スノーボードのこと

※2000字くらいですが、それにしても読者が得るものがなさそうな文章なのでスルーして結構です。

全く哲学ではないけれど、自分のことが少しわかったので、うれしくて書き残しておくものです。だから、僕に興味がある人(つまり僕)以外は読まなくていいです。

今、冬季オリンピックがやっているけれど、僕は平野歩夢のハーフパイプでの金メダルの滑りをきちんと見ていない。

まあ、スノーボードに興味がなければ普通のことだけど、僕は20代の頃、スノーボードが好きで、あんなオリンピックサイズじゃないけれど、ハーフパイプに入ったこともあるから、それは普通のことではない。

(僕は運動があまり得意ではないけれど、スキーは子供の頃からやっていたので、その流れでスノーボードも好きで、黎明期のスノーボードにはハマっていたのだ。)

僕は小さなハーフパイプに入ったことはあるけれど、あれは怖い。まずハーフパイプに入るためには、崖のようなところを真下に滑っていかなければいけないのだけれど、それが結構怖い。そしてガリガリに固められた氷のようなところを失速しないように滑るのも難しい。そして、その勢いを殺さないように壁のようなところを上がっていくのが更に難しくて怖い。

怖いから無意識にスピードを殺してしまい、壁の一番上まで登って、その上に飛び出すことなんて結局できず、壁を登る途中でパタッと向きを変えて滑ることくらいしかできない。

だけど、そのときにわずかに感じる浮遊感が気持ちいいのだ。体が横になりながら斜め上に浮かび上がるような、ちょっと他では味わえない感覚である。ジャンプ台から飛び立つのが縦の浮遊感だとしたら、ハーフパイプの浮遊感は3Dの立体的浮遊感という感じだろうか。その浮遊感は30年近く経った今でも覚えている。

それを感じたくて何回かハーフパイプに入ったけれど、20代半ばになり、怪我をすると色々と支障が生じる立場になり、また、自分の運動神経のなさを思い知ったので、そういうのはやめることにした。

このくらいのことは語れるくらいだから、オリンピックのハーフパイプ競技くらい見てもいいと思われるかもしれない。だけど、僕は見たくないのだ。あれは、僕が好きだったハーフパイプではない。

平野歩夢がリップ(ハーフパイプの縁)から飛び出る瞬間は心が踊る。あんなに高く飛べたらどんなに気持ちいいだろうかと思う。だけどそこからすぐにハーフパイプは高飛び込みかフィギアスケートのように回転数を競う競技になってしまう。くるくる回る平野君を見ていて、あんなの全然気持ちよさそうじゃないしクールじゃない、と感じてしまうのだ。

いや、きっと平野君はクールなのだろう。クールじゃないのは、オリンピック競技化したハーフパイプだ。僕がハーフパイプに求めていたのは、1cmでも高く飛び、より浮遊感を感じることであったはずだ。そのうえで、見たこともないようなグラブを決めたり、ひねりや回転を加えたりして、周囲に自慢することはあってもいい。だがそれは、浮遊感を感じる余裕を周囲に見せつけるためのトッピングであり、ちょっとした遊びの要素に過ぎない。ハーフパイプはおろかワンメイク(ジャンプ台から飛ぶこと)でもグラブなんてできなかったけれど、目指すべき理想としては、そのように思っていた。

そんな理想から遠くかけ離れたハーフパイプなんて見たくない。僕が好きなのは、スキー場の脇にある、誰にも注目されることのない小さなハーフパイプなのだ。

なお、僕は小学生の頃スイミングスクールに行っていたので水泳も好きなのだけど、水泳については、ハーフパイプに感じるようなモヤモヤはない。水泳のトップレベルの選手を見ていると、あんなに早く泳げたら楽しいだろうなあ、と思う。スノーボードで転んで肩を痛めたから、今はもう泳げないけれど、調子よく泳いでいるときに、体が水と一体になったような浮遊感とでも言うべき感覚になったことは今でも少し覚えている。あんなのを感じているなんて羨ましい。

水泳と対比するとよくわかるけれど、やっぱり僕は採点競技が嫌いなのだろうと思う。僕が好きだった自由なスノーボードというものに、誰かの勝手な価値観を持ち込み、その価値観に沿って競わせて、それを商業化していく。僕はそれが許せないのだ。

また、この文章を書いていて気づいたけれど、僕は、そもそもスポーツというのは見るものではなくてやるものだと考えているのだろう。だから僕は、結局水泳がテレビでやっていてもほとんど見ない。

さらに、もうひとつこの文章を書いていて気づいたけれど、僕は、スポーツの魅力とは、快感、それも浮遊感とでもいうべき、ある特定の快感が得られるところにあると考えているようだ。そういえば、僕はスキューバダイビングも好きだったのだけど、あれにも浮遊感がある。また、スポーツではないけれど、最近はまっている哲学対話の魅力とは、うまく対話できているときに感じる浮遊感である。

そう考えると、僕の好みは意外と単純だなあ、と思う。これが今回の大きな気づきである。

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