タロットの逆位置問題

1 はじめに

最近、周囲にタロット占いをやる人が多いから、僕も影響されてタロットカードを買ってみた。タロット占いとは、カードをトランプのようにシャッフルしてから何枚か並べ、出たカードを解釈して占うものだ。占いは女性のものというイメージだけど、タロット占いは結構ポピュラーだから男性でも見たことくらいはあるかもしれない。

タロットカードには色々な象徴的な絵が描かれていて、それを手がかりにして出たカードを自由に解釈して占う。ただ、一応、基本的な意味があって、例えば(カードの並び順上では最初にあたる)「愚者」(the Fool)のカードならば、崖から躍り出ようとするピエロのような若者が描かれており、それは、柔軟性や無邪気を象徴するとされている。今後の彼氏との関係について占っていて「愚者」のカードが出たら、このカードは、柔軟性や無邪気を意味するから、彼氏の前ではもっと自由に振る舞っていいんだよ、なんてアドバイスすることになる。柔軟性や無邪気というのはあくまで基本的な意味であって、そこから色々なイメージを膨らませ、様々な解釈ができるから、タロット占いというのは、占う人の力量が問われるタイプの占いのように思う。

力量が問われる一方で、カードさえ買えば手軽に始めることができる。僕も中古で買ったタロットカードで、ネットで占い方を調べて、自分のことを占ったりしている。これなら1000円くらいしかかからない。

僕のようなタロット初心者にとって、まず大きな問題となるのが、解釈の際に、逆位置を採用するかどうかだろう。

タロット占いを知らない方のために説明すると、タロットとトランプでは、絵に上下の向きがあるという点が大きく異なる。トランプは絵札であっても上下両方から同じように見えるよう描かれているが、タロットはそうなっていない。だから、上下が混ざるようにシャッフルすれば、逆さに出ることもある。逆さに出たら逆位置で、ふつうに出たら正位置と言う。

逆位置に出た場合に、それを意味があることとして、正位置の場合とは違う意味を有するものとして解釈するかどうか、つまり逆位置を採用するかどうかは、有名な占い師の間でも意見が異なるようだ。この逆位置問題について、この文章では考えてみたい。

占い師でもなんでもない僕が、なぜこんな話に首を突っ込むのかというと、この問題は哲学的に取り扱うことができると思ったからだ。

結論から言うと、逆位置とは、論理学で言う「否定」(~ではない)という操作ではないかと思われる。論理記号では「¬」と表される、あの否定だ。逆位置とは正位置の否定であるとしたうえで、「否定」とは何を意味するのかを考えれば、おのずから逆位置問題に答えが出るのではないだろうか。このようなアイディアを思いつき、この文章を書くことにした。

2 占い師にとっての逆位置問題1 採用派と非採用派の主張

さて、まずは、これまで占い業界において、逆位置問題がどのように取り扱われてきたかを確認するところから始めよう。素人の僕が、ざっとサイトを見た限りでは、逆位置採用派・逆位置非採用派の2つの流派があり、そのように扱う理由はそれぞれ次のとおり列挙できるようだ。

(逆位置採用派)

理由1 タロットカードの(創始者?が書いた)権威のある解説書では逆位置を採用している。

理由2 逆位置にカードが出るということ自体になんらかの意味があるはず。

理由3 逆位置を採用すれば、出るカードの種類が2倍になり、より詳細に占える。

(逆位置非採用派)

理由1 実はタロットカードの権威(創始者?)その人は、実は逆位置は採用していなかったのでは。

理由2 逆位置を使うと、悪い結果が出やすくなる。

(タロットは正位置だと良いカードが多く、逆位置だと悪い意味となるものが多いのです。)

理由3 逆位置を解釈するのは難しい。

理由4 逆位置を使わないほうが、メッセージが明確なものになる。

こんな理由から、占い業界は、逆位置採用派と非採用派が混在している状況にあるようだ。

(脇道にそれるけれど、少なくともネット上では、逆位置を採用するかどうかの熱い議論はないようだ。そこに僕は興味をひかれた。占い師は、客観的に正しい占いの手順なんていうものに興味はないのだろう。占い師というものは、ただ、自分が納得できる、自分にとっての正しい占いというものだけを追求しているのだろう。これが占いというものの本質であり、もしかしたら、哲学とも似ている部分かもしれない。)

両派が掲げる理由について、検討に値するものかどうかひとつずつ見ていこう。

まず、採用派・非採用派それぞれの理由1として記載した、歴史的な観点からの理由については、占い師としては最重要かもしれないが、部外者の僕にはあまり関係ないことなので無視してよいだろう。

次に、採用派の理由2「逆位置にカードが出るということ自体になんらかの意味があるはず。」については、考えてみれば、これは逆位置が出るように上下を混ぜてシャッフルするからこそ出てくる意見だ。逆位置を使う占い師は、全てのカードをテーブル上に伏せて、円を描くように混ぜたりするのだが、もし、普通にトランプをシャッフルするように向きを変えずに混ぜれば、逆位置が出ることはありえない。逆位置が出るようなシャッフルの仕方をするそもそもの理由が別にあるはずであり、そもそもの理由の方を考えるべきだろう。

また、非採用派の理由2「逆位置を使うと、悪い結果が出やすくなる。」については、実際に誰かを占うにあたっては、傷つけないようにするための大問題なのだろうだが、明らかに僕の哲学的な興味とは異なる問題なので、これも無視する。

(なお、そもそも、良い結果、悪い結果とは何を意味するのか、ということについては、最後の方で、別の方向から少し論じている。)

このように消し込んでいくと、検討に値するものとして残るのは、次の理由となる。

採用派 :理由3 逆位置を採用すれば、出るカードの種類が2倍になり、より詳細に占える。

非採用派:理由3 逆位置を解釈するのは難しい。

非採用派:理由4 逆位置を使わないほうが、メッセージが明確なものになる。

これらの残された理由を眺めてみると、いずれも、逆位置を使うと占いが複雑・詳細なものになり、逆位置を使わないと単純・明確となる、という関係性に集約できることに気づく。

逆位置を使い占いが複雑で詳細なものになることを肯定的に受け止めるならば、逆位置採用派となり、否定的に受け止めるならば非採用派となる。これが、逆位置について見解が分かれる基本的な構図だと言ってよいだろう。

3 占い師にとっての逆位置問題2 逆位置の解釈の混乱

タロット占いにおいて、逆位置を使うと複雑・詳細になるとは具体的にどういうことか、逆位置の解釈の基本的な考え方をネットから引用しよう。

基本的に逆位置の解釈は、正位置の解釈を下記の6パターンに当てはめて考えるとわかりやすいかと思います。
1.正位置の意味が強く現れる
2.正位置の意味が弱く現れる
3.正位置の否定
4.ネガティブな部分がクローズアップ
5.方向性がズレている
6.カードの下部の寓意が強調される

(「心斎橋の占いサロン 現の部屋」(https://uranai-shinsaibashi.com/)より)

プロの占い師が素人向けに書いただろうこの文章を見ただけで逆位置の採用により、解釈が複雑・詳細なものになることがわかる。なんと、逆位置の解釈は6通りもあり、正位置の解釈よりも、少なくとも6倍の広がりを持っているのだ。(色々な組み合わせができることを考えれば、2の6乗、64倍くらいの広がりはありそうな気もします。)

逆位置を採用すると、少なくとも、6倍は詳細に占うことができ、6倍は難易度が上がり、6倍は結果が複雑なものになる。これを肯定的に捉えるなら逆位置採用派となり、否定的に捉えるなら逆位置非採用派となる。

ここで話を終えるなら、逆位置を採用するかどうかは、難しさと明確さのどちらを重要視するかどうかという、その人の好み次第となる。また、プロの占い師に限れば、難易度が高くなっても詳細に逆位置を使って占うべきで、複雑な結果をわかりやすく説明するところにこそプロの力量が問われる、という話になりそうだ。

しかし、どうも僕にはそうは思えない。ネット上で具体的な逆位置の解釈例を眺める限り、逆位置とは単に解釈の幅が広げるだけでなく、解釈の混乱を招くように思える。その混乱とは、一貫性のある解釈さえも不可能にするもののように思える。

具体例により説明することとしよう。例えば、「愚者」(the Fool)のカードの正位置は、柔軟性や無邪気を象徴している。この正位置の解釈を基本とし、そこから派生するように逆位置の解釈が導かれる。先ほどの6パターンの逆位置の解釈方法を適用するなら次のようになる。(この解釈例が占いとして正しいかどうかは自信がありません。)

逆位置に出た愚者のカードの解釈としては、

「1.正位置の意味が強く現れる」ならば、無責任で過剰な奔放さ

「2.正位置の意味が弱く現れる」ならば、陳腐な気まぐれ

「3.正位置の否定」ならば、消極さ

「4.ネガティブな部分がクローズアップ」ならば、軽率さ

「5.方向性がズレている」ならば、誤った方向への変化

「6.カードの下部の寓意が強調される」ならば、足元の危険への囚われ

(愚者のカードの躍り出ようとするピエロのような若者の足元には、切り立った崖が描かれているのです。)

といった解釈が導かれる。

このように並べてみると、逆位置の解釈は混乱しているのは明らかではないか。例えば、1の解釈からは奔放さが導かれ、3の解釈からは消極が導かれるが、奔放さと消極さは真逆とさえ言える。逆位置の解釈はそれぞれ異なりすぎて、どの解釈を採用するかで、全く違う結論になってしまうのだ。いずれの解釈とするかを占い師のインスピレーションで決めるしかないのだが、それはつまり、占い師がほぼゼロから自分の頭で考えるということに等しい。それが許されるなら、そもそもカードなんて要らないような気がしてくる。

こんな混乱を招いてしまうような逆位置は、やはり導入すべきではないのではないか。これが、僕がタロットカードをやってみるにあたり、まず考えたことだ。

4 僕にとっての逆位置問題1 逆位置の否定性

以上は、実際に占いをやってみて思いついたものであり、いわば占い師の範疇での逆位置問題についての考察であると言ってよい。多くの人が思いつくような内容なのではないか。だが、ここからは、占いの部外者ならではの独自の考察を進めたい。

先ほど、逆位置の解釈は、過剰に複雑であり、真逆の解釈がいずれも可能になるような、混乱したものである、という話をした。

しかし、いずれの逆位置の解釈も、「否定」という操作を加えた結果だと考えてはどうだろうか。そのように考えることができるならば、全くの無規律ではなく、そこに規則性を見出すことができ、逆位置の解釈全般について筋が通った考え方ができるように思える。

この文章のはじめに、僕は次のように述べた。

逆位置とは、論理学で言う「否定」(~ではない)という操作ではないかと思われる。論理記号では「¬」と表される、あの否定だ。逆位置とは正位置の否定であるとしたうえで、「否定」とは何を意味するのかを考えれば、おのずから逆位置問題に答えが出るのではないだろうか。

ここからは、この話、つまり逆位置の否定性の話をしたいのだ。

愚者のカードを例にして逆位置の解釈について再考してみよう。そのために、まず、愚者のカードが逆位置で出た場合の解釈の仕方がどのようなものだったのか再掲しておこう。

正位置の愚者のカードが象徴する「柔軟性や無邪気」から派生し、逆位置の愚者のカードについては次のような解釈がなされるのだった。

「1.正位置の意味が強く現れる」ならば、無責任で過剰な奔放さ

「2.正位置の意味が弱く現れる」ならば、陳腐な気まぐれ

「3.正位置の否定」ならば、消極さ

「4.ネガティブな部分がクローズアップ」ならば、軽率さ

「5.方向性がズレている」ならば、誤った方向への変化

「6.カードの下部の寓意が強調される」ならば、足元の危険への囚われ

僕は、いずれの逆位置の解釈も、もともとの正位置の場合の意味に否定の操作を加えることによって導くことができると考えるのだが、どうもこのままでは難しいようだ。正位置の「柔軟性や無邪気」という短い定義をどう操作しても、逆位置のこれほどの多様な解釈は導けない。

だが、正位置の場合の愚者の意味を次のように定義してみたらどうだろう。

「柔軟性や無邪気という正位置の象徴が、①多すぎもなく、②少なすぎもなく、③全体として、④あるべき方向に向かって発露していること」

というように。

このように定義すれば、この定義の一部に否定の操作を加えることで、逆位置の解釈を導き出すことがきる。

「1.正位置の意味が強く現れる」については、上記定義のうち「①多すぎもなく」の部分を否定することである。その結果、無責任で過剰な奔放さという解釈が導かれる。

「2.正位置の意味が弱く現れる」については、「②少なすぎもなく」の部分を否定することである。その結果、陳腐な気まぐれという解釈になる。

「4.ネガティブな部分がクローズアップ」ならば、「③全体として」の部分を否定するということで、それが、軽率さにつながる。

「5.方向性がズレている」ならば、「④あるべき方向に向かって」を否定するということで、誤った方向への変化という解釈に至る。

「6.カードの下部の寓意が強調される」については、(少々テクニカルなので表現が難しいが、柔軟性や無邪気といった象徴する内容ではなく)正位置の象徴自体が「③全体として」発露することを否定することと考えてよいだろう。

最後に「3.正位置の否定」については、「柔軟性や無邪気」という主語を否定し、つまり、「柔軟性や無邪気」の正反対の消極さを意味することになるということだ。

このように、正位置の意味とは、単に「柔軟性や無邪気」といったような概念として象徴されるだけではなく、その象徴が、「①多すぎもなく、②少なすぎもなく、③全体として、④あるべき方向に向かって発露していること」として考えるべきなのだ。

そのように正位置の意味を捉え直したうえで、逆位置の解釈は、「◯◯という正位置の象徴が、①多すぎもなく、②少なすぎもなく、③全体として、④あるべき方向に向かって発露していること」という正位置の定義のうちの、ある特定の部分を否定することによって導かれることとなる。逆位置の解釈は、混乱しているかのように思えるほど多様だが、その多様さは、実は、正位置の定義のどの部分を否定するかの違いによって生じたものに過ぎなかったのだ。逆位置の解釈には、正位置の定義の否定により生み出されるという、一貫した法則性があったのだ。

このようにして正位置の再定義と、そこからの否定の操作を通じて、整合性のある逆位置の解釈が可能となる。以上が、逆位置の否定性の話だ。

正位置と逆位置を適切に定義づければ、一貫性のある解釈が可能となり、逆位置の解釈の混乱を避けることができる。奔放さと消極さのような正反対の解釈が導かれたのは、混乱によるものではなく、単に正位置の定義の否定の仕方に違いがあっただけなのだ。そう考えると、逆位置採用派に軍配を挙げたくなる。

(正位置について「①多すぎもなく、②少なすぎもなく、③全体として、④あるべき方向に向かって発露していること」としたけれど、これは絶対的なものではありません。あくまで、逆位置の解釈が「心斎橋の占いサロン 現の部屋」さんの提案するとおり6通りあるとしたなら、逆算として、正位置について、このように定義づけられるということです。逆位置の解釈について更に理解が深まれば正位置の定義も見直されるだろうし、正位置の捉え方を深めることで、逆位置の解釈も見直すことができるかもしれません。そのような意味で、逆位置を採用するかどうかに関わらず、正位置と逆位置の両方の解釈について学ぶことで理解の相乗効果が生じるように思います。)

5 僕にとっての逆位置問題2 逆位置を導入する本当の理由

だが、これを結論とせず、もう少し話にお付き合いいただきたい。ここで僕は疑問に思う。なぜ、タロット占いにおいて逆位置を採用するのだろうか。なぜ、カードの解釈に否定という操作を加えるのだろうか。

実生活であれば、なんらかの事情があって否定という操作を行う。

例えば「信号が赤い。」という文章を否定すると「信号が赤くない。」となる。この「信号が赤くない。」は、「信号が青い。」や「信号が黄色い。」を意味するが、そのような否定の操作は例えば、こんな場合に行うのだろう。

僕はドライブをしている。信号がある交差点に差し掛かるが、信号の一部が木の枝に隠れていて、ちょうど赤信号以外が見えない。唯一見える赤信号は消灯している。車を運転している僕は、今、「赤ではない」色の信号(つまり青か黄色の信号)が点灯していると考え、気をつけつつも車を進める。

これが、「信号が赤い。」を否定するということであり、否定の操作を実生活上で行うということだ。このような否定の操作には、行うべき事情がある。

では、なぜ、タロット占いにおいて、逆位置を採用し、否定という操作を行うのか。そこには、どのような事情があるのか。そこには、逆位置推進派が主張するような理由(例えば逆位置を採用して占いの内容を詳細なものにしたいというような理由)とは別の動機があるように思える。(占いを詳細なものにしたいだけなら、カードの枚数を増やせばよく、逆位置を導入することの必然的な理由にはならない。)

その別の動機の正体は、さきほどの逆位置の否定性の話、つまり正位置の再定義と、そこからの否定の操作を通じた逆位置の解釈という話をするなかで、すでに示されているように思える。

逆位置の否定以前の段階に戻ってみよう。逆位置導入以前における、本来の愚者の解釈は、「柔軟性や無邪気」という価値中立的なものだった。「柔軟性や無邪気」がよい方向に発露すれば、よい結果につながるし、悪い方向に発露すれば、悪い結果につながる。そのような価値中立的な解釈であった。

だが、逆位置という否定の操作を考慮に入れることで、正位置の定義は「◯◯という正位置の象徴が、①多すぎもなく、②少なすぎもなく、③全体として、④あるべき方向に向かって発露していること」という長々としたものになってしまった。これは、正位置に、肯定的な意味が付与されたと考えることができる。あわせて、逆位置についても、その肯定的な意味の否定として、否定的な意味が付与されたと考えることができる。

このようにして、もともとは価値中立的なものであったタロットカードが象徴するものは、逆位置の否定性の話を通じて、正位置と逆位置に二分され、肯定的な解釈と、否定的な解釈に分けられることになった。

これこそが逆位置を導入する動機だったのではないだろうか。

逆説的とはなるが、価値中立的なものを肯定と否定に二分したかったからこそ、逆位置を導入し、否定という操作を行うことにしたのではないだろうか。

思えば、価値中立的な占いでは、ある特定の占いのニーズを満たすことができない。切実によい未来と悪い未来とのいずれが来るのかを知りたい人に、価値中立的な占いをしても満足しないだろう。結婚するかどうか迷っている人を占って、愚者のカードが出たとする。そんなときに占い師が「柔軟性や無邪気がポイントになるけど、柔軟性や無邪気さを持つことが良いことなのか悪いことなのかはよくわかりません。」と言ったら、その占い師は、多分儲からない。

そんなときは、「正位置で出たから、しっかり柔軟性や無邪気さを持ったほうがいいです。」とか「逆位置で出たから、このままの柔軟性や無邪気さでいいかどうか考え直したほうがいいです。」と言ったほうが喜ばれるだろう。

これこそが、タロットカードにおいて、逆位置を導入する主たる理由だと僕は思う。未来や誰かの心といったような、本質的にわかりようがない何かを、それでも知りたいと望む人たちのニーズを満たすために、逆位置は導入されたのだ。未来や誰かの心が、正位置だから良いものだ、逆位置だから悪いものだ、というようにして、少しでも知りたいという願いが反映したものなのだ。

ここでも逆位置採用派のほうに分があるようだ。逆位置についての一貫性のある解釈は技術的に可能だし、逆位置を導入する積極的なニーズもある。需要と供給が一致しているのだから、逆位置は採用するしかないように思える。

(なお、ここで例に用いた愚者のカードは基本的にいい意味を持つとされるから、正位置と肯定性を結びつけ、逆位置と否定性を結びつけてきました。だけど、カードには悪い意味を持つとされるカードもあります。例えば塔のカードは、災難を意味するから、正位置であれば悪い意味で、逆位置であれば再生のような良い意味となるというように。このようなものも考慮するなら、肯定的とはもともとの意味が素直に発露することで、否定的とはもともとの意味が派生して発露すること、と考えたほうがいいでしょう。)

6 今ここの自分の決意のための占い

だが、結論づけるのはもう少し待って、あと少しだけ話にお付き合いいただきたい。

ニーズに応えて逆位置を導入することは、そもそも、占いの正しいあり方なのだろうか。占いとは、未来や誰かの心が(占われる人にとって)望ましいものか望ましくないものかを示さなければならないものなのだろうか。僕には、このようなニーズこそが占いというもののあり方を歪めているように思える。このようなニーズに迎合し、逆位置を導入し、変質する前の、価値中立的な占いに立ち返るべきなのではないだろうか。

愚者とは、そもそも「柔軟性や無邪気」を象徴するものであった。

もし、逆位置を採用して占い、愚者が正位置で出たなら、それは「柔軟性や無邪気」がよい方向で現れることを意味し、占われる人にとって喜ばしい結果だろうし、逆位置で出たなら残念に思うだろう。

だが、逆位置を採用せずに占い、愚者が出たならば、それで喜ぶことも残念に思うこともない。では、そのとき、そのカードが何も伝えていないかというとそんなことはなく「柔軟性や無邪気」という重要なメッセージを示していてくれる。そのメッセージは、その占われた人にとって、良くも悪くもない、ただ価値中立的な象徴そのものとして示されることとなる。

では、そのメッセージをどのように受け止めるべきなのだろうか。ここで占われているのは僕自身であるとしよう。(僕が自分で占っているのでも、占い師に占ってもらっているのでもいいが)僕のことを占っていて「愚者」が出たとしよう。僕自身に向けられたそのメッセージは、僕の人生にとって「柔軟性や無邪気」が課題となっていることを意味する。それは、他のなにか、例えば財産や恋愛などではなく、ただ「柔軟性や無邪気」に注目して生きなさい、というメッセージだと解釈できる。愚者の象徴を心に留めて生きなさい、というメッセージだと言ってもよい。

だから、未来について何かを教えてくれる訳ではない。あえて言うならば、ありうる結末としての未来は示してくれるとは言ってよいかもしれない。うまくいった場合の結末と、うまくいかなかった場合の結末の二通りを提示するようなかたちで。(この2つの結末とは、逆位置を採用した場合の、正位置の肯定的解釈と、逆位置の否定的解釈と重なる。)

これは、言い換えれば、逆位置を採用しないタロット占いの結果とは、励ましの言葉だと言ってよいだろう。そのカードが持つ意味に注目し、うまく生きることができれば正位置の肯定的解釈のような結果につながるし、それに失敗すれば、逆位置の否定的解釈のような結果につながるよ。だからうまくがんばりなさい。というメッセージなのだ。

この逆位置を採用しないタロット占いの結果とは、未来や誰か気になる人の心といったものを知るための手がかりにはならない。だけどそれは全く無意味なものなのではなく、僕自身が、現に今、どのように生きるかという指針になる。例えば「愚者」が出たということを真剣に受け止めるならば、僕は、財産や恋愛ではなく、「柔軟性や無邪気」に注目して、がんばってうまく生きていこうと決心することになる。そこには具体的な占いの効果がある。

7 2種類の占い

占いには2つの種類があるのだろう。ひとつが、未来や誰かの心といったような、自分からは決して届かないものについて、少しでも知ろうとするための占いだ。そして、もうひとつが、今ここの自分、つまり自分の力が及ぶものについての占いであり、いわば決意のための占いだ。

いうなれば、何かを知るための占いと、知ることを目指さない占いと言ってもよいだろう。(さらには、当たったり外れたりする占いと、決して当たりも外れもしない占いと言ってもよいかもしれません。)

前者が逆位置を用いる占いであり、後者が逆位置を用いない占いであるのは言うまでもない。

未来や誰かの心を知ろうとする占いは楽しいし、緊急避難的に必要となることもあるだろう。だけど、そちらを重視するあまり、今ここの自分の決心のための占いをないがしろにしてしまったら、占いというものが持つ、本来の力を見失ってしまうのではないだろうか。

優秀な占い師とは、多分、その2種類の占いを自由に行き来し、状況に応じた適切な占いが自然にできるような人のことを言うのだろう。

僕自身は、そこまで占いが好きではないから、後者の、今ここの自分の決意のためのものとして占いをしている。だから僕は、逆位置は用いず、今ここの自分の決意のためのツールとしてタロットカードを使っている。

そのようなものとしてタロット占いを捉え、寝る前に、タロットカードをひいていると、今ここの自分に集中し、少し気持ちが落ち着く。瞑想を補助するツールとしても、タロットは有効な気がする。

(愚者を例示するなかで、愚者の象徴である「柔軟性や無邪気」が財産や恋愛とは関係ないものとして描写したけれど、当然、「柔軟性や無邪気」が財産面や恋愛面に関わることはありえます。正確には、財産や恋愛についても、「柔軟性や無邪気」という側面から注目するようにすることを意味する、と言ったほうがいいかもしれません。)

8 (読まなくていいです)思考と言語の話

ここまでが、逆位置問題についての僕なりの主張だが、最後に、この主張の哲学的裏付けについて付記する。(ほぼ自分のためのメモなので、このような話に興味がないだろうほとんどの方は読まなくて結構です。)

以上の考察は、僕が考えている、思考や言語といったものについての哲学的なアイディアの一部を占いに応用したものだ。(実は、占いについて考えることで、思考や言語についての考えを間接的に深めてみたかったのです。)

僕の思考や言語に関するアイディアについて簡単に説明しておこう。

僕が目の前にあるペットボトルを見て、「ペットボトルがある。」と思考をするとき、僕の心もペットボトルに注目している。僕が把握する世界のなかでペットボトルは特別な存在となっている。他にもパソコンやボールペンが机の上に転がっているけれど、それらは背景に退き、ペットボトルだけが前面に浮かび上がっている。そして、僕は、今ここで、ペットボトルの存在の特別さを味わっている。

いや、パソコンやボールペンだって、そこに存在していると言いたくなるかもしれない。しかし、そのように言うことはできない。なぜなら、僕は、今ここでは、ペットボトルだけに注目しているのだから。

だから、そこから別のところに思考を進めるためには、否定を導入し「ペットボトルがある。」「ではない。」とするしかない。ここでは、否定という操作が重要な意味を持つ。

そのうえでならば、「ペットボトル」「ではなく」「ボールペンがある。」などと思考を進めることができる。そうすることで僕の思考は、今ここから離れていくことになる。

なお、否定を導入して思考を進めるためには、文章に書くなどして、その思考を言語で表現しなければならない。ただ「ペットボトルがある。」と思っているだけでは、その思考を進めることはできない。言語に表現し、思考を客観的に捉え、操作を加えなければならない。

以上が僕のアイディアの素描だ。僕は、思考や言語について、このようなものとして捉えている。

このような思考や言語についての考察と、先ほどの占いについての考察とは重ね合わせることができる。

2種類の占いのうちの、今ここの自分の決心のための占いは、ペットボトルと重なる。なぜなら、今ここにペットボトルがあり、そしてそれに現に注目しているからだ。それは、今ここの自分の決心のための占いをした結果、現に愚者のカードが出たことと重なる。今ここにあるペットボトルや愚者のカードは、いいも悪いもなく、ただ価値中立的な(正確には価値判断以前の)ものとして僕に突きつけられる。

そして、未来や誰かの心を知ろうとする占いは、ボールペンと重なる。ボールペンは、実際はすぐ近くにあるのだけど、そこに注目していないから、そのままでは決して僕の思考は届かない。そこに到達するためには操作が必要となる。その操作は、占いにおいては逆位置と呼ばれ、言語においては、否定と呼ばれる。操作を経由することで、今ここから離れ、占いは未来や誰かの心に到達し、思考はボールペンに到達する。

思考は、否定を通じ、言語の力を導入するからこそ、(これまで注目していなかった)ボールペンに届くことができる。

同様に、占いも、否定を通じ、言語の力を導入するからこそ、客観的な視点から見渡すように、未来や他者の心を眺めることができる。

逆位置とは、否定という操作を可能とする言語の働きそのもののことだったのだ。逆位置とは言語の仮の名だったと言ってもよい。

思考や言語と占いとが以上のような関係にあることを前提に、僕は、今ここの自分の決心のための占いの重要性を強調した。逆位置を用いず、未来や誰かの心を知ろうとする占いに移行することなく、ただ今ここに立ち止まることの重要性を示した。

これは、思考や言語についての話に立ち返るならば、否定の操作を導入し、いたずらに思考を進めることなく、ただ、「ペットボトルがある。」の段階に立ち止まることの重要性を示すということでもある。

更に言い換えるなら、それは、言語以前の、今ここに現にあるものに寄り添うということでもある。

そこまでいくと、占いというよりも、瞑想やマインドフルネスといったものに近づいてきてしまうようだ。このあたりのことは、また別の機会にきちんと論じたい。

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