カフェフィロでやってるテツドクに行きました。
テツドクとは、「哲」学書を「読」書するという意味だと思うのだけど、哲学書との「お見合い」の場だそうです。(実際は、大学の先生による哲学者の紹介という感じだから哲学「者」とのお見合いのような気もするけど、そうすると、トーガを着て髭を生やしたオッサンとの出会いの場みたいになっちゃうからなあ。)
ライプニッツはモナドとか可能世界論とかの独自な感じでなかなか面白そうな人だよね、読んだことないけど。というくらいの知識で参加しました。こういう人がターゲットなのかも。

会場は横浜の関内の本が沢山あるカフェ。ネットで見たら建築家さんの事務所を兼ねてるみたい。トイレは合板で囲んだところに既製品のスポットライトがポンとくっついているだけ。だけど上品。こういう手作り感がある空間はいいですね。

集まったのは15人くらい?かな。普通の哲学カフェより、哲学を求めている感じの人が多かったような気がします。
流れとしては、東京女子大学の佐々木先生が、ライプニッツという人について説明し、そして小品の「動物の魂」という作品を読むという流れでした。特に、前半のライプニッツの万能人ぶりについて生き生きと面白く説明してくれたのが最高でした。ライプニッツが一気に好きになりました。佐々木先生のことがプチ・ライプニッツに見えてきました!
最後に、哲学対話の場になるはずのところが、結局、佐々木先生への質疑応答という感じだったけど、それも込みでよかったんじゃないかな。
哲学を求めている人が、哲学者という最高の餌を目にしてしまったら、そっちに気持ちがいかざるをえない!

ということで、哲学対話というよりはライプニッツについての僕の備忘録。

僕が思いつく、世の哲学者に対する最も根源的な批判として、「世間について、なんか偉そうなこと言ってるけど、あんた、その世間に食わせてもらってるんでしょ。」というものがある。
ライプニッツは、その批判が成立しない稀有な哲学者だと思う。
実際、政治家としての稼ぎがあっただけでなく、政治家としての日々の活動と、彼の哲学とまでがひとつながりで彼のなかに体現されている感じ。なかなかないと思う。
ライプニッツの日々の活動は、いつも、どこでもライプニッツならではのもので、全ての活動にはライプニッツの生き様が込められている。
哲学者としてのライプニッツも、数学者としてのライプニッツも、政治家としてのライプニッツも、一個人として余暇を楽しむライプニッツも、全てがライプニッツで、彼の人生は、まるで、どこを切ってもライプニッツの顔が深く刻印されている金太郎飴のようなものだったように思える。
だから、ライプニッツの哲学とは、彼の存在がそのまま哲学として現れたようなものなのだ。それなら文句のつけようがない。

ライプニッツの人生の根源にはワクワク感があったように思える。ドラゴンボールの孫悟空が強い敵に出会ったときの感じに似たワクワク。
そして、ライプニッツは、人生の問題に対峙するにあたり、二つの武器を持っていた。
ナイフとノリだ。
ナイフとは、当然、論理的な分析の鋭さのことだ。ライプニッツは第一級の哲学者として、少なくとも、デカルトやロックと問題意識を共有できるだけの鋭さを持っていたはずだ。
(更には、彼の膨大な業績を踏まえると、ナイフを扱う手さばきも素早かったのだろうと思う。)
しかし、僕がライプニッツならではと思ったのは、ノリのほうだ。
ノリとは、ナイフで切り刻んだものを再構成する能力のことだ。
ペーパークラフトで例えるなら、切り出したパーツのノリシロにノリをつけて組み立てる能力のことだ。
ライプニッツは、思わぬところにノリシロを見つけ、「実は、こことここはくっつくよ。」と示してくれる。とてもくっつかないと思える小さなノリシロに強力な接着剤をつけて組み立てあげてしまう。
そして、平面の紙のパーツから、思いもつかぬすごい立体を作り出してくれる。ライプニッツには、そんなイメージを持った。
デカルトを引き立て役にするなら、デカルトはコギトという切れ味のいいナイフは持っていたけど、ノリで組み立てたのは科学的で常識的な世界観という凡庸なものだった。一方で、ライプニッツは、そこから、モナドロジーというバケモノを作り上げた。という感じ。

なぜ、哲学対話のサイトに、ライプニッツを読んだこともない僕が、こんな独自考察を載せたかと言えば、このライプニッツがやっていることこそが、まさに哲学対話なのではないかと思ったからだ。
この、ナイフとノリで紙を切ったり貼ったりして遊ぶ感じ、いや、もっと僕のイメージに近づけるなら、粘土をちぎったりくっつけたり、またこねて、またちぎってと遊ぶ感じ。これこそが、哲学対話の楽しさなのではないかと思うのだ。
だから、ライプニッツは哲学対話の達人でもあったはずだ。

なんて思ったけど、夜は用事があったので、佐々木先生も交えた懇親会は参加できませんでした。残念。