※この文章は1万字少々あります。

1 あれは何だったのか

僕は懐疑論者だ。僕は昔からずいぶん疑い続けて生きてきた。当然、四六時中疑い続けている訳ではないけれど、ふとしたきっかけで疑いが頭をもたげてきて、それに対応することにかなりの労力をかけて生きてきた。

だけど、年を取るにつれ、そのようなことが徐々に少なくなってきている。僕の疑いとは哲学的な疑いだから、当然、そう簡単に解決するはずがないのだけど、解決しないまま、疑うことが減ってきたのだ。

きっと歳をとったということであり、仕事やなにやらに忙殺されて余裕もなくなってきたということなのだろう。懐疑というのはこのようにして解決していくものなのかもしれない。世の中の人々はそうしているのであり、僕はそれに少々時間がかかっただけなのかもしれない。それは、ちょっと寂しいけれど、ちょっと心休まることでもある。ようやく人並みになれたという安心感である。

当然、それにより問題から離れられる訳ではない。話は逆であり、ようやく、冷静に、腰を据えてこの疑いに取り組めるようになったと言ってもいい。懐疑の真っ只中では問えなかったようなかたちで、(「これは何だ。」ではなく)「あれは何だったのか。」と問うことができるのだから。

そこで、この文章では、「あれは何だったのか。」について、少し考えてみたい。

2 驚きから疑いへ

哲学に触れているうちに、僕はこの懐疑を(永井均から学んだ語である)タウマゼインと結びつけられることに気付いた。この疑いは、僕の哲学の第一歩であり、僕の哲学の源泉であるという意味で、伝統的にタウマゼインとも呼ばれる哲学的驚きとかなり近いものとして捉えることができる。「あれは何だったのか。」とは疑いの表現であると同時に驚きの表現でもあると言えるということである。

では、この疑いと驚きとは全く同じものなのだろうか。違うとしたら両者はどのような関係にあるのだろうか。

僕の実感としては、疑いは驚きから始まるように思える。例えば「この世界はすべて幻であり、僕は水槽の中の脳なのではないか。」という疑いは、まず、そのような可能性を思いついたことの驚きとして始まる。疑えることの驚きである。つまり、驚きは疑いに先行する。

そう考えるならば、疑いとは驚きの表現の仕方のひとつだと言えるかもしれない。人が「この世界はすべて幻であり、僕は水槽の中の脳なのではないか。」と疑うとき、それは単に疑っているのではなく、そのような疑いが成立することの驚きを表現しているのである。

哲学に限らず日常的にも、驚きから疑いへ、という法則性は成立しているように思える。圧倒的な光景を目の当たりにしたとき、人はただ立ちすくむ。初めてローマでフォロ・ロマーノの遺跡を見たときや、テレビ中継で田畑を遡上していく津波の映像を見たときの僕がそうだった。まず、ただすごいとしか言いようがない驚きがあったうえで、ようやく、そのことについての思考を巡らすことができる。順序は、驚きから疑いなのである。驚きこそが疑いの本質であると言ってもいいだろう。

それが顕著に現れるのが旅行(特に海外旅行)である。フォロ・ロマーノの例のとおり、旅は驚きの連続である。景色であれ、料理であれ、人であれ、日常では出会わない新奇なものに出会い、それに驚くのが旅の醍醐味だと言ってもいいだろう。

旅先で未知の景色や料理に出会ったとき、「すげえ、なんだこれ。」と僕はつぶやく。僕の哲学的懐疑も、実は同じことで、この世界に驚嘆し、「すげえ、なんだこれ。」とただつぶやいているだけなのかもしれない。そのような意味で、懐疑とは驚きの表現のひとつなのである。なおその懐疑については、海外旅行であればガイドブックに書いてある答えを読めば済むけれど、哲学の場合にはそうはいかない。(哲学書に答えらしきものが書いてあることはあるけれど、僕は納得できないから、僕は自分で答えを探している。)

とにかく以上のとおり、順序としては、まずは驚きがあり、そこから派生するようにして懐疑という症状が生じると描写できるだろう。

3 疑いから驚きへ

だが旅も驚きの連続ばかりではない。やがて旅も飽きる。僕は海外旅行が好きなのだけど、僕の場合、4日目くらいから、旅が日常となり新奇なものに出会うことが日常となっていく。そして、大学生の頃の記憶を探ると、2週間を超えると旅に疲れて何にも出会いたくなくなる。

同様に、歳をとると、若い頃に感じた哲学的驚きが薄れていくのではないだろうか。その結果、あれほど僕を包んでいた懐疑も、どこか他人ごとのような気がしてきているのかもしれない。

ここで旅と哲学の違いが生じる。旅に飽きたならば家に帰ればいいが、哲学の場合には帰るべきところはない。なぜなら僕は、哲学的驚きから派生する哲学的懐疑により、帰るべき当たり前の日常を疑っているのだから。

だから今の僕は、歳を取るにつれて驚きは消えつつあるのに、ただ懐疑だけがしぶとく残っているという状況である。僕は、この懐疑を解決しないことには、死んでも死にきれないなあ、と思っている。(いつもではないけれど、そういう気分になるときがある。)

その懐疑について考えるためには、どうしても、昔から抱いていた哲学的驚きのことを思い出さなければならない。だから、今や順序は逆であり、驚きから疑いへ、ではなく、疑いから驚きへ、である。

なお、この驚きと疑いの関係性の逆転は悪いことばかりではない。なぜなら、先ほど述べたとおり、驚きの只中では疑うことさえできないからだ。哲学に限らず、驚きにより言葉を失っているときに懐疑の思考などできる訳がない。驚きについて思考するためには、ある程度の時間経過による飽きや慣れが必要なのだ。

以上の驚きと疑いの関係についての考察は、僕に新たな気づきをもたらしてくれる。これまで僕は、自分自身が懐疑論者であり、それも世の哲学者たちが想定する懐疑論者よりもはるかに徹底した超・懐疑論者だと思っていた。僕には、世の懐疑論者は、懐疑という行為を遂行可能な確かなものとして確立し、懐疑自体を疑っていないように見えていた。例えばデカルトは「我思う(疑う)故に我あり」と言うけれど、なぜそんなことが言えるのかさっぱりわからなかった。疑いにより何かに到達できるなんてどうして言えるのだろうと僕はずっと思っていた。

だが実は、僕がやっていたのは懐疑ではなく、ただ驚きの只中にあり、言葉を失っていたにすぎなかったのだ。僕は徹底的に懐疑していたと思っていたけれど、実はそれは言葉を失うほど驚いていたことの表現であったにすぎない。僕がデカルトの議論に不徹底さを感じたのは、デカルトが僕の驚きを十二分に表現できていなかったことに対する不満であり、それは、画家が書いた富士山の絵が富士山の美しさを十二分に表現できていないことに感じる不満と大差ないものだったのである。

僕はようやく熱病から醒め、思考のためにあえて疑い、あえて萎えた驚きを思い出すことで、僕は、驚きについて思考し、疑いについて思考することができるようになってきた。僕は言葉をとりもどし、言語以前の僕だけの哲学ではなく、思考を言葉で表現するものとしての、いわゆる哲学を開始することができるのだ。

こうして僕は歳を重ねることにより「驚きから疑いへ」から「疑いから驚きへ」という逆転を成し遂げることができた。少し寂しいけれど、この逆転は、驚きと疑いから距離を置き、驚きと疑いについて思考するためには必須のものだったのだろう。

ここからは、この逆転を成し遂げた視点から、驚きと疑いについての考察を行う。それはつまり若い頃に抱えていた驚きと疑いを変質させてしまうということである。それは少し残念なことだけど、それしかできないのだから仕方ない。せめて極力その変質を自覚しつつ考察を進めるほかはない。

4 視点の固定

さて、考察を始めるにあたって、まずは驚きと疑いのうち、疑いに着目してみたい。疑うとはどういうことなのだろうか。

例えば、「私は水槽の中の脳かもしれない。」と疑うという例を取り上げてみよう。そこで疑われているのは、目の前にペットボトルがある、というような外的な認識である。実際はペットボトルなんてないのに、脳を操作されてペットボトルの映像を見せられているのかもしれない、という懐疑が生じている。だから、疑われているのはペットボトルがあるという外的な認識である。一方でペットボトルの映像が見えている、という内的な認識は疑われていない。内的な認識が確実なものであるからこそ、そこから外的な認識を疑うことができる。ここには疑われていない内的な認識と疑われている外的な認識という対比がある。

なお、ここで確実視されている内的な認識とは、つまりは疑っているという私の認識だとも言える。だからこそデカルトが言うとおり私の存在は確実であることになる。コギト、つまり私の認識という確実な地点があるからこそ、そこを梃子の支点として、外界を有意味に疑うことができるのだ。

確実な地点と不確実な地点という対比は他の例でもあてはまる。例えば、「5分前に世界は創造されたかもしれない。」という疑いがある。ここで疑われているのは5分前より古い時間である。一方で疑われていないのは5分前より新しい時間である。5分前よりも新しい時間については常識的な時間が確保されているからこそ、それより古い時間を疑うことができる。なお、5分前というのは便宜的なものであり、3分前でも1分前でもいい。だが少なくとも、過去の時間を疑うという行為を成立できる程度には時間の幅を確保する必要があるだろう。思考できる程度の幅の現在を固定された支点とすることで、有意味に過去を疑うことができるようになるのである。ここにあるのは確実な現在と不確実な過去という対比である。

以上のことから明らかなように、疑うためには、固定された支点が必要である。支点さえあれば、どんなに巨大な疑いでも遂行可能である。だが、どんなに巨大な疑いであっても、その支点だけは疑うことができない。

なお、僕が哲学を学んだ限りでは、その固定された支点とは、たいていは「今ここの私」である。さきほど二つの例を出したけれど、一つ目の例は「私」を支点とした場合であり、二つ目の例は「今」を支点とした場合である。この二つはとても強力で使い勝手のよい支点だ。僕は永井均の哲学が好きなのだけど、彼の哲学が人気なのは、このあたりに理由があるように思う。(このことは後ほど取り上げる。)

5 「今ここの私」が「この世界」を疑う

以上の疑いについての話はある種の正しさがあると思うけれど、それほど新しい話ではない。僕は本当は、このような話ができてしまう手前の話をしたかったはずなのだ。若い頃の僕のタウマゼインを思い出すならば、疑いとはあくまでも派生するものであり、その手前には驚きがあったはずだ。年月が経ち、多少擦り切れてしまったけれど、まずは驚きがあったはずなのだ。それを取り逃さないためには疑いから驚きへと議論を移す必要がある。

驚きについて論じるためには、多少は驚きについての具体的な輪郭を与えておいたほうがわかりやすいだろう。実は具体的な輪郭を与えることで、すでに変質があり、驚き自体を取り逃がしてしまうはずなのだが、伝わりやすさを優先し、あえて便宜的に、直接的に驚きを描写しておきたい。(この変質については後ほど取り上げる。)

先ほど、懐疑について述べるなかで、懐疑を成立させるための固定された支点としてありがちなのは「今ここの私」だと言った。それに対応するかたちで述べるならば、ありがちな哲学的驚きとは「この世界」に対する驚きだろう。なぜなら、僕たちは、この世に生まれて「この世界」と出会うからだ。生まれてきた赤ん坊は周囲を見渡し、ここは何なのだ、と思うに違いない。そのような意味で、多くの人は「この世界」に驚いていると言えるのではないだろうか。

そして、ありがちな情景の描写を更に続けるならば、人は「この世界」に対する驚きを表現するため、「今ここの私」を固定した支点として「この世界」を疑っているということになる。多くのひと、多分僕自身も含めたほとんどの人は「この世界」に驚く。だが懐疑論者と呼ばれる一部の人は、その驚きを驚きとして素直に表現するのではなく、その驚きを「この世界」に対する懐疑として表現しようとする。その懐疑を成立させるために便宜的に設けたのが、「今ここの私」という支点である。「今ここの私」という揺るがない支点があるからこそ、十二分に「この世界」に対する懐疑を遂行することができる。以上が哲学的驚きから懐疑論者が誕生するまでのおおまかな道筋である。

ここまでの議論でわかるように、懐疑論者は大きな取り違えをしている。本当に疑い得ないのは驚いた「この世界」のほうであり、「今ここの私」とは、その驚きを疑いとして描写するために便宜上導入した仮置きの支点に過ぎない。初発としての哲学的驚きを踏まえるならば、決して手放してはいけないのは「この世界」のほうであり、「今ここの私」などどうでもいい。「今ここの私」から「この世界」を疑う我らが懐疑論者は、本当はどうでもいいガラクタのようなものを大事に抱えつつ、真に大事だったはずのものに疑いの眼差しを向けているということになる。

なぜこんなに簡単にわかることを懐疑論者が間違えてしまうのかといえば、今ここで論じているような立場には実は決して立つことができないはずだからだ。僕は今、驚きと疑いを俯瞰的に眺める、決して立つことができない神の地点に立ってしまっている。決して立つことができない地点に立ったならばこんなにクリアに捉えられることが、哲学を遂行する当事者になった途端、全く見えなくなってしまう。それはつまり、これほどクリアに述べていることには無理があり、便宜的な嘘が混入しているということである。

無理は、「この世界」という言葉にあらわれている。導入時に注意喚起した通り、「この世界」という言葉は不正確だ。僕が本当に驚いたものを十二分に表現することができていない。はっきり言うならば、僕が驚いたものは「この世界」などというものではない。僕は「この世界」が「この世界」などというものではないということに驚いたと言ってもいい。そのことを真摯に表現しようとするならば、僕は懐疑の道に進むしかなかったのだ。

だが、一方で、驚きと疑いについて考察するために、「この世界」という用語を導入することは悪いアイディアではないだろう。永井の〈私〉や〈今〉も似た動機で導入された言葉である。哲学にはそのような言葉がたくさん転がっている。だから僕も、〈世界〉などと表現することが許されるだろう。(なお、永井は〈私〉や〈今〉を〈世界〉より優位にとらえているが、僕は、〈私〉や〈今〉よりも〈世界〉を優位に捉えることになる。)

6 懐疑論以外の処理方法

6-1 通常の場合

以上でおよそのところは語りきったが、補足しておきたい事項がある。さきほど、「この世界」への驚きを処理しようとして、多くの懐疑論者が「今ここの私」が「この世界」を疑うという理路に至る、と述べた。そのうえで、実はそれは便宜上の仮置きの視点から揺るぎないはずのものを疑うという転倒をしてしまっているということを述べた。懐疑論者以外の人はどうしているのだろうか。当然、そこには色々なバージョンがあるだろうが、いくつか思いついたものを列挙しておきたい。

まず、懐疑論者でない大多数の人たちがとるだろう通常の解決策に触れておくべきだろう。僕とは違う道筋なので、あくまで推測であり、どれだけ一般化できるかはわからないが、彼らは、その驚きを忘れるか、または、より個別具体的な驚きとして理解するか、のいずれかなのではないだろうか。

前者の忘れるという解決をとった場合、彼らは、驚きに慣れて飽きた今の僕に近い状況に最初から立つことができる。つまり、最初から「この世界」を思考により捉え、言語により描写可能なものとして理解できるということである。いわゆる常識的な世界観である。タウマゼインから哲学が始まるとするならば、彼らは哲学を始めないという選択をしたということであり、また、その選択をしたことすら忘却するという選択をしたということである。僕はそれはとても健全なことだと思うし、どこか羨ましい。

 後者の個別具体的な驚きとして理解する、というのも、かなりポピュラーなやり方だろう。「この世界」の驚きを、この世界へ因果への驚きと解釈するならば、そこから科学が始まるだろうし、この世界の美しさへの驚きとするならば、それは芸術への道である。この世界の人間に着目するならば、それは倫理や道徳となるだろう。「この世界」を我が国と解釈すれば国粋主義者となるだろうし、家族などの身近な人と解釈することもできそうだ。「この世界」のなかの何かに着目し、それに驚くならば、それがその人の哲学の始まりとなる。美学や倫理学はそのようにして始まるのだろう。

なお、強調しておきたいが、「この世界」の全体ではなく一部に着目すること自体は決して哲学の劣化や堕落ではない。なぜなら、そうせざるをえない当事者にとっては、それが全てであるはずだからだ。彼らにとっての全部が、僕のような部外者が傍から見ると一部であるように見えるに過ぎない。そして、きっと、〈世界〉を「この世界」としか描写できない僕も、傍から見れば個別具体化からは免れられていないに違いない。だが、それは決して恥じることではない。

6-2 入不二の場合

僕も含めた多くの人が、哲学的驚きに対しては、このような対応をとっていると思うが、ごく少数の天才たちは、少し毛色の違う対応をしているように思える。ここではそのうち二人だけ取り上げておきたい。

まず取り上げたいのは僕がファンである入不二基義だ。繰り返し述べた通り、僕を含めた多くの懐疑論者は「この世界」への驚きを表現しようとしながら、驚きと疑いを転倒し、「今ここの私」が「この世界」を疑うという懐疑を遂行している。

入不二も「この世界」に驚くというところまでは同じだが、彼はそこから、何も転倒せず、ただ素直に「この世界」への驚きを表現することに(少なくともある程度まで)成功しているのではないだろうか。

入不二がやっているのは現実論である。つまり、入不二の用語によるならば、「この世界」とは現実であるということになる。当然、僕がとりあえず「この世界」と名付けたものは、精緻な哲学的議論を経ていない問題含みな概念なので、入不二ならば、自らが重視する現実と「この世界」というようなものを同一視することは拒否するだろう。だが、入不二哲学の雰囲気を伝えるための方便としては、彼の現実を「この世界」と表現することは、そうおかしいことではないだろう。確か、入不二も、現実を指示する動作として、両手を広げ、天に向けてかざすような動作を挙げていたと思う。入不二の現実を〈現実〉と表記し、僕の表記としての〈世界〉と並べるならば、そこにはかなりの一致を見出すことができるように思う。

多少の議論の粗さはあるが、ポイントは、入不二にとっては、「この世界」という現実が出発地点かつ目的地点であり、その他の要素、例えば「今ここの私」というようなものは途中経過としての議論の材料に過ぎないというところにある。だから「今ここの私」などというものは、疑っても何をしても構わない、あくまで付随的な問題なのである。

入不二は独我論についての本(『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』)も出しており彼には懐疑主義的なところがある。僕は入不二のそういうところも好きなのだが、僕が切実に懐疑しているのに対し、彼はどこか道具的に懐疑をしているように感じていた。それは僕と彼の興味の違いなのだろうと思っていたが、より正確には、僕と彼の哲学的驚きへの対処の仕方の違いに由来するものだったのだろう。つまり彼に比べて、僕が単に回り道をしているに過ぎないということである。

6-2 永井の場合

もう一人の天才とは、「今ここの私」的思考の親玉とでも言うべき永井均である。

永井も入不二と同様に、多くの懐疑論者が驚きと疑いを転倒し、驚くべきものを疑うという不可避的な誤りを犯しているのに対して、何も転倒せず、ただ素直に驚き、驚いたままに哲学を遂行することに成功しているように見える。ただし、何に驚いているかが入不二とは違う。僕の見立てでは、入不二が「この世界」に驚いているのに対し、永井は「今ここの私」に驚いている。

そして、そこからぶれることなく、ただ「今ここの私」への驚きに始まり、「今ここの私」に終わるものとして、独在論的な哲学を遂行し続けている。「今ここの私」への驚きにひたりつき続けている。

だから、彼が「この世界」について述べたとしても、それは途中経過としての議論の材料として触れているに過ぎない。だから「この世界」などというものは疑っても何をしても構わない。永井は様々な思考実験を行い、そこで「この世界」に対する懐疑も様々なかたちで行う。それは一見すると、僕のような懐疑論者が行うあの懐疑によく似ている。だが、動機は全く異なり、永井が行っていることは、あくまで「今ここの私」への驚きを表現するための手段としての懐疑でなのである。

ここに(入不二と比べた場合の)永井特有の難しさがある。永井が行っていることは、「今ここの私」が「この世界」を疑うという点で、多くの懐疑論者と全く同型なのだ。ただし、その動機が全く異なる。それがわかりにくくて誤解されやすい。永井の人気は、この誤解に支えられていると言ってもいいように思う。

永井にとっては「この世界」などどのようなものであっても構わない。よって「この世界」は容易に懐疑に付することができるものとなる。確かに永井は、「今ここの私」が「この世界」を疑うということをやってはいるが、その懐疑の内実が大多数の懐疑論者とは全く異なるのだ。多くの懐疑論者は取り違えながらも切実に懐疑しているのに比べ、永井の懐疑は、あくまで「今ここの私」への驚きを語るための道具であり、付随的なものである。

7 無頓着さ

永井と入不二のことを僕なりに考察してみて、ひとつのことを確認できたように思う。僕はなんとなく、二人には懐疑論者的なところがあると思っていたけれど、彼らは懐疑論者ではなく、単に無頓着なだけなのだ。永井は「この世界」に無頓着であり、入不二は「今ここの私」に無頓着である。無頓着だからこそ、容易に懐疑に付すことができる。やっていることは一見懐疑論者に似ていても、懐疑論者ならば切実に懐疑に付す一方で、彼らは無頓着に懐疑に付している。そこには、大人が怨恨から人を殺めることと、幼児がアリの巣を水攻めすることくらいの違いがある。彼らが天才だとするならば、そこに天才たるゆえんがあるように思われる。僕のような凡人には、彼らの無頓着さが羨ましい。

実は、僕の懐疑とは「全てが疑わしい」というものであり、その疑いを成立させるための支点として言語を想定していた。僕は、言語を揺るぎないものと信じている訳ではないが、便宜上、僕の懐疑をとりあえず近似値としてでも描写するためには、言語という支点が最もマシなものとだろうと考えていた。だからこそ、僕のこのブログのタイトルは「対話の哲学」となっている。対話としての言語こそが、僕の哲学にふさわしいと思っていたのだ。

だが、彼らの無頓着さをみていると、そんな妥協などせずに、ただ驚いたものを驚きっぱなしでいればいい、とも思えてくる。まだ疑い始める前の、ただ圧倒され、ただ驚いていた「あれ」のことだけを、余計なことなど頓着せず、ただ考えればいいとも思えてくる。本当の哲学とは、そういうものなのかもしれない。

8 「あれ」を探しに

だが、僕はここで困ってしまう。僕が驚いた「あれ」とは何なのだろう。僕はまだそれをうまく語ることができない。永井や入不二には、自らが驚いた「あれ」について、懐疑などという迂回路を通らず直線的に把握するだけの力量があった。だからこそ、無頓着でいられたのであり、それが天才ということなのだろう。

残念ながら、きっと天才ではない僕には、今のところ迂回路が必要であり、これまで行ってきた懐疑の積み上げも無駄にはならない。だけど、このままではまずいので、迂回の仕方、つまり懐疑の使い方は考え直さないといけないように思う。

今回考えてみて、僕を含めたたいていの人は、驚きと疑いが逆転し、本来、疑ってはいけないものを疑い、拠って立ってはいけないところに立ってしまっていることがわかった。ただし、驚いているからこそ注目し、注目しているからこそ疑っているということだから、決して見当違いという訳ではない。そこに注目しつつも、そこに向けていた疑いから慎重に離れ、疑いを成立させるために仮置きしていた足元の支点に疑いの眼差しを戻すという作業をすればよいはずだ。僕ならば、言語という僕が仮置きしていた支点にこそ疑いの眼差しを向けつつ、今のところ「すべて」としか言いようがない何かに「驚きの目を向ける」ということである。それは当たり前のことを当たり前にやろうとする、ということである。

意識的に驚きの目を向ける、という表現に違和感があることからも明らかだが、当然、不可逆の逆転を遡るような芸当をそう安々と成し遂げることはできない。きっとどこかで無理が生じるだろう。だが、無理を承知で逆転を再逆転しようとすることで見えてくるものもあるはずだ。失敗が運命づけられた試みをあえて繰り返す果てに、わずかに垣間見えるものがあるかもしれない。

僕が今のところ想定している新たな迂回路とはそのようなものである。

こう書くと少々悲観的に聞こえるだろうけれど、僕が求める「あれ」は、そのような動的な試みと相性がいいようにも思えている。なぜなら、永井の独在性も、入不二の現実性もいずれも動的なあり方をしているからだ。永井や入不二が、原始的な驚きから離れずに哲学を遂行することに成功しているのは、そこに力動性が宿っているからではないだろうか。

そして、これから僕がやろうとしているトライアンドエラーの動的な運動には、驚きと疑いの間をつなぐ動性があると同時に、永井の独在性と入不二の現実性の間をつなぐ動性があるような予感がある。うまくいけば、僕は永井と入不二を架橋するような動的な何かを見つけることができるかもしれない。それはなかなか面白い目標設定ではないだろうか。