叱咤激励

もとのサイトがジェイミーの哲学書庫なので・・・
僕のためのメモだなあ。これは2015年2月の文章だな。色々大変だった、なつかしい。

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※ 個人情報を削除したので何のことかわからないと思うけど、まあ、書庫なので掲載。

【今回の君の判断の内容について】
 残念だが、結局君からは、なぜA高校かという、客観的で具体的な説明はなかった。
 昨日も話したが、そもそも、君の判断の理由である、「長年のあこがれ」なんてのは、理由として全く理解できない。新しいことへのチャレンジを避ける言い訳にしか聞こえない。
 また、そのあこがれの気持ち自体、塾に偽造されたものだという気もする。
(B塾に入れ、B塾の言うことに従って、学校見学や進路についての話し合いを十分にしかなかったことを、親として反省している。)
【君の判断の扱いについて】
結論としては、君の判断を受け入れざるを得ない。
けれど、書いたとおり、それは、君の判断に納得し、尊重すべきと思ったからではない。
 きっと、親離れ・子離れの良い機会なのだと思う。
いくら客観的にはイマイチな判断であっても、君が親と違う判断をし、親離れしたということでは意味がある。
親にとっても、君が独立した他者だということを知る機会になった。
いくら、客観的に正しいと思われることを言っても、それが聞き入れられるとは限らない。それが、他者ということだと思う。君のことは、今後、もっと独立した他者として扱っていかないといけないのだと思う。
 君は、当事者である本人の判断なのだから、尊重されるべき、と思うかもしれない。
確かに、俺はこれまで、意識して、何かにつけ、君自身の判断を求め、尊重してきた。
しかし、それは、単なる思い込みによる判断が尊重されるということではない。
客観的な議論に耐えうる判断でなければ尊重するに値しない。
 もし、そこに誤解があるとしたら、これも、親として言い方を間違えていたということだと思う。
 ありがちな話だが、人は自分一人だけで生きているものではない。周囲の人の中で生きている。また、時間的にも、これまでの過去と、これからの未来の狭間で、過去の人たちと未来の人たちを繋ぐために生きている。いや、そのような人との関係のなかで生かされている。
だから、自分自身のことであっても、自分だけの命ではないのだから、無責任に客観的に誤った判断をすることは許されない。
【今後の君へのアドバイス】
 子離れということを考えると、今後、陰ながら応援はするが、進路のようなものにはあまり口を出さないようにすべきだろう。
 しかし、あえてアドバイスをしてみる。
 より、自分を成長させ、何かを成し遂げることが、よりよく生きるということなのだとすると、A高校を選んだということは、より困難な道を選んだということだ。
 そもそも、A高校自体が、自分の成長にそれほどいいところとも思えないし、君がA高校を選ぶプロセスにも積極的なところが感じられない。自分の守りに入っている気がする。
 だから、よっぽど考え方を切り替えて、周りに流されないよう、がんばらないといけない。
 具体的には、学校の言いなりに勉強することで変な安心を感じないように心がけるべきだろう。また、C高校であれば自然に与えられたかもしれない自分を成長させる機会を、親や学校に与えられなくても自分で無理してでもつかみとる必要があるだろう。そのためには、君がやりたいことをやる時間を制限することになるかもしれない。
もっと大きく言うと、君には、自分の頭で考え、具体的、客観的な判断にもとづいて生きていけるようになって欲しい。
 親や塾のような他者の話は話半分に聞いたうえで、「長年のあこがれ」のような、変なストーリーで思考停止せずに、自分自身で考えぬいて、自分と世界に責任を持って生きていく。それが親離れということだと思う。頑張って欲しい。
(親の言うことを聞く必要がないということをアドバイスするのもおかしいけど。)
【フォロー】
 まあ、今回の件は、君が少々消極的だということを除けば、しっかり話もできたし、よかったと思う。
 実際に勉強を頑張り、その結果、C高校に受かり、A高校にも受かりそうだということは事実だし、自分を褒めていいと思う。
 これで、受験にまつわる面倒なことはおしまいなので、少しゆっくりするといい。
 ただ、君が今後がんばるために、今回の件は反省すべきこととして覚えておいて欲しい。

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