5 能動的感謝
一方で、能動的感謝は明確である。例えば、レストランにおける能動的感謝の対象は店
員だ、というように明確であり、感謝の内容についても、お金を支払う代わりに美味しい
ご飯が食べられたこと、つまりお金とご飯の交換という商取引ができたことに対する感謝
である、というように明確に説明することもできる。店員(または店)に対して、「(家
族でも何でもない他人の私に)商取引という関わり方によって美味しいご飯を与えてくれ
てありがとう。」という感謝をしているというように言える。
ただ、この「商取引という関わり方をしてくれたことに対する感謝」という言い方には、若干説明が必要かもしれないので、具体的なイメージを持たせて説明しておこう。私の財布にはお金が入っている。今、入っているのは日本円だが、別にアメリカドルでも、金の延べ棒でもかまわない。そういうものを相手に渡す代わりに、相手から商品やサービスを提供してもらう。例えば、ハンバーグや海鮮丼を提供してもらう。このことは、相手の協力がなければ成立しない。日本円もアメリカドルも金も要らないと言われたら、取引が成
立しない。私はハンバーグを食べられない。そうならずに、日本円を受け取ってもらえてハンバーグを食べられたことは感謝に値する。なお、別にお金でなくてもかまわない。
物々交換により、ひき肉を渡して、その代わりにハンバーグを食べさせてもらうのでもよい。その場合なら、ひき肉を受け取ってもらえたことの感謝と言ってもよい。これが、「商取引という関わり方をしてくれたことに対する感謝」だ。
こう考えると、会計の場面で、お金を渡しながら言う「ごちそうさま」は「商取引という関わり方をしてくれたことに対する感謝」だ、ということには違和感はないだろう。なお、雑貨店での能動的感謝についても同様のことが言える。
それでは、もう一つの例として、家庭の食卓での妻に対する能動的感謝とはどのようなものだろう。この感謝は、「(他人の私と)夫婦関係という関わり方を持ち、美味しいご飯を与えてくれてありがとう。」という感謝だと言えよう。
なお、この感謝の言葉は夫婦関係というものの捉え方によって、少しずつ異なるバージョンとなりうる。夫婦関係にある限り、当然、夫は妻からおいしいご飯を与えられるべきだ、と考えているならば、「(他人の私と)夫婦関係という関わり方を持ってくれてありがとう。(だが、夫婦関係にあるならば、おいしいご飯を与えられるのは当然だ。)」と言うことになるだろう。また、ご飯を与えられるまでは当然だが、まずいご飯でも文句は言えないと考えているならば、「(他人の私と)夫婦関係という関わり方を持ってくれて
ありがとう。更に、特別においしいご飯を与えてくれてありがとう。」というような言い方になるだろう。(なお、当然、夫婦関係にあっても、ご飯を与えられること自体が当然ではない、という考え方もありうるが、説明の都合上、省略する。)
このように考えると、能動的感謝とは、自分に食事が与えられている原因を見出し、そのような原因があることについて感謝をするということである。それは、ひとつながりの原因と結果による感謝のストーリーをつくることだ。例えば、「商取引ができたので、食事を手に入れることができた。だから、店員に商取引ができたことに感謝しましょう。」というストーリーをつくり、感謝する、ということだ。能動的感謝には明確なストーリーがある。だから明確な説明ができるのだ。