子ども時代の振り返り

※1万字以上あります。あと、他の文章に比べてもかなり私的なメモです。

氷の城壁

僕は今、『氷の城壁』(https://twitter.com/agasawa_tea)というウェブマンガにはまっている。課金したし、現在二周目だ。色々と面白いところがあるので、今度、考察を書こうと思っている(同時並行で書きました http://dialogue.135.jp/2022/11/13/korinojouheki/)けれど、その魅力のひとつは、日本で子ども時代を過ごした多くの大人に、子ども時代を思い出させるというところだろう。それも、単なる甘い想い出としてではなく、生々しい内面の葛藤の記憶を呼び起こす。つまり、このマンガは、僕が忘れようとしていた子ども時代に向き合うことを強いるのだ。

僕は、子どもの頃、客観的に見てもぱっとしない子で、いじめられっ子だった時期もある。だから僕は過去のことなど早く忘れたいと思って生きてきて、その結果、かなり忘れることができた。だけど、このマンガは、そんな僕に、あの頃のことを思い出せと言う。思い出し、過去に向き合わないと先に進めないだろ、と僕の心に問いかける。

僕はその問いかけに従い、できるだけ思い出してみようと思う。思い出すだけなら、文章にしなくてもいいのだけど、僕は書かないときちんと頭が働かないので書く。また、書いてもネットに公開しなくてもいいのだけど、ここに公開しないと、どこかにいってしまいそうなので公開する。きっと僕はまた忘れてしまうから、こうして記録に残しておきたいのだ。

だから、この文章は、完全に自分のためだけの文章である。同じようなことは他の文章でも何度も書いているけれど、この文章は、よりその色彩が強い。

小学生の頃

小学生の頃から振り返ってみる。

小学校低学年の頃は、からかわれていた想い出しかない。小学校に入るタイミングで引っ越しをしたから友達がおらず、また、3月生まれで成長が遅かったから、からかいの対象だったのだろう。変なあだ名をつけられたり、替え歌を歌われたり、意味もなく追いかけられたりして、とても嫌だった。引っ越しなんてしなければよかったのに、とよく思った。

徐々にそのようなことはなくなっていったけれど、体育が苦手で不器用で忘れ物が多かったから、授業が嫌で仕方なかった。国語算数理科社会はマシだったけれど、別にすごく成績が良かった訳でもなく、ただ、静かに授業をやり過ごせるのが嬉しかった。

そうは言っても、暗黒の小学生時代だったという訳でもない。図書館に行ってSFの本を借りて読んだり、友達とプラモデルを作ったり、(釣れない)釣りに行ったり、シミュレーションゲーム(紙の箱に入ったやつ。ウォーゲームと言うのかな。)をやったり、それなりに放課後を楽しく過ごしていた気がする。

ふと思い出したけれど、5・6年生の時の担任だった若い女性の先生は苦手だった。算数の図形の授業で面と線の話になったとき、僕は、面と線の境目がどこにあるのか疑問に思った。四角形には、食パンの耳のように、面の周囲に線があるけれど、面と線は別物なのだから、そこには境目があるはずだろうと思ったのだ。そこで授業が終わったあと、先生に質問に行ったけれど、何度言われても理解できない僕に先生がイライラしてきたので、すごすご帰った覚えがある。今思い返しても、これは先生のレベルの低さが問題だし、僕のある可能性を奪ったと言えなくもない。今も僕は、心のどこかで先生という人種のことを見下しているところがある。

また、僕は家族についても問題を抱えていた。僕の父は消防士で、24時間勤務すると24時間休みという勤務体制だった。だから一日おきに家にいた。だから、授業参観には、みんなお母さんが来るのに僕だけお父さんが来ることもあった。僕はなんだかそれがすごく恥ずかしくて、普通の家だったらいいのに、と思っていた。

そう言うとないものねだりの贅沢だと思われるかもしれないけれど、僕の父はただ一日おきに家にいるだけではなく、かなりエキセントリックな人だった。社会党(今の社民党と立憲民主党があわさったみたいな党)の活動をしていて、色々立派なことを言うのに、母に対しては暴力を振るったり、僕の話も聞かなかったり、自己中心的で、言動が一致しない人だった。

子どものことは大好きで、僕に対しても色々とやってくれるのはいいけれど、過干渉で、すべて自己流で、それ以外のやり方は認めてくれなかった。例えば、夏休みにはよく海に連れて行ってくれたけれど、そこは砂浜の海水浴場ではなく、その近くの岩場だった。今ならば、僕もシュノーケリングが好きだし、磯遊びの楽しさはわかるけれど、海の家に行ったり、普通の海水浴もしてみたいなあ、と思っていた。

僕はひとりの時間が欲しかった。だから仕事が忙しいサラリーマンのお父さんがいる家庭が羨ましかった。僕は普通になりたかったのだ。

だけど、僕の側にも問題はあって、僕は星新一みたいな、突拍子もない設定が出てくるSFが好きだったから、突拍子もないことばかり考えていた。宇宙人が攻めてきたときに備えて、どんな最強の秘密基地を作ったらいいだろうか、とか、悪者に襲われたときに備えて、どんな万全の装備をすればいいだろうか、とか、そんなことばかり考えていた。今でも時々、突然30年前にタイムスリップしたらどうしたらいいだろう、悪魔に3つの願いを叶えるという取引を持ち出されたらどうしたらいいだろう、なんてことを考えるから、あまり変わっていないのかもしれない。多分、僕はそもそも変な子で、親のことはさておいても、普通にはなれない子だったのだ。

今、哲学が好きなのも、きっと、普通になれないことの延長線上にあるのだろう。あの頃、僕は、本気で、この世界は宇宙人が僕を飼うために作ったハリボテの世界かもしれないと思っていた。父や母や同級生もロボットで、僕をそれなりに育てるための巨大な装置のなかに僕は住んでいるのかもしれない、と思っていた。そのような妄想の延長線上に、今の僕はいるような気がする。

中学生の頃

僕にとっての中学生時代とは、いわゆる黒歴史だけれど、たいていの人にとって、中学生時代とは消し去りたい黒歴史なのではないだろうか。『氷の城壁』の登場人物にとってもそうだ。『氷の城壁』はオールカラーのマンガなのだけど、過去の回想シーンは白黒で表現される。色がついていない黒歴史にいかに向き合うかがこのマンガのひとつのテーマとなっている。

そして、僕にとっては、その黒が人よりも濃いような気がする。まあ、多くの人が、自分の黒歴史のほうがより黒いと主張しそうな気もするけれど、僕はそう思っている。

一般的に言って、中学生時代が黒歴史になる理由は、その発育段階にばらつきがあるからだろう。小学生の頃は皆が等しく子どもだったのに、この頃から、一部の子どもは大人になっていく。そして、個人のなかでも、まんべんなく緩やかに大人になっていくのではなく、まだらに急激に大人になっていく。だから大人になっていなかった自分のある側面を思い出すと嫌になる。

僕は成長が遅い方だったのだろう。急に周囲の人がおしゃれになっていくのに僕は乗り遅れたし、アニメやマンガから、テレビドラマや歌謡曲やバラエティ番組へという大人文化への移行にもついていけなかった。

その要因として、父が、おしゃれやテレビドラマや歌謡曲やバラエティ番組といったものを蔑んでいたという事情もあるけれど、主な要因は、僕自身の内向的な性格にあったように思う。僕は他人に興味がなかったから、周囲の繊細な状況の変化に気づかず、ついていくことができなかったのだ。周囲はどんどん変わっていくのに、相変わらず僕は、かっこいいメカが登場できるSF世界の設定を妄想するようなことばかりをしていた。

それでも小学校の延長で、中1の頃はなんとかなったけれど、中2、中3と進むにつれて、僕はだんだん周囲についていけなくなった。僕は体育も苦手で頭がすごくいい訳でもない子だったので、いわゆるどんくさい奴ポジションで、中2の頃からは特定の数人からイジメのようなことも受けるようになっていた。今でも、そのうちの一人の名前を時々思い出すことがあって、もし目の前に現れたら、絶対に意地悪をしてやろうと心に決めている。もし、そいつが目の前で倒れて、救急車を呼ばなくてはならない状況になっても絶対無視してやろうと心に決めている。そのくらいには根に持っている。

一方で、僕も潔白ではなく、僕よりも、もっと公式ないじめられっ子のことは、みんなと一緒にイジメていた。そうしないと集団から浮いてしまうし、楽しいことのような気もしていたからだ。皆が楽しんでいるなら、同じように僕も楽しいと思うのが正解だと思っていた、と言ったほうが近いかもしれない。

あと、細かいことだけど、僕は今もそうだけど、お腹の調子が悪くなりやすくて、学校のトイレで大のほうに行けないことがきつかった。多分、共感してもらえる男性は多いと思うけれど、これは男子にとっては勇気がいることだ。僕のようなポジションにいればなおさらである。僕は本当に学校に行くのが嫌だった。中学校の卒業を指折り数え、卒業式を終え、心からホッとしたことを覚えている。

ちなみに、初恋は中3の時だった。なんとなくいいなあ、と思っていた同じクラスの女の子がいたのだけど、修学旅行のとき、その子が、お風呂上がりで髪が湿ったままで、ルームウェア(パジャマ?)でいたのを見て、ああいいなあ、と思ってしまったのだ。

僕は、人間関係に疎かったから、その日の夜、一緒の部屋だった同じグループの男子と恋バナになったとき、その話をしてしまった。そういう話をすることで、友達としての距離が近づくかな、と思ってしまったのだ。だけど、当然、それはいじりのネタにしかならず、何もいいことはなかった。(イジメがあった人間関係とは別なので明確なイジメにはつながってません。)

なお、当時の僕の恋愛観は、あだち充のマンガをそのまま信じるようなレベルのもので、例えば、マンガには付き合ってからの描写はないから、付き合ったらどうするのかさえわかっていなかった。運命の相手に出会ったら、テレパシーみたいに何か信号を受信するのかな、なんてことを考えていた。そういうレベルなので、多分、成長が早い人たちからしたら、アホそのものだったのだろう。

そんなこんなで、今でも僕は、男性グループが苦手だ。男性との間で、普通の距離感で、普通の話をしようとしても、何が普通なのかがよくわからない。また、普通でなければ、いじめられたり、馬鹿にされたりするのではないかという恐怖もある。恐怖の対象でしかない人に興味を持つことなどできず、名前を覚えることもできないから、噂話のような、いわゆる普通の話もできなくなる。誇張するならば、そんな悪循環が生じている。一方で女性なら、もともと世界が違うのだからそういう問題は比較的起きにくい。今もそんな風に、どこかで感じている。

高校生の頃

そんな中学生時代だったので、高校生になったとき、今度こそうまくやろうと決心した。高校デビューだ。その試みは部分的にはうまくいって、僕は、中学よりはマシな高校時代を過ごすことができた。流石に親の干渉からも離れ、洋服にも多少は気を遣うようになったし、経験を積み、普通を演じることも少しずつできるようになっていった。当時はバンドブーム前夜で、音楽の話が盛り上がっていたけれど、そんな知識を身につけ、人と話すこともできるようになった。多分、音楽は僕の趣味に合っていたのだろう。カラオケは苦手だけど、今でも奥さんとライブに行ったりもする。

アニメやマンガも徐々に卒業し、アイドルにハマったりもした。オタクだともてないから無理をしたというのもあるけれど、絵よりもナマの経験に魅力を感じるようになっていったような気がする。アイドルは絵よりは情報量が多くて、そこにナマの存在をより感じることができる。だけど相変わらず、本物の女の子とはうまく話すことなどできず、クラスでは、せいぜい、パッとしない男子の一人に過ぎなかった。

僕は自覚的高校デビューだったので、クラスの中のポジションを常に意識していた。今の言い方ではスクールカーストだ。自己評価では、僕はせいぜい下の上か、中の下くらいで、今思い返しても、その評価は正しいものだっただろう。中学生の頃は下の中だったので成功だ、もう少し頑張ろう、そんなふうなことを考えていた。そんなことばかり考えている男子がうまくいく訳ない。

スクールカーストで問題になるのが、カースト上位に移ったときの従来の人間関係の扱いだ。下の中から下の上に移る時、さらに下の上から中の下に移る時、この問題が発生した。(たいていの中高生的問題が盛り込まれている『氷の城壁』で、焦点が当てられていないのが、この問題だ。)僕はこの問題に、従来の人間関係を切り捨てることで対処した。切り捨てられた彼らがどのように思っていたかわからないし、そこに罪悪感を感じたのは自意識過剰なのかもしれない。だけど、僕には罪悪感があった。僕は、友人関係を、僕のポジションを確認するための便宜的な道具として扱っていた。そのせいか、僕には親友と呼べるような人はいなかった。どこか僕は浮いていた。

そんな僕に大きな変化があったのは、確か高校2年生の頃だ。その頃僕は、斉藤由貴が好きで、それまであまり観なかった、映画やドラマもチェックしていた。(斉藤由貴が好きだったのは、中学生の頃の初恋の人がポニーテールだったからだと思う。あと、高井麻巳子(秋元康の奥さん)も好きだった。)

そんななかで、ふと、彼女が出演する朝ドラの総集編を観ていて、「他の人にも人生があるんだ!」とびっくりした。ロボットも超能力も出てこない人間の一生を描くドラマというものを初めて観て、そんな当たり前のことに気づいたのだ。そこからしばらくの間、電車で向かいに座っている人を見ているだけでも涙が出るくらいに世の中の見え方が変わった。ああ、この人も人生を生きているんだ、そんなふうに思って涙が出た。

だけど、やがて、その感動は寂しさに変わった。このように心境が変化したことを話せる人なんていない。話してもきっと理解してくれない。誰もこの僕を見つけてくれない。そんなふうに感じたからだ。

そして、僕はクラスで一番頭がいい女の子のことが好きになった。オタクっぽいし、別に美人な訳でもない。(けど髪は上げていることが多くて僕の好みだった。)だけど、彼女なら僕のことを見つけてくれて理解してくれるかもしれない。そんなふうに思ったのだ。だけど、残念ながら、よく観察してみると、今、その女の子には彼氏っぽい男子がいるようだ。僕はとりあえず、自分にけじめをつけるため、告白して、案の定、振られた。

この、斉藤由貴のドラマから失恋までの数ヶ月が、多分僕の最初の転機だったと思う。

そして、2つ目の転機は、高校3年だった。クラス替え直後、周囲にあまり馴染めず、そして、失恋の余韻で馴染む気もしないなか、僕は将来が不安になった。このままだと、僕は普通の人生を送ることができるのだろうか、と。僕は塾に行ったこともなく、周囲に大学に行った人なんていなかったから、進学することのイメージが沸かなかったのだ。僕は普通の大学に進学し、普通の中小企業に就職することを目指すと決めた。それが普通の人生だと僕は思ったのだ。

そして僕はクラスにも馴染もうとせず、勉強に没頭した。最初は英語のSVO文法も知らないくらいだったけど、メキメキと学力は上がっていき、段々勉強が面白くなってきた。筋トレでよく言われるけれど、学力は努力を裏切らない。そして、ついには有名私大に合格した。この成功体験が2つ目の転機だ。今の僕の自己肯定感はこのあたりが起源になっているように思う。

こうして振り返ってみるとよくわかるけれど、僕はたしかに高校時代を通じて成長した。だけどそこには友人のような他者は関与しておらず、僕がひとりで勝手に成長している。僕の成長はどこか歪んでいる。

その証拠に、高校の卒業式のあと、僕にはあえて話しかける人は誰もおらず、ひととおり挨拶して、なんとなく一人で帰った。1年間勉強に没頭し、クラスのことなんて顧みなかったのだから当然のことだ。(正確には、もう一人、あまり仲も良くないけれど、似たようなポジションの人がいて、その人のバイクに乗せてもらって帰った。)

その後

こうして大学に入ったけれど、僕が真の意味で大学生になったのは、入学して数ヶ月したサークルでの飲み会のときだったと思う。1年間だけいたオールラウンドサークルで一コ上の先輩と話していたとき、その先輩が海外旅行の話をしてくれた。確か、タイのバンコクの駅で野宿していたら、腕時計を取られそうになった、という話だった。そのとき、僕は、こんな人生があるのか、とびっくりして、是非やってみたいと思った。実際、その後、海外旅行が趣味になるのだけど、そのことを教えてくれた先輩の言葉が、僕の3つ目の転機だったと思う。ようやく僕は、僕がやりたいことを見つけたのだ。

その後も、初めて彼女ができたりと色々な出来事はあったけれど、子ども時代の振り返りということでは、このあたりを一つの区切りにしておいたほうがいいだろう。

受験と哲学

こうして子ども時代を振り返ってみると、僕には、普通になれない、人並みになれないという問題がつきまとっていたことに改めて気づく。

そして僕は、その問題に正面から向き合わないまま、受験という裏技(チート技)で乗り越えてしまった。僕は、高校三年生になるまで、ずっと人並みになりたい、普通になりたい、と願ってきて、それが叶わなかった。けれど、受験に成功し、急に人並み以上になってしまった。もともと願っていた人並みは叶わないまま、別の角度から、チート技を使って人並み以上が叶ってしまった。これは、山登りをしていて、自分より先を歩いている人を目指していたら、急に来たヘリコプターに連れて行かれて、彼らを抜き去って、頂上に到達してしまったようなものである。

ずっと僕は、クラスの中心にいる人たちが羨ましかった。足が速くてリレーの選手になったり、近所の公園で何時間もおしゃべりできる友人がいたり、それも、異性の友人がいたり、もしかしたら彼女もいたりする同級生が羨ましかった。いや、そこまでいくと人並みをはるかに超えてしまうから、そのようなヒーローと同じ空気を吸い、違和感なく同じ時間を過ごすことができている、ヒーローの取り巻きの人並みの人たちが羨ましかった。アニメではなくて、ドラマや噂話に興味を持ち、いつまでもそんな話を続けることができる彼らが羨ましかった。

だけど僕は、彼らのようにはなれず、つまり、人並みになることはできなかった。その代わりに、僕は、受験には成功し、世間的には人並み以上になってしまった。受験という裏技を使って、僕は問題に向き合わないまま、問題を乗り越えてしまったのである。

また、僕は、もうひとつ、哲学という裏技も使っている。小学生の頃から、僕には色々な問題がふりかかっていた。いじめられたり、親が変な人だったり、といった問題だ。だけど僕は、そのことに正面から向き合わず、この世界はハリボテかもしれないとか、宇宙人が攻めてきたときにどのように対応しようとか、そんなことばかり考えていた。それは単なる逃避ではなく、きっと生まれながらの性格によるものなのだろう。僕はひとりで妄想することが好きなのだ。

今の僕の哲学は、明らかに子どもの頃からの妄想の延長線上にあって、僕は、僕の哲学を練り上げ、普通になれない、人並みになれないという問題にすら対応することができるようになってしまっている。

僕の哲学によるこの人並み問題への答えはこうだ。そもそも、何が普通で、何が人並みかなんてわからない。あえて言えば、皆が特別で、誰もが人並みなんかじゃない。だから普通になれない、人並みになれない、と悩むことには意味がない。以上。

このようにして、僕の哲学は、子どもの頃からの僕の問題を無化することができる。

高校2年の頃、斉藤由貴のドラマを観ていて気づいたことも、この話を補強する材料とすることができるだろう。他の人にも人生がある。これは普遍的な事実である。だから、一人ひとりに着目する必要はない。電車で向かい合わせに座っただけの人も、クラスメイトも、等しく、尊重されるべきであり、そして愛おしい。そのような普遍的な事実を知っている僕は、目の前にいる他者に個別に向き合わなくても、他者を尊重することができる。以上。

あえて言えば、哲学とは、過度に一般化し、普遍化する作業である。親は僕に何か隠している、という疑いを過度に一般化することにより、親はロボットで、この世界はハリボテかもしれないという疑いにまで育てることができる。それぞれの人には人生があるという理解を過度に一般化することにより、それぞれの人生を生きる他者には、他者という点で大きな違いなどない、という結論を導くことができる。

このような哲学は、個別の問題から目を背ける道具ともなる。僕はその道具をうまく使って、人並みになりたい、普通になりたい、ということが本当は意味していた個別の問題に向き合わないまま、問題を乗り越えてしまったのである。

タイミング

どうして僕は、受験と哲学という二つの裏技を使って、普通になれない、人並みになれないという問題を乗り越えてしまったのかといえば、タイミングの問題だったのだろう。

こうして振り返ってみてわかったけれど、僕は根本的に人と大きく違っているのではなく、成長のスピードが人より遅かっただけなのだ。

高校2年生のとき、他の人にも人生があると気づくまで、僕にとっての世界とは、のっぺらとしたハリボテのようなものだった。僕だけが本当に生きていて、その周囲にあるものは、いわばマンガの書き割りのようなものだった。クラスメイトはクラスメイトとしてしか存在せず、先生は先生としてしか存在しない。当然、生きているからには、クラスメイトも家で朝ごはんを食べたり、寝たりしていたはずだけど、そのようなことには全く関心がなかった。僕の関心は、もっぱら、宇宙人が攻めてきた場合の対応や、テレパシーによる運命の彼女の見つけ方といったものだった。

それを一変したのが、斉藤由貴のドラマなのだけど、きっと、このようなことは、他の人なら、小学生の頃から徐々に気づいていたのではないだろうか。僕は、高校2年生になるまで、小学生のままだったのである。

では、そこから再スタートを切って遅れを取り戻せばいいのだけど、高校3年生になった僕の問題は、そこから、将来への不安の問題へと移ってしまい、受験勉強モードに入ってしまった。そして、受験が成功し、そこで得た自己肯定感により、僕の人並みになれないという問題は上書きされてしまった。

こうして僕は、ちょっと変わった高校2、3年生を過ごしたことで、本来向き合うべき、普通になれない、人並みになれない、という問題にきちんと向き合わずに済んでしまったのである。

実際、大学生以降の僕は、受験で成功したという自己肯定感により、また、徐々に築きつつあった自分なりの哲学を武器にすることにより、人並みか、それ以上の人間関係を構築することができるようになった。きっと中高生の頃の僕が、大学生以降の僕を見たら、普通で人並みになっているね、と思ってくれるだろう。

結果的に、僕は、この普通になれない問題にうまく対処できたと言えるのかもしれない。

友人

だけど、こうして振り返ってみると、僕の問題は本当には解決していないように思う。僕の普通とは、普通の人間関係を構築するということでもある。だけど、人間関係という面では僕には足りないところがあるのだ。

確かに今の僕は自分自身を人並みかそれ以上だと認めることができるし、また、周囲の人からも認められているという自信もある。周囲の人は僕を友人と思ってくれていそうな気がするし、そのような友人の輪に僕は参加できているようにも思う。だけど、それだけでは足りない。

僕は、本当の意味では周囲の人たちを求めていないのではないだろうか。僕は普通に、人並みに、他者と関係を構築しようとしていないのではないだろうか。その点では、子供の頃の僕と大人の僕とでは大差ないのではないだろうか。

確かに、僕は、哲学カフェなんていうイベントもやっている。だけど、そこで関係を構築しようとしているのは、特定の他者ではなく、不特定の他者である。あえて言うならば、哲学カフェというのは、匿名性により、特定の他者を避け、不特定の他者とつながることを目指す活動であるとすら言える。僕は、どこまでも特定の他者を避けているのだ。

僕には幼なじみはいない。中学高校時代の知人ともほとんど繋がりがない。最近、大学時代の友人とも連絡をとっていない。それよりも、こうして独りで文章を書いたり、哲学カフェをやったり、ヨガや太極拳の練習に行ったほうが楽しい。僕はコミュニケーションが下手ではないと思うけれど、僕が相手にしているのは、たいてい、自分自身か不特定の他者だ。

結婚していて、子どももいるから、家族という特別な他者はいる。また、僕はやっぱり性的な意味で女性が好きだから、下心込みで、特定の他者としての女性に注目することもよくある。(下心と言っても、実際になにかしよう、ということではないです。安心してください。)また、他の人に比べれば少ないけれど、いわゆる特定の他者との関係、つまり友人関係が全くない訳でもない。

だけど、僕は、中高生の頃憧れた、クラスの中心にいたあの人たちからは、遠く離れているように感じる。僕は心の底から友人を求めていないという点で、今も、普通で、人並みになることができていない。

問題

だけど、そのことにどのような問題があるのだろう。少なくとも大学以降、僕は、僕自身が求めさえすれば、いくらでも普通で人並みになる機会はあったように思える。そうしなかったことは自分自身の選択であり、そもそも求めていないものを手に入れなかったからといって、何の問題があるのだろうか。

また、中高生時代に憧れとともに遠くから眺めていた彼らのうちの何割かは、今の僕と同じように、そうなりたいと心から求めていた訳ではないかもしれない。彼らが、心の底から友人が欲しいと願い、その結果、友人を手に入れていたとは限らない。

僕の思いには色々と辻褄が合わないところがある。

きっとこれは、実は、僕の心の中にある問題だからなのだろう。僕は、中高生の頃のことを振り返るのを避け、目を背けて生きてきた。僕の中には、解消できていない子供の頃の僕の問題がいまだにくすぶっている。

それを、今の僕の考えにより上書きするのではなく、過去を掘り起こし、正面から向かい合うことによって、その問題自体を解決するしかないのではないだろうか。そんな気がする。

子ども時代の振り返り」への1件のフィードバック

  1. ピンバック: 無目的のパーティー - 対話の哲学

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