈ではなく、僕は、僕を責めてしまう。
もし、次にネコを飼うことがあるなら、そのときには、もっと気をつけてあげたい。それができるようになったときに飼いたい。
【僕達の死後観】
僕は、死にゆくハナに様々な矛盾した言葉をかけた。
それは、どの言葉でも捉えられない気持ちを持っていたということだ。だが、もう少し正確に言うなら、どの言葉でも、僕の気持ちの一部を捉えられたが、一部を取り逃がしていた、と言ったほうがいいかもしれない。
例えば、僕がハナに対して強く思っていた気持ちとしては、ありがとう、という感謝の気持ちと、ごめんね、という後悔の気持ちがある。
うまくつなげれば、この二つの気持ちは矛盾してはいない、とも言える。僕は親として至らなくて後悔しているけれど、そんな至らない我が家を選び、ハナが来てくれたことには感謝している。というのは、不自然ではない。だけど、僕の気持ちは、そんなふうにまとめられるものではない。僕は、そんなふうに、感謝と後悔をつなげては感じていない。ただ、感謝と後悔の気持ちがグルグルと渦巻いているだけだ。
感謝だけでも、後悔だけでも、感謝と後悔をつなげても、どんな言葉でも、この気持ちを掬い取ることはできない。
それならば、ありがとうという感謝の言葉や、ごめんねという後悔の言葉は、僕の気持ちを全く表していないのかというと、そうではない。
僕の中に渦巻く気持ちのなかに、感謝の気持ちがあるのは確かだ。後悔の気持ちがあるのも確かだ。感謝していない、ということはない。後悔していない、ということはない。
これは、ハナの死を看取るという特殊な状況だから生じているものではなく、言葉というものにつきまとう限界なのではないかと思う。言葉は、感情をうまく表し切ることができない。(これは僕の哲学の話なので、ここまで)
また、ハナに対してかけた言葉のなかで、もうひとつ、興味深い矛盾が生じていた。
ハナが死んでから僕は、元気でね、天国でお母さんと楽しく過ごしてね、僕達を見守ってね、どこかで、また会おうね、そんな言葉をかけた。
そして、ハナが死んでから、妻と、ハナの死後について、色々と描写した。
お母さんネコに連れていかれて、天国に行った。僕達のことなんて気遣わず、そこらで楽しく遊んでいる。別のネコに生まれ変わる。もしかしたら、人間に生まれ変わるかも。僕達が死んだら、また、どこかで出会える。そんなことを言い合った。
これらの話をまとめると、ハナは、今、幽霊になってそこらへんにいたり、天国にいたり、遠くで生まれ変わったり、僕達の身近なところで生まれ変わったりするのを待っていたりする。これは、矛盾がある。
まあ、僕達の希望を述べているだけだと思えば、矛盾があってもいいのだが、そうとも思いたくない。
まず、思い付く簡単な解決策は、そこに時間経過があるというものだ。まず、幽霊として気が済むまで遊んだ後、天国に行く。そして、楽しく天国で過ごしているある日、神様に呼ばれ、生まれ変わることになる。僕達が死ぬまでは、他の人の家に生まれ変わったりもするが、僕達と転生のタイミングが合えば、また、近い存在としてお互いに生まれ変わる。そんな流れがありうる。
また、そのなかに、瞬間移動的なものを組み込むこともできる。普段は天国で過ごしていて、気が向いたら、外界に少し遊びに来るとか、転生しても、夜寝ているときは天国に戻っているとか、そんなかたちで。
だけど、僕は、そのようなかたちで、矛盾をきれいに解決したくはない。僕がハナに対して、天国や、転生や、お母さんネコのお迎えや、時々のうちへの訪問や、そういったものを、ハナが望むなら、すべてあげたい。僕が、そう信じることで、ハナの望みを叶えることにつながるなら、それでいいと思う。
【人とネコの距離】
と、このように色々と考えてきて、ふと思う。
ハナは、そんなことを考え、望んでいる訳がないと。
僕が抱える思い出や、僕が感じた閉塞感や、僕の後悔や、僕が願うハナの死後や、僕がハナと過ごして感じた喜びなんて、ハナにとってはどうでもいい。
なぜなら、それがネコなのだから。
僕のそんな思いなんて関係なく甘えてきて、遊び、寝るのがネコの良さなのだ。
それでも、僕は、思い出や後悔や死後の願いを抱えて生きていく。そして、また、どこかで閉塞感や喜びを感じることになるのだろう。なぜなら、それが人なのだから。
人とネコは、そのようにして、絶対に交わらないけれど、一緒に寄り添うようにして生きていく。それが、人とネコの距離だ。
おわり。
【参考 ハナが死ぬまでの経緯】
ハナは生後1月経たないうちに、公園でひどい状況で一匹でいたところを、妻の知人に保護され、推定生後1月でうちに来た。
母猫と幼いときに別れたからか、とても甘えん坊で、人の近くが好きで、いつも、僕達の近くにそっと座っているようなネコだった。
また、困ったことに、洋服をチュパチュパと吸って、そのまま食べてしまうという癖があった。ウールサッキングと言い、シャム系のネコに多く、親離れが早過ぎることとも関係があるそうだ。目が青く、アメショーとシャムの中間のようなうちのハナはまさしくそうだった。
あと、多分、これが親と別れた理由なのだと思うが、ハナは猫白血病という致死性が高い病気のキャリアだった。娘を産んだ母猫も猫白血病で、娘の世話ができなかったのだろう。
だから、僕は、ハナは異物を食べるか、猫白血病を発症するかして、早死してしまうことは覚悟していた。まあ、それも運命だし、仕方ないと思っていた。
実際、簡単には自力で吐き出せないような大きな結び目がある紐を食べてしまったので、6万円かけ、遠くの病院で内視鏡で取ってもらったことがあった。
また、吐いたので、病院に連れて行ったことも、最近では6月と8月末の2回あった。原因不明で調子が悪くなり、点滴すると元気になるということが何回かあった。
だけど、ハナは、12月26日、予防接種を受けるまでは、思い返すと、最近少しおとなしくなったな、大人になったのかな、と思った瞬間もあったが、基本的にとても普通だった。
本当は、9月頃に年1回の予防接種を受けさせる予定だったのだけど、娘の病気やら、妻の仕事やらがあり、すっかり先延ばしになっていたのを思い出し、受けさせたのだ。
12月26日朝、予防接種を受けた。2、3日は安静にしてくださいと言われたので、どうやってネコを安静にするんですか、と聞いたところ、追っかけたりといった興奮するような遊びをしないように、ということです、と説明され、そういうことですか、と合点がいった。休みでせっかく家にいるのに、もったいないなあ、なんて思いつつ。
この日は、確か、午前中はホームページの更新作業などをして、午後は部屋の片付けをしていたと思う。
うちでは、餌は、朝、起きた時6時頃と、夕方仕事から帰ってきたとき、6時頃と、夜寝る前、11時頃の3回餌をあげている。
朝は妻があげ、夕方は家に早く帰ってきたほうがあげ、夜は僕があげるというのがパターンだった。当然、休日で家にいると、夕ごはんは6時まで待ってくれないのだけど。
ハナの夕食は、あまり覚えていないが、多分、普通に食べていたと思う。
夜食は、たまたま、思いつきでウェットの缶詰を買ったので、特別にあげてみたら、嬉しそうに食べたものの、全部吐いてしまった。
吐いたものを見てみると、五本指ソックスの指一本分が出てきた。そういえば、少し前になくなってるなあ、と気づいたが、いつものことなので、あまり気にしていなかったのを思い出した。
夜、ハナは妻と一緒に寝た。起こされないよう、また、寝ているうちに変なものを食べないよう、夜はいつもケージに入れて寝ていたが、連休なので、一緒に寝ることにしたのだ。妻によれば、思い返すと、とても良い時間を過ごせたそうだ。
12月27日朝は、残りのウェットをあげたら、美味しそうに全部食べていた。
夕食と、夜食は、カリカリをあげたが、数粒残していた。妻と、時々あるんだよね、という話をした。
僕は、午前中は携帯の乗り換えと抱き合わせで加入した光回線の接続作業などをした。昼からヨガ帰りの妻に合流し、ご飯を食べ、買い物をして帰り、その後、窓を曇りガラスにするシートを貼る作業をした。かなり大変な作業で、昔、古い社宅に入る際に、妻と一緒にペンキを壁に塗ったのを思い出した。
この日もハナは普通に過ごしていた。安静に、ということなので、激しくは遊ばなかったが、シートを貼る作業を邪魔したり、普通にじゃれたりしていた。
だけど、夜は、妻の部屋には行かず、一人、ダイニングの妻の椅子の上に寝ていたそうだ。思い返すと、この頃には、多分調子が悪くなっていたのだろう。
12月28日は、朝、夕、晩と、カリカリをあげたが、少しずつ残す量が増えてきていた。
晩は、カリカリをあげても、砂をかける真似をするので、手にとってあげたら、手からは少し食べていた。僕は、食べなければ、ウェットが出てくると思っているのかな、気まぐれにウェットなんてあげなければよかった、なんて後悔していた。
ハナは、少しおとなしい気はしたが、食事以外は普通に過ごしていたし、それほど心配はしていなかった。
僕は年賀状を作り、妻は仕事をしていてつまらなかったので、夕方、靴を買いに行った。結局、良い靴がないので帰ってきて、ネットで4足も靴を買ってしまった。
ハナは、この日も、夜はダイニングで一人で寝ていたそうだ。
12月29日朝は、カリカリが皿に残っており、食べようとしないので、シーバをあげたら、喜んで食べた。
これから正月で病院も休みになるので、念のため早めに病院に連れて行ったところ、先生からは、胃に何か残っているのかもしれないし、薬の副作用かもしれないと言われ、抗生物質の注射を打ち、背中に点滴をしてもらった。
先生には、うちの子は病院に連れて行き過ぎですかね、なんて聞いたら、先生は、この子は何でも食べちゃう癖がありますから、仕方ないですよ、くしゃみしただけで病院に連れてくる人もいるけど、そういうのじゃないですから、なんて言っていた。ちょっと心配症なのかもしれないと思った。
先生からは、少しの間食事を控え、午後4時に少しだけご飯をあげて様子を見てくださいとの指示があった。
この日から、妻と娘は妻の実家に行き、僕は一人でハナの世話をし、31日から合流することになっていた。
昼は一人で何を食べようと思い、引っ越す前の家の近くにあるらしい古民家カフェに行ったが、休みだったので、以前、時々行っていた店でブリ照りを食べた。その後、家の近所にいい感じのカフェがないか捜索したが、見つからなかったので、家で本を読み、午後4時を待ち、ご飯をあげた。しかし、砂をかける真似をして食べないので、病院に電話したところ、今晩様子を見て、また、明日、病院に連れて来てくださいのとのことだった。
一人だったからか、僕は急に不安になってしまい、少しあわてて、近くのペットショップでウェットフードを買い、カリカリと混ぜて手から食べさせたところ、なんとか、少しだけ食べた。
12月30日朝は、もしかしたら、ウェットフードの種類が違うのが原因かもしれないと思い、近くのドラッグストアが開くのを待って、先日食べたのと同じ種類の缶詰を買い、ハナにあげてみた。しかし、ハナは砂をかける真似をして食べないので、あわてて病院に連れて行った。
このときは、もしかしたら猫白血病が発症してしまったのだろうかと不安になっていた。
しかし、望みを託し、何か変なものが胃に残っているかもしれないので、吐かせてみてくれませんか、と言ったところ、先生も、それを疑っていたらしく、吐く薬を注射してみることになった。
待合室で待っていると、ハナは吐きはじめ、何かが色々と出てきているようだった。
僕は、ほっとした。薬を入れても吐かない場合もあるし、吐いても何も出てこなかったら、原因が不明ということになる。しかし吐いてくれた。これで安心だと思った。
だから、先生から、タオル、ジーンズ生地、輪ゴム、糸くずと並べて見せられても、色々食べちゃってますねえ、なんて脳天気に話していた。
先生からは、たくさん吐いたので、点滴をしておきます、また、血清の色がおかしいので、念のため肝臓の値を検査しておきましょうと言われた。
僕は、夏にハナが吐いたので病院に連れて行ったとき、肝臓の値が少し悪いので、念のため少し経ったら病院に連れて来てくださいと言われたのを思い出した。その後、再検査して問題ないと言われたんじゃなかったでしたっけ、と言ったところ、先生からは、来てないですよ、と言われた。そのくらい忘れていた。その頃から肝臓が少し悪かったんですかね、連れて行くのを忘れていてすみません、とは言ったが、それが、そんなに大事なこととは思っていなかった。
そしてヨガに行き、喫茶店で時間をつぶし、夕方、ハナを迎えに行った。
すると、先生から肝臓の値が計測不可能なほど悪いと知らされた。腫瘍とかでないと出ない数値で、いつ死んでもおかしくない数値とのことだった。
また、だんだんよだれを出すようになってきたとのことで、奥から連れてこられたハナを見ると、口の周りがガビガビになり、元気がない姿になっていた。
猫白血病ではないのかと聞いたところ、値の出方として違うので、原因は不明とのことだった。
今後の治療について聞いたところ、強肝剤を注射し、栄養剤を点滴し、肝臓の再生により、少しずつ値が下がるのを待つとのことだった。数日で大幅に改善することは難しく、長期戦になるだろうとのことだった。
妻が帰ってくる2日までに死んでしまうことはないのかと聞いたところ、治療をしているので、それはないだろうとのことだった。
僕は、ショックを受け、家に連れて帰ると、ハナは、ダイニングの床暖の上で、ほとんど動かず、体を横たえていた。
体を丸めて寝ることもできないようで、体を伸ばして床にうつ伏せになり、じっと耐えているようだった。
普通は、椅子の上に乗って寝るのだが、上がることもできない。
手に付けた点滴の器具をかじらないよう、エリカラをつけていたのだが、とてもそんな元気はないようなので、すぐに外してしまった。
これは一人にはできないと思い、ダイニングに布団を敷き、一緒に寝ることにした。
ハナは時々、ダイニングテーブルの下から、トイレの前、キッチンの前と少しずつ、よろよろと場所を変え、また体を横たえていた。つらく、寝ることはできないようだった。
午前3時と、午前7時頃の2回、吐いた。
肝臓の値がこれだけ悪いと、気持ち悪く、ご飯は食べられず、よだれが出て、吐いてしまうのも仕方ないという先生の話を思い出した。
しかし、吐いても脱水にならないよう、しっかり点滴はしてあるとのことだったので、そのことはあまり心配しなかったが、ネットで検索するにつれ、死につながる状況ということがわかってきた。ただ、ハナはまだ若く、体力があり、高齢で肝炎になったネコとは違う、とも信じていた。呼吸も、1分に20~30回で、通常の範囲のようだった。
僕は、床暖を付けて寝たので、布団に変な熱がこもり、寝にくかった。ハナほどではなかったが、寝れなかった。うつらうつら、ぐったりしたハナを見ていた。
12月31日朝は、あまり抵抗できなくなったハナを洗濯ネットに入れ、キャリーに入れて病院に連れて行った。待合室は混んでおり、何匹もネコやイヌがいて、飼い主が楽しそうに話していたが、僕は輪には入れなかった。うらやましかった。
ハナを預け、家で本を読んだりして過ごした。
気分転換にドトールでコーヒーを飲み、近くの身代わり地蔵と神社でお参りをした。
僕のポリシーとして、ハナが元気になりますように、とは祈らなかったが、今年、ハナと過ごせたことのお礼をして、できれば来年もハナと一緒に過ごせますように、と祈った。
夕方、ハナを引き取りに行き、先生にハナの様子を聞いたところ、変化はないとのことだった。変化がないことはいいことなのか聞いたところ、黄疸も出ていないということなので、悪くはないということだった。
ネットに入れようとすると、ネットに入れる必要はないと言われた。できていたことが、だんだんできなくなっていくのが悲しかった。
家に連れて帰ると、明らかに、昨日よりも調子が悪そうだった。呼吸が早くなっており、1分間に50回近くと倍増していた。また、一箇所に止まって休むこともできないようで、少し休んでは動き、を繰り返していた。表情も、苦しみに耐えているような表情になっていた。
思い返すと、この日が一番つらかったのではないかと思う。
病院に連れて行くたび、ストレスによるのか、悪化しているようだった。しかし、治療をしなければ良くならないし、点滴で栄養を取らないとどうしようもないということもわかっていた。
僕は、昨日の反省を活かし、布団をリビングに敷き、そちらは床暖をつけなかった。
年越しまで、スパークリングワインを飲みながら起きていて、除夜の鐘を確認してから、ハナにあけましておめでとうを言い、寝た。
夜中に、ハナに覗きこまれている気がしたのを思い出す。そして、朝方、ハナが足元にいるのに気づき、目が覚めた。こういう状況でも、人懐っこくてかわいい。
まだ明るくならない部屋の中、そっとハナを撫でると、かすかに音を立てた。聞いたことがない音だったが、多分、とても弱くゴロゴロと喉を鳴らしていたのだろう。
あまり触ると体力が落ちると思い、我慢していたが、我慢しきれず、思わずなでてしまった。このときが、最後のゴロゴロだったので、撫でておいてよかった。
1月1日朝、病院に連れていく前に、ハナを抱き、家中をパトロールをした。いつも窓から外を見ていた妻の部屋も見せた。しっぽを振り、嬉しそうに顔を動かしていた。あたりを見回していたのだろう。ずっと、こんなハナが見たいと思った。
明日もパトロールしようね、と言い、キャリーに入れ、病院に連れて行った。
新年の挨拶をして先生にハナを見せたところ、ハナの顔を見るなり、先生は、黄疸が出てきていると言った。ショックだった。
呼吸が早いと言ったら、レントゲンを撮ってくれたが、腹水は溜まっていないとのことだった。レントゲン代はいいとのことで、正月も休みなのに見てくれるし、本当に良心的な病院だ。
僕は何をする気もせず、家でぼうっとしていた。ただ、ハナのために何かできないかと思い、ひたすらネットで検索をしていた。すると、同じような状況から生き残ったネコの共通点は、食べられたかどうかにあることがわかってきた。強制給餌をして、もし食べてくれたら生きる可能性が少し出てくるのではないかと思った。休みにも関わらず、何度も先生に連絡したところ、きちんと対応してくれたが、先生としては吐くと体力がなくなるのでおすすめできないとのことだった。
僕は昨日行ったのと同じ神社で初詣をして、買ったこともない破魔矢まで買った。おみくじも引いた。大吉で、病気は長引くが問題ないとのことだった。僕も娘も妻も昨年は色々と病気があったが、ハナも含め、みんな、このおみくじが当てはまるといいな、と思った。
参拝を待っていると、娘の学童時代の友人家族に会ったが、あまり話すことはできなかった。向こうもあまり話しかけてこなかったので、どこか意気消沈しているように見えたのかもしれない。
夕方、ハナを迎えに行くと、ハナはウォー、ウォーと変な声で啼くようになっていた。目が少しおかしく、表情が変わっていた。黄疸もひどくなってきていて、綺麗な青だった目が緑色になっていた。
ハナは病院に居る間に、大きく状況が変わる。覚悟していた以上に変わる。よほどストレスなのだろう。
僕は、先生に、どうしても強制給餌をしてみたいと言い、先生からは、飼い主のお気持ちなら、と言われた。
家に帰る間も、ハナは、キャリーの中でウォーウォーと啼き続けていた。ハナ、と言っても、もうわからないようだ。とても悲しかった。
家に着き、ハナをキャリーから出すと、ハナはウォーと啼き、僕から離れ、壁伝いにぐるぐると家を回り始めた。体の片方を壁に当て、機械的に歩き続ける。足元にコードがからまっても、気付かず歩く。そして時々、力尽きると壁に頭を付けて止まる。そして、また歩き出す。更に疲れて倒れると、少し休み、また気付いたように起き上がり、歩き出す。倒れて休んでいる間は、少し正気に戻っているように見えるが、また、戻ってしまう。
呼吸も、昨日の更に倍の1分あたり、100回以上になっていた。
ここからの数時間はとても長かった。
もともとは、妻と娘は、1月2日の昼に帰ってくる予定だったが、昼の時点で、それではハナと会えないかもしれないと思い、今日の夜中に帰ってくることにしてもらったのだ。妻とハナを会わせたいということもあったが、僕が一人で抱えるのは限界だった。
夜11時半までの6時間が長かった。
しかし、良いこともあった。ハナが落ちないよう、二階から降りる階段を空気清浄機で封鎖しておいたのだが、僕が、用があって一階に降りたところ、ハナが乗り越えて、転がり落ちるように降りてきた。
こんな状況でも僕を追いかけてきたのかと思うと、とても愛おしかった。
また、強制給餌も少し成功した。トレーニング用に家にあったBCAA入りの水を、スポイトで飲ませたら、舌をペロペロと出し、飲み込んだのだ。BCAAは、人間の肝炎に良いようで、多分、ハナの症状と思われる、肝性脳炎にも良いという情報もあった。調子に乗って、ウェットフードを丸めて口に押し込めても、吐き出さなかった。もし、明日から、強制給餌を続けられれば、良くなるかもしれないと少し期待した。
と、少し気分が明るくなったところで、妻と娘が帰ってきた。
ハナはウォーウォーと大きく啼いた。妻と娘は変わり果てたハナを見てショックを受け、泣いていた。
しかし、こんなに大きく啼いたのは、このときだけだったので、ハナは何かわかっていたのだと思う。ハナは、脳がダメージを受けてしまう前に、とても大切にしていたもののことを、思い出して声が出たのではないかと思う。
僕は、少し力が抜け、1時頃には寝てしまった。妻は、ぐるぐると歩き、だんだん、歩き疲れ、休む時間が多くなっていくハナをずっと見ていて、そのうち、二時半頃には寝てしまったとのことだ。
そして、二人が寝てしまった後、午前4時半頃、ハナがドタっと倒れ、大きく啼く声で目が覚めた。
もう力が尽き、歩けなくなってしまったようだ。それはそうだ。こんなに歩いたのだから。起きて見守っていると、ハナはそれでも起きて、なんとか歩こうとするが、もうちゃんと立つこともできなく、脚を踏ん張っても滑って倒れてしまう。
6時頃には、もう横たわったままになってしまった。
もう目はほとんど見えていないようだった。撫でたり、ハナと呼んだりすると、しっぽを動かしていた。
そして、1時間に1、2度、立って歩こうとする。あまり動くと体力を使うので、抱っこしてあげると、立てたと思うのか、しっぽを振り、歩くように脚を動かす。抱っこをして部屋を歩いてあげると、その刺激がよいのか、落ち着き、嬉しそうにする。
何度か、家の中の全ての部屋を一緒にパトロールしてあげた。だけど、もうハナはわかっていないようだった。昨日、明日もパトロールしようね、と言ったけど、それは半分しか叶わなかった。妻にも、昨日のパトロールを見せてあげたいと思った。
病院に電話し、相談したが、もう連れて来るのはやめてもいいのでは、という話になった。
治療しなければ、生きることはできないが、治療をしたとしても、同じ治療しかできず、それで回復するかはわからないということだった。
僕は、何かができるのに、それをしなくてよいのか、とも考え、悩んでしまったが、もし、病院に連れて行けば、ある程度の可能性で、病院で、誰にも看取られず死んでしまうかもしれないという状況は受け入れられなかった。
よい天気で、旅立ち日和なのが救いだった。
午前中には息絶えてしまうのではないか、とも思ったが、午後になっても、ハナはがんばっていた。
徐々に時々歩こうとする動作も弱くなり、目や耳が動くこともなくなり、呼吸も少しずつ弱くなっていったが生きていた。
思えば、朝から晩まで、こんなにハナのことを、ずっと見ていることなんてなかった。
体の模様がこんななんだ、なんて気づかなかったこともあった。
いつ死んでしまうかわからないので、ずっとハナを見ていると時間の感覚がよくわからなくなってきた。
このままハナが永遠に行きていればいいと思うけど、このままずっと、こうしていることはできない。精神的にもきつい。だけど、もし、目を離すと、そのときにハナが死んでしまうような気がして、目が離せなかった。
そして夜になり、思いつきで、3人と1匹で新年会をすることにした。
それまでは、ずっとリビングに横たわるハナを見ていて、コンビニで買ってきたサンドイッチやおにぎりを合間にかじるだけだったが、ちゃんとご飯を食べよう、ということになった。
食欲なんてなくて、サラダに冷奴、納豆くらいだったが、久しぶりの夕ごはんだった。
ビールも出し、乾杯をした。
ハナもいつもの場所に置き、参加させた。
そして、久しぶりにテレビも付け、娘の友人の話など、ハナと関係ない話もした。
食べ終え、夜、どのようにハナの面倒を見るか、なんて話をしていたら、ハナの呼吸が急に落ち着き、2回、大きく伸びをした。
死が近いと気づき、妻にハナを抱かせ、僕と娘でハナを撫でた。
ハナは、3回、口から食べ残りなどを出し、息絶えた。
涙があふれるように出た。だけど、その涙は、どこか安堵の涙だったように思う。
ハナが寂しくないように、最後まで付き合い、ちゃんと勤めを果たすことができた。ハナが苦しまないように、というのが最後の願いだったが、それは果たすことができた。
もう、この役目から解放された。そんな涙だったように思う。
最後の数時間のハナは、苦しさや狂気から解き放たれ、とても穏やかな顔をしていた。そして、そのまま息を引き取った。それがとても嬉しかった。
それに、新年会を待ち、更に食べ終わるのも待ち、夜の世話の話をし始めた時に旅立つなんて、できすぎている。ここしかないタイミングだと言ってもよいだろう。
そして、手際よく、ハナを、バスタオルに載せ、フライパンが入っていたダンボールに入れ、ケージの前に置いた。
僕は、火葬場を探して予約し、娘は部屋から折り紙で折った花を持ってきてくれた。
みんな覚悟ができていて、どこかで脳内シミュレーションをしていたから、とてもスムーズだったのだろう。皆が口には出さなかったが、この状況を想定していたのだ。
火葬場が、明日2日の12時で予約できたので、今夜が通夜だ。
妻と、ハナの前でワインを飲んだ。さっきは乾杯だったのに、その1時間後には別れの酒だ。ハナはだんだん冷たく、固くなっていった。
そして、リビングに布団を敷き、僕が一緒に寝ることにした。
目を閉じるとすぐに寝てしまった。
1月3日、朝起きて、火葬場に行くための車を借り、妻は飾るための花を買いに行った。正月なので近所の花屋は開いておらず、遠くまで行った。
おもちゃ、ご飯など、一緒に焼いてもらうものを準備した。
そして時間になったので、最後に、ダンボールに入ったハナを連れ、最後に全ての部屋をパトロールし、家を出た。
火葬場は娘が少しの間行っていた塾の近くにあった。こんなところにこんな施設があるとは知らなかった。
手続きをして、お別れの場所に行き、ハナを台に置く。ハナはとても固くなっていた。そして、花を飾り、餌とおもちゃを置く。ハナは上の階にある火葬場にエレベーターで連れて行かれた。
火葬には1時間半ほどかかるとのことだった。そんなにかかるとは思っていなかったので、手持ち無沙汰で待合室で待つことになった。
壁には色んなイヌ・ネコの写真が貼られていた。イヌは10歳以上、ネコは下手をすると20歳以上なんてのが多く、ハナのような若いネコはいなかった。
これだけ長く一緒にいたペットと離れる寂しさは想像できないが、逆に大往生なので、僕達が抱えているような無念さ、足りなさは少ないかもしれないと思った。どちらがいいのかはわからないけれど。
娘がお腹がすいたと言うので、近くの牛丼屋に行き、戻ってきて少し待つと、準備ができたとの声がかかった。
一度、待合室を離れ、気分転換できたからかもしれないが、骨になったハナと、少し、清々しい気持ちで対面することができた。妻も、少し気分の整理ができたと言っていた。
あまり深刻にならず、ハナを車に乗せ、家を離れる際にも、学校の話なんてしていた娘に少し助けられた気がする。
ハナの骨はとても脆く、あまり形が残らなかったとのことだった。高齢で寝たきりになったネコのような骨で、この骨で普通に生活していたとしたら、かなり無理をしていたのではないか、限界だったのではないか、という話だった。子供の頃、栄養状態が悪かったのが原因では、ということだった。
この話のとおりなら、生まれてすぐ、僕達に会うまでの時間が一番の原因で僕達のせいではないということになる。
僕は、肝臓の数値が悪かったのに検査をしっかりしなかった、ハナの変化に気付いてあげられなった、と、自分を責めていたので、少し救われた気がした。
ハナは骨壷にきれいに収まり、とてもコンパクトになり、帰宅した。
そして、ハナをテーブルに置くとすぐに、妻と娘をセール会場まで車で送った。
僕は、すぐに家に帰り、この文章を打っていたが、じきに妻が帰ってきて、そして、服をたくさん買って嬉しそうな娘が帰ってきた。
妻が、ハナのものがあると思いだしてしまう、というので、僕と妻は、夕方までに、ほぼすべてを片付けた。
おもちゃなどはネコを飼っている妻の友人にあげ、エサは僕の母が飼っているネコ、ミミにあげることにした。
ケージやトイレは、妻が、もし、次のネコを飼った時に使いたいというので、実家に置いてもらうことにした。
そして、僕たちは、時々、ハナの不在を感じながら、少しずつ、日常に戻ってきている。
僕は別のネコを飼いたいとはとても思えないが、妻が飼いたくなるのは時間の問題だろう。
これが、ハナが死ぬまでの経緯だ。

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