1 問題提起
「世界の独在論的存在構造」(以下、「構造」)において、永井は、本の帯にあるとおり、私、今、現実といった彼の長年のテーマについて縦横無尽に議論を深めている。
(この縦横無尽さにはある種の凄みがあるのだが、それは、永井が論じたい問題が山積し、増加するにもかかわらず、彼の人生が終わってしまうということに由来するのだろう。(「構造」P.188))

その幅広い議論のなかで、多分永井にはそのような意図はないと思うが、僕にとって非常に重要な、新しい概念が提起されている。「ものごとの理解の基本形式」(「構造」p.144初出)という概念だ。
「ものごとの理解の基本形式」とは、「複数個存在しうる何かある種類のものの一例とすること」(「構造」p.151)と言い換えることができるものだ。
この語は非常に重要であり、永井の問題は、すべて、この「ものごとの理解の基本形式」に関わるものだとさえ言えるように思う。
 どういうことかというと、永井が以前から用いてきた用語によるなら、<私>から<<私>>へと、<今>から<<今>>へと、<現実>から<<現実>>へと、つまり、< >から<< >>へと「受肉」とも呼ばれる変容をもたらすのは、この「ものごとの理解の基本形式」へと押し込めざるをえないからだ、とさえ言えるからだ。
(<< >>と< >の説明については、「構造」p.118あたりが詳しい。)

 <<私>>、<<今>>、<<現実>>つまり<< >>は「ものごとの理解の基本形式」に収まるが、<私>、<今>、<現実>つまり< >は、そこから逸脱する。このように永井の中心的な問題は「ものごとの理解の基本形式」という側面から鮮やかに描写することが可能となる。また、この語を用いて永井のこれまでの議論の中心をなしてきたものを表現するなら、「「ものごとの理解の基本形式」から逸脱する< >について正確に捉え、問題提起すること」こそが永井が長年にわたり格闘してきたことだとも言える。これらのことは、永井が既に繰り返し論じてきたことだが、「ものごとの理解の基本形式」という語を用いることにより、永井の議論は、より見通しがよくなったと言えるだろう。

僕は、この文章で、この「ものごとの理解の基本形式」という概念を用いて、僕の哲学的な問題意識を表現することを目指したい。
なぜ、そのようなことをするのかと言えば、僕の問題は、これまで、既存の哲学で取り上げられてこなかったように思えるからだ。
そして、その理由は、永井の問題がそうであるように、僕の問題も「ものごとの理解の基本形式」の外に関わるものだと思うからだ。
永井の問題が、「ものごとの理解の基本形式」から逸脱しているがために伝わりにくく誤解されやすいように、僕の問題も伝わりにくく誤解されやすい。この点で僕の問題は、永井の問題によく似ている。

 しかし、僕の問題は永井の問題とはやはり違うのだ。僕の問題には、永井が捉えることができていない側面がある。ただ、正直言って、僕自身が僕の問題をうまく言葉にできていない。
 だから、この文章では、永井の問題を補助線とし、永井の問題を僕の問題とはどのように違うのかを示しつつ、僕の問題を少しでも明確に表現できるよう努めてみたい。
 
 そして、僕は、もう一本、入不二基義という補助線を引きたい。

 永井は、他の哲学者が永井の問題を論じていない、としている。

「どういうわけか哲学史上、そちらの(私は「私」の一例ではないという)方向への探求がほぼまったくなされていない。」(「構造」p.108)
「いまだかつてこのように(実-虚と自-他のディレンマという)問題を立てた哲学者がいないようなのはただただ不思議と言うほかはない。」(「構造」p.236)
 とあるように。

 しかし、僕の見立てでは、少なくとも、入不二は、この問題を捉えている。
 入不二は、永井の問題を捉えたうえで、永井とは別の道を進み、永井とは異なるかたちで「ものごとの理解の基本形式」から逸脱した問題と格闘している。
 この文章では、時間、運命といった入不二の中心的な問題を追うことはせず、入不二にとっては傍流とも言える、独我論、つまり私についてウィトゲンシュタインを用いて論じた本「ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか」(以下、「消去」)に沿って、永井との関係という側面から入不二の議論を追ってみたい。
(蛇足だが、この本は、僕に、世の哲学だって捨てたものではないと教えてくれ、いわゆる哲学という枠組みのなかで思索を続ける勇気を与えてくれた思い出深い本だ。)
 これが、もうひとつの重要な補助線となるはずだ。

 この文章は、ここまでを1章とするなら、短い9つの章で構成されている。次の第2章から第8章にかけて、永井と入不二という二つの補助線を明確にしたうえで、最終章で、僕の哲学的な問題意識を表現することを試みたい。

2 永井における懐疑論
永井のテーマは、私、今、現実にまつわるものだが、やはり、主戦場は「私」にあると言ってよいだろう。
僕は、永井の「私」に関する議論に強い魅力を感じてきたが、一方で、僕の哲学的疑問とは若干のずれがあるように感じてきた。永井は、常識的な意味で、数多くの人間が存在していることを前提に、「なぜ、そのうちの一人が<私>なのか?」という問題を提起するところから論じているが、その第一歩に疑問を持ったのだ。

 僕は、懐疑論者だ。いわゆる懐疑論者よりも徹底した特殊な懐疑論者だと思っているが、とにかく、懐疑論者であることには間違いない。
 そんな僕は、永井が、極めて常識的に、数多くの人間が存在していることを前提に議論を提起していることが不思議でたまらなかった。永井ほどに徹底した議論ができる者ならば、いわゆる常識的な世界など容易に懐疑に付すことができるのではないだろうか。

 永井の議論における懐疑論者の扱いをみてみよう。「構造」には、懐疑論者について触れている箇所がある。そのひとつが「B系列的な過去や未来~もまた存在しないのではないかという懐疑は、~外界の物質の存在に対する懐疑論に対応することになるだろう。」(「構造」p.189)とされている前後の箇所だ。ここで永井の力点は、過去や未来における現在の存在に対する懐疑や他者の心に対する懐疑にあり、その対比として、過去や未来の存在に対する懐疑と外界の存在に対する懐疑が触れられている。
 僕の問題意識は、この両者のうちでは後者の懐疑に近い。他者の心があるかどうかより、まずは他者も含めた外界の存在自体を疑うべきではないだろうか。存在しないかもしれないものについて心があるかどうか疑っても仕方がないのではないだろうか。過去や未来が現在になるかどうかを問題にする前に、まずは過去が過去として存在し、未来が未来として存在するということ自体を懐疑に付し、問題とすべきではないだろうか。そのほうが懐疑として、より徹底しているのではないか。僕はそんなふうに考えていた。
だから、僕は永井がどうして前者に力点を置いた議論の立て方をするのかがよくわからなかった。永井は、一旦、過去が過去として存在し、未来が未来として存在し、世界には数多くの人間が存在している、という常識的な世界を描く。そのうえで、過去や未来における現在や、他者における私というものを問題にする。どうして、このような議論の進め方にこだわるのだろう。もっと手前から疑ってもよいのではないか。

 僕と永井との隔たりは、前掲の箇所の注記においてもあらわれている。

「外界の実在を懐疑する人は、外界の内部にいる他人たちの実在ももちろん懐疑するだろう。さて、その場合、その人たちのさらに内部にあると考えられている「他人の心」はどうなるのだろうか。当然さらに強い懐疑の対象とされそうなものだが、驚くべきことにむしろ懐疑されないのだ。この懐疑は、どういうわけか、懐疑しているこの心と懐疑対象の一つである他人たちがその内部に持つと想定される心とを早々に同一視してしまい、心vs物、精神vs物質といった対立図式を作りあげてしまうのである。同じことが過去や未来の存在に対する懐疑論についてもいえる。このような形の懐疑論は、「ものごとの理解の基本形式」にきれいに収まっている。」(「構造」p.190)

 正直言って、僕には、こういう展開になる理由がわからなかった。どうして自分の心と他人の心とを同一視するということになるのだろう。そもそも同一視するとは、どういうことだろう。もしかしたら、それは、自分の心と他人の心を同じひとつの心とするということであり、宇宙に唯一存在する宇宙意志のようなものなのかもしれない。それならば、その宇宙意志こそが唯一存在者であり、それに対比されるものとして幻としての物質世界がある、というような話につながる。または、自分の心も他人の心も、平板な心の次元のような領域に並列して存在している、というような話にいきつくのかもしれない。
 確かにそのような考え方は成立しうるが、いずれも、必然的にそのような考え方に至るとは言えないし、そのような展開をすることの重要さもよくわからない。僕から見れば、このような懐疑論は中途半端で不徹底である。
 永井は、その点に多分同意するだろう。永井も、その不徹底さを批判し(正確には、彼の哲学上重要ではないものとみなし)、「このような形の懐疑論は、「ものごとの理解の基本形式」にきれいに収まっている。」と言っているのだから。
これは、過去・未来、外界の存在を懐疑するというタイプの懐疑論に対する不当な扱いではないか。実はもっと根源的な懐疑の力がそこにはあるのに、勝手に不徹底な懐疑論を想定したうえで、それを不徹底として論破してしまっているのだから。

 これまで僕は、永井は懐疑論の持つ力を意図的に低く見積もり、与しやすい相手として不当にあしらってきたように感じてきた。または永井には懐疑論盲とでもいうべき特性があるのではないかとさえ思ってきた。
 しかし、「構造」を読み、永井がこのように捉えることにはやむを得ない事情があるのではないかと気づいた。
 「ものごとの理解の基本形式」にきれいに収めなければうまく説明できない、という事情だ。
 永井は、自らの哲学について「ものごとの理解の基本形式」から逸脱するために説明が難しいとしてきたが、それは懐疑論も同じだ。懐疑論も「ものごとの理解の基本形式」にきれいに収まるようなものでなければ、うまく説明することは難しい。
 だから、普通に説明しやすい、わかりやすい懐疑論を論じるなら、それは不徹底な懐疑論とならざるをえない。それが、永井が論じた懐疑論なのだろう。
 僕は、もっと徹底した懐疑論がありえ、そこにこそ懐疑論の本当の力が隠されていると思っている。
 しかし、それは「ものごとの理解の基本形式」を逸脱するということであり、その逸脱したことを伝えることには大きな困難がある。永井によれば、この困難に打ち勝ち、「ものごとの理解の基本形式」の外について、これほど深く考察し、表現することに成功した者は永井自身しかいない。永井によれば、「ものごとの理解の基本形式」の外を明晰に把握する方法は、永井が通った道筋しかないのだ。「なぜ、数多くの人間が存在するなかで、そのうちの一人が<私>なのか。」この問いを生身で掴み取ることでしか、それをなしとげることはできない。
 この道筋はあまりにも狭い。永井一人しか通ることができない。だからこそ、永井は孤独な闘いを繰り広げているのだ。

 このような事情が、永井の懐疑論軽視につながっているに違いない。
 永井は、永井自身が通った道のほかに「ものごとの理解の基本形式」の外にアクセスする方法はないと考えている。つまり、それは、永井の道筋によらず「ものごとの理解の基本形式」の外にアクセスしようとする議論は語るに値しないということであり、「ものごとの理解の基本形式」からの逸脱を可能とするような徹底した懐疑論という道筋などないのだ。

 以上が永井における懐疑論の扱いだ。
 このような事情があることから、永井における懐疑論の想定は「ものごとの理解の基本形式」に収まるような不徹底なものとならざるを得ない。

3 永井の二段ロケット
この文章において、僕は、永井に反し、僕の懐疑論を、なんとか「ものごとの理解の基本形式」の外に接続させたい。
この勇気とアイディアは、この永井の本「構造」により与えられた。しかし、永井に敬意を表しつつも、これから僕がたどる道は、永井の道を否定することから始まる。
なぜなら、永井が発見した「ものごとの理解の基本形式」の外に至る道筋を肯定し、受け入れる限り、他に道を見つけることはできないからだ。彼が見つけた道以外の道を指し示すためには、まずは、既にある道筋を一旦消し去らなければならない。

永井の道とは、端的に言えば「なぜ、数多くの人間が存在するなかで、そのうちの一人が<私>なのか。」という問いから始まる道だ。永井は、この問いを発することにより「ものごとの理解の基本形式」からの逸脱が首尾よく達成されると考えている。
しかし、そのような困難な大事業が達成されるとは、どのようなことなのだろうか。

このことを論ずるために、まず、永井における「ものごとの理解の基本形式」からの脱出の道筋を確認しておこう。
永井の「数多くの人間がいるなかで、どうして一人だけ<私>なのか。」という一つの問いは、二つの問いに分けることができる。
ひとつめが、「複数の「私」(=人間)がいるなかで、どうして一人だけ<<私>>なのか。」という問いであり、
ふたつめが、「複数の<<私>>がいるなかで、どうして一人だけ<私>なのか。」という問いだ。
これらの二つの問いが一つの問いに組み込まれ、絡み合うことで、二段ロケットのように、「ものごとの理解の基本形式」の引力圏からの脱出を図るのだ。

では、どこで「ものごとの理解の基本形式」の引力圏を振り切ることになるのか。

まず、一段目の問い、「複数の「私」(=人間)がいるなかで、どうして一人だけ<<私>>なのか。」は「ものごとの理解の基本形式」にきれいに収まっていることは明らかだろう。
「ものごとの理解の基本形式」とは「複数個存在しうる何かある種類のものの一例とすること」であった。「私」とは、知覚等の原点性、中心性を持つ主体であり、現代の常識の範疇では、それは通常、人間と呼ばれる。何人もいる人間(「私」)のなかに、一人だけ、「現に」そこから知覚等をする人間(<<私>>)がいる。これは、「私」のなかにも例えば、ひげが生えているという特性を持つ「私」がありうるように、「現に」そこから知覚等をするという特性を持つ人間、つまり<<私>>がいるということである。それは、永井によれば、「世界中の歴代の人間の中で(ただ一人だけ)血液の中にI1という成分が流れている」(「構造」p.217)という特性であっても同じことだ。<<私>>であるということが、ひとつの特性として語られるということであり、言い換えれば、<<私>>は、この世界に複数個存在する「私」の一例であるということである。これは全く「ものごとの理解の基本形式」の範囲内の記述だと言えよう。

 一方で、二段目の問い、「複数の<<私>>がいるなかで、どうして一人だけ<私>なのか。」は「ものごとの理解の基本形式」の引力を振り切り、遠く離れている。
どうしてそう言えるかと言えば、この文で用いられている<私>という語が、そもそも複数的な存在を拒否することという意味を持つからなのだが、ここには非常に微妙な問題がある。

今、まさに僕は、この文章のこの箇所で、永井が行ったのとは別のやり方で<私>について語ろうとしている。しかし、それはつまり、永井とは別のやり方で「ものごとの理解の基本形式」を逸脱しようとしているということであり、それこそが僕がこの文章で成し遂げたいことであった。ここでそれを試みるのは時期尚早だ。ここでは、少なくとも二段ロケットの最終段階である<私>においては、「ものごとの理解の基本形式」の引力圏を脱出できると、ただ受け止めて読み進めていただく必要がある。

なお、僕のこの文章のこの箇所で生じている問題について念のため説明しておくと、僕がここで用いている<私>という表現は既に<<私>>に転落してしまっている。
これは表現に気をつければ簡単に避けられるような問題ではない。だからこそ永井は、<私>について、<<私>>と誤解され、複数個存在しうるものの一例という座に転落することのないよう、心を砕いて記述してきたのだ。

 とにかく、ロケットの一段目から二段目に移る中で、「ものごとの理解の基本形式」からの逸脱を成し遂げたのだとすると、どうしてそれが可能となったのか。永井の「数多くの人間(=「私」)がいるなかで、どうして一人だけ<私>なのか。」という語り方が一定の成功を収めることができたのは何故なのか。
(「一定の」成功としているのは、それでも多くの人に理解されず、誤解されてしまうからだ。)
その成功のカラクリは、前述の一段目の問いと二段目の問いを組み合わせ、絡み合わせることで、「ものごとの理解の基本形式」の引力圏からの脱出を可能にする出力を得ているというところにある。
一段目の「複数の「私」がいるなかで、どうして一人だけ<<私>>なのか。」という問いと、二段目の「複数の<<私>>がいるなかで、どうして一人だけ<私>なのか。」という問いは明らかに同型であり類似性がある。
「私」から<<私>>への飛躍の延長として<<私>>から<私>への飛躍を描くことで、「私」から<私>への一気の飛躍を可能にするのだ。これは、一段目のアナロジーとして二段目を描くことで、本来は理解され得ない二段目を理解させることを可能としていると言ってもよい。
これが、永井の議論のおおまかな筋だ。

永井の功績は、<私>という問題を発見したことであると同時に、<私>に迫る、この語り方を生み出したことにあったと言ってもよい。
なぜなら、この語り方がなければ、<私>という問題を発見者である永井の個人所有物から解き放ち、世に知らしめることはできなかったのだから。

4 永井の問題
しかし、以上の永井の語り方には、その特有の語り方により生じる問題があると思うのだ。彼の伝えたいことは、アナロジーにより理解されると同時に、大切なものを失ってしまったのではないだろうか。

 どういうことかというと、一段目のロケットを首尾よく打ち上げるためには、「複数個存在しうる何かある種類のものの一例とすること」という「ものごとの理解の基本形式」に収まった議論を展開しなければならない。「私」は複数なければならず、そこから一人の<<私>>が立ち上がるのでなければならない。そこには複数と単数の対比がなければならない。この、「私」の複数性を前提としているところに論点先取り的な問題があるのではないか。

その問題を明らかにするために、世界に「私」が一人しかいないという独我論的な状況を想定してみよう。
その場合、永井の問いは、「唯一の「私」がいるなかで、どうして一人だけ<私>なのか。」というものに書き換えることができる。
また、永井の問いを構成する先ほどの二段ロケットとしての二つの問いは、
「唯一の「私」は、どうして<<私>>なのか。」という一段目の問いと、
「唯一の<<私>>はどうして<私>なのか。」という二段目の問いに変質する。
これは明らかに奇妙な問いだ。このような問いは理解不能なのではないか。
 例えば1つ目の問いは、以下のように解することができてしまう。
「確かに<<私>>がただひとつあることはわかる。そして、その<<私>>となりうる候補である「私」もただひとつあることはわかる。では、なぜ、この唯一の「私」が唯一の<<私>>なのだろうか。」
この、唯一の何かが唯一の何かである理由を問う問いに対する答えは、「どこにも疑問は生じず、当たり前だ。」というものになるはずだ。(または「そもそも問いとして成立しておらず、理解不能だ。」という答えもありうるが、どちらも同じことだ。)

いずれにせよ、このように独我論的な状況も想定に含めるならば、一段目の問いは着火せず、永井の議論は成功しない。
その困難は、永井自身が現実性について「それは一方向的存在でしかないので、客観的な視点から、すなわち並列的な視点から見れば、そもそも実在しないのだ」(「構造」p.107)と言っていることでもある。<私>から<<私>>、そして<<私>>から「私」へと「受肉」することはできても、それは一方向的であらざるを得ず、その逆を辿ることは普通のやり方では不可能なのだ。「ものごとの理解の基本形式」の引力を振り切り、この逆行を成立したように見せかけるためには、どこかで無理をする必要がある。
永井の場合には、複数の「私」を前提とするという一点に、そのしわ寄せがきている。

ここで指摘した問題は、例えば永井が最近用いている「タテ問題」と「ヨコ問題」という用語にも現れている。永井は複数の「私」のなかの唯一の<私>という自らの問題を、横に並列する私に関わる問題という意味で「ヨコ問題」に位置づけている。しかし、僕はそこに問題があると思うのだ。ヨコつまり複数性という想定自体が余計なものではないか。現実性の問題は、永井の言うとおりタテ問題ではないが、ヨコ問題とするのも不正確だ。

永井は、独我論的な状況を想定して論じたうえで、<私>の問題を明らかにしている、と反論するかもしれない。
確かに、「構造」において、永井は、東洋の専制君主、単独的存在者という思考実験を用いて議論を展開している。
東洋の専制君主とは、次のような想定である。

「なぜか与えられた世界においてその目からだけ世界が見えている・・・唯一の生き物であり、現実に世界がそこから開かれている唯一の原点であると解釈し、<私>と表記しよう。(僕のこの文章の文脈で<私>と<<私>>の違いを強調するならば<<私>>と表現すべきと思う。)この<私>はきわめて素直な人間で、この与えられた事実どおりに、この目からだけ現実に見えているし、この体だけ現実に感覚を感じる、等々と信じている。~まわりの臣下たちも彼の世界像を反対側からそのまま受け入れ、専制君主の言葉遣いに合わせてくれている。」(「構造」p.176)

これは、ある種の独我論者が周囲からそれを否定するような情報を得られないような状況だ。

また、よりラディカルな状況として、「なぜか知らないが、高度な知性をもった人間が、ともあれ最初から単独で存在している。(様々な経験・能力を有していると想定してよいが)他者の存在だけは経験したことがない。」(「構造」p.180)という単独的存在者を想定する。これは、僕がさきほど想定した独我論的な状況と言ってもよいだろう。

そのうえで、永井は、逆懐疑論を想定することができるか、つまり「このような者たちは、(自分と対等な)他者というものが存在する可能性を考え出すことができるであろうか。」(「構造」p.180)という問いを立てる。

 永井によれば、このような独我論的な世界観は、<私>の特別さと親和性があり、逆懐疑論、つまり、自分と対等な他者が存在するという常識的な世界観を構築することは困難にするという方向で議論は基本的に進んでいく。つまり、独我論的な状況であっても、いや、独我論的な状況でこそ、より容易に、<私>を捉えられる方向で思考できるということだ。

 ただし、永井自身が、この議論にいくつかの方向から問題を提起している。
 そのうち、もっとも有力なのが、時間による反論だと思う。

 「時間的他者(過去や未来における現在)の存在を知っているなら、それと同様な方法によって、人間的他者(その人における「私」)という矛盾した存在者の存在可能性も想定可能である。」(「構造」p.197)という反論だ。

 これは、空間や人称という観点からの複数性は放棄しつつも、時間的な観点から複数性を確保し、「ものごとの理解の基本形式」を密輸入したうえで、「受肉」の遡行をなしとげることは可能だという主張だ。永井が言うことはもっともである。
 
 複数性の問題をより厳密に考えるならば、僕のこの文章では、話を単純化するために時間的な視点は省略しているが、更に時間的な視点も含めて「私」の複数性を否定せねばならないだろう。ただ、ここでは<私>と<今>、空間や人称と時間については類似のものと捉えることに留めておきたい。

ここで疑問が生じる。空間や人称に加え、時間的な観点からも複数性を否定し、唯一の「私」を出発点としたら、そこから<私>への遡行に向けた議論を始めることはできるだろうか。この問いは、人称的にも、空間的にも、時間的にも徹底された独我論を出発点とするとは、どのようなことなのだろうか、と言い換えることもできる。これは、最後に示そうとしている僕の懐疑論における問題でもある。
(これと類似の問題意識から、時間論的な側面から論じているのが、「構造」第12章の唯物論的独我論者の苦境の議論だろうが、僕はここでは時間とは別の方向から論じてみたい。)

当然、これは「ものごとの理解の基本形式」を逸脱した議論を行うということだから、そこには大変な困難がある。根源的には不可能であり、わずかに議論の先を垣間見ようとするだけでも、永井が行ったように、どこかで無理をしなければならないのかもしれない。だが、無理を承知で、議論を展開してみたい。

5 ウィトゲンシュタインにおける「私」
このような困難に立ち向かうためには、僕だけの力では到底足りない。
しかし、幸運にも、ここには先人が切り開いた道がある。これを活用することで、わずかにでも先に進むチャンスがある。
活用したいのは、ウィトゲンシュタインの独我論、正確には入不二基義がウィトゲンシュタインを通じて述べている独我論だ。
入不二は前述した「消去」において独我論を論じている。ここで入不二は、いわゆる独我論を徹底し、独我論について新たな姿を見せることに成功している。
僕の理解によれば、この到達点こそが入不二のやり方で到達した永井の<私>である。
ここに永井とは異なる手法で<私>に接近し、<私>を垣間見せる道筋があるように思う。(より厳密には、永井の道筋で到達するだろう< >と入不二の道筋で到達するだろう< >は接近する、と言うべきだが、ここではその違いには触れない。)

それでは、入不二は「消去」において何を成し遂げたのか、その道筋を確認してみよう。
「消去」は、ウィトゲンシュタインの三つの時期、つまり、論理哲学論考が書かれた前期(以下、「論考」)、青色本などの中期、哲学探求(以下、「探求」)が書かれた後期という三つの章に分けて議論が進められている。そして、いずれにおいても「「私」は消去できるか。」という表題の問いに対し、おおむね消去できるという方向で答えられている。(この「おおむね」が重要なのだが、それについては後ほど言及する。)

前期のウィトゲンシュタインは、「論考」において独我論を論じ、いわゆる独我論と素朴な実在論という対立・反転関係を論じ、徹底された独我論と純粋な実在論という関係に純化する。(「消去」p.31の図)
いわゆる独我論としての「「世界」を包み込む「私」」は「世界の限界」に昇華され、素朴な実在論としての「「世界」の中の「私」」は「(世界内の)複合的なもの」に解体される。(「消去」p.32の図)
なお、「複合的なもの」とは、世界内の事実を写像関係として対応する、心的要素の複合体ということである。(「消去」p.49の図)
そして、この複合体は、世界内の事実であるから、世界内にきれいに収まることとなる。
このようにして、「私」は、世界の限界と世界内の事実という二つの側面に純化され、世界という枠組みにきれいに収まることとなる。
このようにして、「私」は消去される。

中期ウィトゲンシュタインにおける「私」を巡る議論については、無主体論としてまとめられている。
無主体論については、デカルトのコギトを用いて、「(デカルトの)懐疑の果てにそれでも残っている思考とは、「誰が」という人称的な輪郭など持たない、ニュートラルな思考そのものだろうから。ただとにかく思考が現れている根源的な事態には、”It thinks”という非人称表現がふさわしい。「いわゆる無主体論」ならばそのように考える。」(「消去p.69」)とされている。
しかし、入不二は、この無主体論はウィトゲンシュタインのものとは異なるものであり、「「いわゆる無主体論」と「ウィトゲンシュタインの無主体論」の差異こそが、重要である。」(「消去」p.74)としている。
そして、「ウィトゲンシュタインの無主体論」は「独我論としての無主体論」(「消去」p.74)であり、「直接経験は、「非人称的」「人称以前」だから無主体なのではなく、むしろ「超一人称的」「一人称以上に私的」であるからこそ無主体なのである。」(「消去」p.78)とされる。
 こうして、そもそも無主体論という語が用いられていることからも予想されるとおり、ここでも「私」は消去される。

後期の「探求」においては、「私」は言語ゲーム論における「私的言語」の考察として現れている。
「消去」において私的言語は主に感覚日記を例に論じられている。感覚日記とは、ある特定の感覚E(または感覚とさえ言えないE)が起こるたびに、カレンダーにEと書き込むという思考実験だ。この記号Eは私的言語なのだろうか。
入不二によれば、私的言語を想定しようとしても、その試みはディレンマに陥るとされる。

「私的言語の想定は、理解されてしまうことによって、「われわれの言語の圏域」に回収され、「私的言語の想定」になることができない。あるいは逆に、「われわれの言語」の圏域に位置づけられないならば、そもそも何かの想定として始まることができない。そのどちらかになってしまう。どちらにしても、「私的言語の想定」は達成されえない。」(「消去p.115」)

このようにして、前期、中期、後期のいずれの道筋をたどったとしても、私は消去される、というのが「消去」のおおむねの道筋だ。

しかし、「消去」はここでは終わらない。
「私的言語の想定」について「ディレンマに陥ってしまうということは、私的言語など不可能であるということなのだろうか。そうではない。むしろ「可能である」とか「不可能である」とか「断定」できるようにはなっていない。それこそが「言語ゲーム」としての「私的言語論」の特徴である。」(「消去」p.116)としている。
「消去」において入不二は、ついに「「ある」ことと「ない」こととは背反しない。」(「消去」p.119)という結論を導き出す。
 
このようなかたちで入不二が炙り出したものこそが、永井の<私>(より厳密には< >)と重なる。
確かに常識的な「私」は消去できる。しかし、ウィトゲンシュタイン(と入不二)により純化された<私>は消去することはできない。ただし、残念ながら、このことを直接的に言語ゲームのなかで表現することはできない。これは、永井の「ものごとの理解の基本形式」のなかにきれいに収めることができない、ということと同じ事態でもある。
これは「「ある」ことと「ない」こととは背反しない。」ということであり、「私」と<私>が重ね合わされたものとしての私は、消去されるのでもなく、消去されないのでもない、ということだ。

6 入不二における「私」
 しかし、ここで、多分永井側からは「ここで到達したのは<私>ではなく<<私>>に過ぎないのではないか。」という疑問が出されるだろう。実際、永井は次のように述べており、ウィトゲンシュタインが<私>に到達したのは中期のある時期だけとしている。

「<私>にかんする同型の問題は、かつてウィトゲンシュタインだけが『青色本』等で捉えたことがある。~「哲学探求」~における発言は、彼もまたその後問題を取り違えたことを示している。」(「構造」p.70)

 確かに、前期の「論考」で描かれているのは<<私>>だと言ってよいだろう。
そう結論付けられる理由を整理してみよう。
まず「論考」が描く世界の限界としての私も、世界内の事実としての私も、いずれも、ごく常識的な「私」言えよう。世界把握の原点としての「私」であり、「私」に中心化されたかたちで世界は立ち現れるというときの「私」だ。これは、この世界のどの人間にとっても同じようにあてはまる。論考で語られるのは「私」だ。
だが、さすがにそこでは終わらない。「論考」は語りえぬものに沈黙することによってのみ、語りえぬものを指し示すような本である。「論考」は常識的な「私」を浮き彫りにし、そこで語りをやめることで、常識的な「私」ということでは捉えられない何かを指し示している。
それが<私>である、と言いたいところだが、残念ながらそうではないだろう。「論考」が沈黙することにより指し示している何かとは、<<私>>だ。「論考」のような平板な記述では、<<私>>でさえも語ることはできないのだ。だから間接的に指し示すしかない。「論考」は「私」と<<私>>の間に横たわる限界を描いたものなのだ。
(なお、この平板さは「論考」の欠点ではない。平板であるからこその揺るぎなく明晰な正しさが、ある限定された領域内では成立している。)
<<私>>を語るためには、可能世界が<<私>>のレベルでは実在するとする様相実在論のような多元的世界観が必要となる。筆者ウィトゲンシュタインにとっての<<私>>の世界と、読者にとっての<<私>>の世界とが、全く独立に、しかしなぜか重なり合うようなかたちで描写されなければならない。しかし、そのような芸当は「論考」の平板な世界観では不可能だ。
よって「論考」における語りえないものとは<<私>>であり、語りえるもの、つまり論考の構造を支える土台としって<<私>>は位置づけられていると言ってよい。

同様のことは、「消去」で触れられている限りのウィトゲンシュタインの無主体論や、私的言語論でも言えるだろう。その理由は省略するが、いずれにおいても議論での私は「私」であり、<<私>>は議論を支えるように語りの外部にある。
(理由については、これから入不二の論を述べるなかで少し触れるが、簡単に言えば、ウィトゲンシュタインの議論において最高位に置かれている「私の全一性」は、<私>には到達していない、ということだ。)

それでは、「消去」は「私」と<<私>>の関係について描いているに過ぎず、<私>には到達していないということだろうか。
確かにウィトゲンシュタインは到達していないのかもしれない。(というか、そもそもウィトゲンシュタインは常識的な「私」から逸脱する方向に進みたくなかったのではないか。)だが、「消去」には入不二独自の議論も含まれている。そこを確認してみる必要がある。

入不二は、ウィトゲンシュタインにおける前期、中期、後期の三つの議論に、それぞれ自らの議論を加え、考察を進めている。

前期ウィトゲンシュタインを踏まえ、入不二は次のように述べる。

「(論考の)「ただ一つ」には、限界(終わり)のなさとしての「一」の意味と、限界(終わり)のないものの限界(終わり)としての「一」の意味とが、折り重なっている。前者の「ただ一つ」は、「語りえない」けれども「語ることのなかで示されうる」。しかし、後者の「ただ一つ」は、そのようには「示され」えないのではないか。なぜならば、その唯一性は、世界や言語の「形式」に属することがらではなく、「私=世界=生」が(どのようにあるかではなくて)そもそも「あってしまう」という神秘に属するからである。」(「消去」p.65)

これはつまり、語り得るものの外に、二種類の語りえないものがあるということである。「語りえない」けれども「語ることのなかで示されうる」ものと、「示されえないもの」があるということだ。このうち前者に<<私>>が属することは明らかであり、それならば、後者には<私>が属するのではないか。
 
このことは、後者に「神秘」という表現が用いられていることにも裏付けされている。
「私」のなかに<<私>>がただ一人だけいることは神秘ではない。なぜなら、永井のように語るなら、全ての「私」は、「「私」のなかに<<私>>がただ一人だけいる」というあり方をしているからだ。それは必然であり、神秘は全く無い。
(そこに神秘を感じてしまうならば、それは、永井的に言うならば、「「私」のなかに<<私>>がただ一人だけいるというあり方をしている多数の現実のうちの、たまたまこの現実だけが、この私が<<私>>となるあり方をしている。」という話が入り込んでしまっているということである。つまり、<<現実>>と<現実>の関係についての話が混入してしまっている。)
一方で、<<私>>のなかに<私>が一人だけいることは、他に例のない神秘だ。よって、入不二が神秘という語を使う背景には、<<私>>と<私>の違いについての意識があることは疑いようがない。

次に中期ウィトゲンシュタインを受けた入不二の議論を見てみよう。
入不二は、ここで後期ウィトゲンシュタインの言語ゲームを先取りし、「家族的類似」を用いた類比的な移行というかたちで論を進めている。
ここでは構造が重要であることから詳細は省略するが、
「類比関係は、「私の所有物」:「私の感覚」=「私の感覚」:「私の固有性」=「私の固有性」:「私の全一性」=・・・・・→∅と表記することもできる。」(「消去」p.91)という構造となっている。
この「私の固有性」が「私」にあたり、「私の全一性」が<<私>>にあたると言ってよいだろう。
ここで重要なのは、この構造が「私の固有性(「私」)」と「私の全一性(<<私>>)」の対比では終わっていないということだ。
その先にある「∅」について、入不二は「「∅」とは、「私」の類比運動の仮想の極点であり、まったくの「無主体」である。」(「消去」p.91)としている。
つまり、ここでも入不二は、「私」と<<私>>の先にある何か、つまり<私>に到達していると言える。いわゆる無主体論としての「私」、そしてウィトゲンシュタインの無主体論としての<<私>>の先には、まったくの「無主体」としての<私>が指し示されているのだ。

なお、この「家族的類似」を用いた類比的な移行という議論のかたちは、先程、二段ロケットと例えた永井の議論とよく似ている。
一段目の「複数の「私」がいるなかで、どうして一人だけ<<私>>なのか。」
という問いと、
二段目の「複数の<<私>>がいるなかで、どうして一人だけ<私>なのか。」
という問いは同型であり、二段目は一段目のアナロジーとして理解されるという話だ。
永井は明らかに、入不二が論じている類比的な移行という議論の型を用いている。
多分、この類比的な移行とは、「ものごとの理解の基本形式」から逸脱するという難事業をなしとげるうえで用いることのできる、数少ない道具立てのうちのひとつなのだろう。

(なお、後期ウィトゲンシュタインを踏まえた入不二の議論でも、類比的な移行を踏まえた興味深い議論を展開しているが、ここでは類比的な移行という型に着目したいため省略する。)

以上で、入不二が、永井の<私>も視野に捉えた議論を展開しているということは理解できたのではないだろうか。

7 入不二の語り方
そして、重要なのは、入不二が、永井とは異なるかたちで議論を行ったということである。さて、入不二は、永井の語り方の問題を乗り越えることができているのだろうか。
 
永井の問題は、「複数の「私」」を想定したうえで、そこから、「どうして一人だけ<私>なのか。」という議論を展開したことにあった。複数の「私」を想定するなど、論点先取りではないか、という問題だ。
そして、永井にとっての複数の「私」の想定は、 複数の「私」:単数の<<私>>→複数の<<私>>:単数の<私> という類比的な移行を行うためには必須のものであり、逃れ得ない問題であった。

それでは入不二においてはどうだろう。
入不二の「消去」においても「素朴な実在論」という語が登場しているように、複数の人間(=「私」)が存在する常識的な世界観が横たわっている。
しかし、「消去」の議論において、そこには重点はない。永井との対比を強調するなら、入不二が重視しているのは、類比的な移行そのものであり、類比的な移行の内容ではない。
永井ならば、複数の「私」から単数の<私>に至るというような、議論の内容そのものを重視する。その内容を読者に伝えるために、分裂する私や時計ならぬ人計といった魅力的な思考実験や比喩などを多用する。
一方で、入不二は、類比的な移行という形式を直接的に概念に適用する。入不二は直接的に概念操作を試み、「私」を<<私>>に、そして<私>に一気に変質させようとする。

 そのことが象徴的に現れている箇所を紹介したい。
「消去」の冒頭には、「不二の法門に入る」という序章が設けられている。ここでは、維摩経における、菩薩たちとマンジュシリーと維摩の議論のせり上がりが描かれている。
僕は色々な読み方ができるこの話が大好きなのだが、現在行っている考察との関係で重要なのは、この議論は必ずしも複数の人間(=「私」)の存在を必要としていない、というところにある。
どういうことかというと、まず、登場人物が菩薩たちというだけあって、ここでの話題は、生と滅、幸と不幸といった、抽象的な概念をめぐるものであり、複数の人間が存在する常識的な世界観を前提としていない。
また、確かに菩薩たちという複数の人物が登場するが、それは必須ではなく、誰かの独白としても理解することはでき、その点でも、人称的、空間的な複数性を必要としていない。
更には、この話全体が、菩薩の主張の一つ一つを味わうのではなく、議論のせり上がり自体を味わうようにできている。一人目の菩薩から話を始めなくても、任意に議論を開始しても話のせり上がりを味わうことは可能な構造になっている。これは、発言者の移り変わりのなかに時間経過を読み込み、この話が時間的な複数性を包摂していると解釈したとしても、その時間的な複数性は必須ではない、ということだ。突き詰めれば、この話は最後に登場する維摩の沈黙という一点だけでも成立しうる。その一点に「さとりとおおぼけ」を読み込むことさえできれば、この話を理解したことになる。実際に、維摩は、そこに至る菩薩たちとマンジュシリーの議論と全く隔絶して、その一点にもともといたからこそ「さとりとおおぼけ」の境地にあると言える。

これと同じことが、この序章だけでなく「消去」全体として言えると思うのだ。
先ほど、中期ウィトゲンシュタインに続く入不二の議論のポイントとして、「類比関係は、「私の所有物」:「私の感覚」=「私の感覚」:「私の固有性」=「私の固有性」:「私の全一性」=・・・・・→∅と表記することもできる。」(「消去」p.91)という箇所をとりあげた。これは、僕がこの文章で重視している「類比的な移行」について、入不二が最も鮮やかに描いた部分だと思う。
しかし、実はこの表現は若干不正確であり、入不二はすぐに別なかたちで図示し直している。(「消去」p.91)うまく書けないので、本で確認していただきたいが、「→∅」が「「私の所有物」:「私の感覚」=「私の感覚」:「私の固有性」=「私の固有性」:「私の全一性」」という構造全体を貫くように描かれているのだ。これは、入不二の議論のせり上がりは、全て「→∅」こそが駆動しているということを意味する。
入不二にとって重要なのは、「「私の所有物」:「私の感覚」=「私の感覚」:「私の固有性」=「私の固有性」:「私の全一性」」という内容ではない。内容を経由せずとも、例えば維摩の沈黙のような何かにより、「→∅」を直接的に掴み取ることができれば、それは、入不二の論を理解したということなのだ。
 入不二のこのような語り方は、複数の「私」という素朴な実在論というような道具立てを必須のものとせずに、「私」から<<私>>、<<私>>から<私>というせり上がりそのものを描写することを可能としている。

 このようにして入不二は、概念操作のみにより「私」と<<私>>と<私>を一つ軸の中で描き、重ね合わせることにより、一筆書きのように、一気に<私>を描ききったのだ。

8 伝達の神秘
しかし、永井によれば、入不二が行ったような<私>の直接的な把握は不可能だったのではないか。それができないからこそ、永井は複数の「私」とただ一つの<<私>>という対比から丁寧に議論を始めることにより、なんとか<私>を表現しようとしたのではないか。

それは、このように文章で表現する限り、確かにそうなのだ。

さきほど、入不二は、前期ウィトゲンシュタインの議論を進めるなかで、「神秘」という言葉を用いて<私>を表現しようとしていると僕は解釈した。
この神秘は、複数のうちの一つという「ものごとの理解の基本形式」に収まらない。「あの神秘もこの神秘も神秘の一種だということでは変わりがない。」というような語り方は可能だが、どこか神秘の本質を捉え損ねている。神秘には並び立つものはなく、ただ一つだからこそ神秘なのだから。
だからこそ入不二は、神秘という一言で、<私>を一気に指し示している、と解釈したいのだ。
しかし、いくら、神秘は唯一だと言っても、神秘という言葉で表現されたとたん、神秘はいくつかの神秘のうちのひとつに転落してしまう。それが「ものごとの理解の基本形式」ということであり、多分、言語のはたらきということでもある。
文章でいくら神秘という語を用いても、神秘を十分に表現し、読者に伝えることはできない。
神秘とは言葉で表現される限り神秘ではなく、<私>は言葉で表現される限り<<私>>に転落されてしまうのだ。

 しかし、本当の神秘は、それでもなぜか、神秘を神秘のまま、転落なしに読者に伝えることに成功することが起こりうるというところにある。現に僕は、入不二が語る神秘をそのままに理解することができているという自負がある。

 ここで起きている神秘とは、伝わる前に実は既に知っていたという神秘なのだろう。(永井によれば、実存の神秘と伝達の神秘は別のものとしており、この二つの神秘はイコールで結ばないほうがいいのかもしれないが。)
これは、「論考」の冒頭において「本書は、ここに表されている思想-ないしそれに類似した思想-をすでに自ら考えたことのある人にだけ理解されるだろう。」とされているのと、おそらく同じことだ。
 現に、既に知っている人だけが理解できるような語り方を入不二はしている。だから、既に知っている人に対して、直接的に伝達することが不可能なことを直接的に伝達することが可能となっている。
(なお、知っていることを語るという営みは無意味ではない。ぼんやりとなんとなく既に知っていたことに、明確に輪郭を与えるという意義がある。)

ここまで、あたかも入不二は永井を完全に乗り越えたかのような誤解を招く述べ方をしてきてしまった。誤解があるままでも哲学的には問題ないかもしれないが、世俗的な理由から、それは違うということは触れておいたほうがよいだろう。

まず、入不二は神秘という語を使っているが、永井も、ここまで何度も用いてきた”< >”という記号はもとより、奇跡、タウマゼインというような様々な言葉を尽くし、同じことを表現しようとしている。永井こそが、既に知っている人だけが理解できるような語り方をしようとしている本家本元と言ってもよい。
「構造」には、「ここで私は読者を想定した文章を書いているわけだが、もはやこの状況を読者とこのまま共有することはできない。もし読者がこの文章の真意を理解しようとするなら、~この議論を他人の書いた文章から知ったことは忘れて、あたかもすべてを自分で考えたかのようにこれを捉えるほかはない。」(「構造」p.21)という表現すらある。

また、永井は思考実験や比喩、入不二は概念操作というように単純化して手法の違いを際立たせてきたが、これは、あくまで便宜的な区分に過ぎず、当然、永井にも概念操作はあり、入不二にも比喩はある。あくまで比較的、永井には永井的な要素が多く、入不二には入不二的な要素が多い、ということに過ぎない。(しかし、それにしても、永井の思考実験は永井にしかできないものであり、入不二の概念操作にも入不二節としか言えない特別さがあると思うが。)

9 僕の懐疑論
ここまでで、永井と入不二という二つの補助線は引き終えた。この補助線を用いて、僕の問題意識を語りたい。

 「ものごとの理解の基本形式」からの逸脱には、二通りの道筋がある。ひとつは、永井的な道筋であり、私の分裂というような思考実験や比喩により、そこにある問題の具体的な内容を読者に示したうえで、二段ロケットのような類比的な移行により、「ものごとの理解の基本形式」の外へ誘うという手法だ。もうひとつは、入不二的な道筋であり、概念間の類比的な移行というような構造を直接的に表現し、その構造自体の力で概念操作を行い、「ものごとの理解の基本形式」の外へ誘うという手法だ。
 僕は、これらの手法の重要性は理解しつつも、それとは別な手法が必要なのではないかと考えている。

 これら二つの手法は、内容と構造という対になるものを用いているが、単に対になっているだけではなく、互いに相手を裏で用いるという関係になっている。
 永井的に内容から論じる手法においては、内容単独では「ものごとの理解の基本形式」の圏域を逸脱することはできないことから、二段ロケットという類比的な移行のような構造の力を裏で用いている。

 入不二的に構造から論じる手法においても、どんなに理想的な読者に対してであっても、構造単独では何についての構造なのか伝えることさえできないことから、最低限の内容についての言及は必要となる。内容について言及することで、内容の力を裏で用いている。維摩の沈黙という極端な例であっても、そこには「維摩が沈黙している」という最低限の内容の描写がなければならず、その内容についての表現を”てこ”の支点として構造の力が起動する。(維摩の沈黙について、内容に言及せず、構造のみを示すとしたら、それは多分、白紙の紙のようなものとなるだろう。それでは読者には何も伝わらない。)
 永井が「ちょうどどんな天使にも最低限の質量があるように、いかなる< >にも最低限の受肉の事実がともなうのだ。」(「構造」p.137)と言っているのは、このことを指すのだろう。

 僕は、「ものごとの理解の基本形式」の外に至る道筋として、永井的でもなく、入不二的でもない、第三の道筋がないものかと考えている。
 永井的な道筋と入不二的な道筋は対になり、互いに互いを裏で用いているというだけでなく、もう一つ、双方とも、伝達の神秘とでもいうべきものの力を裏で用いているという共通点もある。
 永井的な道筋であっても、入不二的な道筋であっても、「ものごとの理解の基本形式」からの逸脱が文章表現として成功するということは、その指し示そうとするものについて、その文章を読まずとも、実は既に読者が知っていたという神秘があるからであった。
 それならば、構造から論じたり、内容から論じたり、という迂回した方法をとらなくても、直接的に、この神秘の力を活用する方法があるのではないだろうか。
 僕にはまだ、具体的な方法は思いつかないが、そのように考えている。

 なぜ、そのような新たな論じ方を探し求めているのかというと、僕の哲学的な問題を論じるためには、永井的手法と入不二的手法では足りないという予感があるからだ。
 僕の疑問は、<私>という語を用いるなら、「私」から<<私>>更には<私>の先にある何かについての疑問であり、より厳密には、<私>というよりは< >の先にある何かについての疑問だ。入不二の「消去」における表現を用いるなら「→∅」についての疑問と言ってもよい。
 この疑問をあえて疑問文にするなら、(完全に表現しきれているという自信はないが)「何が始まっているのか。そもそも始まっているのか。」と、とりあえずは表現しておきたい。
 
 永井や入不二の議論が究極的な存在論であるとするなら、この僕の「何が始まっているのか。そもそも始まっているのか。」という問題意識は究極的な懐疑論だと思っている。
(そして、これは僕だけが思いついた疑問ではなく、多くの人が思いついたが「ものごとの理解の基本形式」から大きく外れるために適切に表現され得ず、忘れ去られてしまった疑問なのではないかと思っている。)
 このようなことを論じるためには、既存の道具立てでは足りないのではないだろうか。
 なぜなら、僕が目指すことは、「ものごとの理解の基本形式」からの逸脱ではないからだ。僕は「ものごとの理解の基本形式」を上向きに乗り越えたい。
 ここまで用いてきた「ものごとの理解の基本形式」とは、いつでもどこでも一般的に該当する法則なのだとすれば、僕は、「現に」その法則が該当しているという<<ものごとの理解の基本形式>>について論じたい。そして、そのような論じ方ではたどり着くことができない、本当に「現に」この理解が成立する地点、つまり<ものごとの理解の基本形式>を垣間見たい。
 「ものごとの理解の基本形式」という用語を仮に「言語」と置き換えるなら、僕は<言語>を垣間見たい。
(僕は「ものごとの理解の基本形式」の本質すらつかめていないが、少なくとも「言語」と置き換えることを許す側面はあるだろう。)
 これは、<私>や<今>や<現実>と比べても、論じることに困難があるのは明らかではないか。
 なぜなら、非常に控えめに荒っぽく表現するならば、<言語>とは、僕が今、行っている、この言語表現そのもののことであるはずだからだ。これは、指し示そうとする道具と指し示されようとする対象が同じものであり、更にその道具と対象が、僕の今という一点に絞られ、永井的な内容も入不二的な構造をも失ってしまうという事態だ。
 このような試みに大変な困難があるのは明らかではないだろうか。
 僕はこの困難に立ち向かう武器がほしい。既に永井と入不二から受け取った二つの剣は腰に差している。確かにこれらは大切な武器だ。だけど、もうひとつ武器がほしいのだ。
 
 これで僕の考察と伝達の試みはとりあえず終わった。
 拙いなりに、永井と入不二という内容と構造を用いて、そこから類比的な移行により、僕の問題意識を描いたつもりだ。もしこれが伝わらないとしたら、それは僕の技術が拙かったからなのだろうか。それとも、僕のこの問題意識を既に知っている読者がいなかったということなのだろうか。