これは2014年頃の文章かなあ・・・病気の前か後かも定かではない・・・

先日の怒髪天のライブは、なぜか色あせて感じた。その前の週のピーズのライブが良過ぎたから、とか、知らない新曲が多かったから、とか、色々と要因はありそうだけど、新曲にもいい曲はあったし、他にも理由があると感じた。
率直に言って、なんとなく、兄いのメッセージが強すぎ、その強さが、僕が求めるものと、ちょっとずれていると感じた。
そして、家に帰ってから、そのずれた感じがどういうことなのか、少し考えてみた。
僕は、兄いのメッセージを受け取るのではなく、兄いのようにメッセージを発したいのかもしれない。というか、兄いのようなメッセージを発することができる場を守りたいのかもしれない。
皆で拳を振り上げることができる、そんな幸せなライブ会場のような瞬間が、より、たくさんの人のもとに届けられ、より、長く続くような世界になればいい、というような思いが強くなってきたのかもしれない。
そんな、世界そのものを大切にしたい、というような気持ちを持ちながら聴くには、兄いのメッセージは具体的すぎる。そんな思いは、歌詞があるボーカルではなく、ギターやベースのような楽器の方がうまく表現できる。
歌詞を明確に心に刻み込もうとする歌よりも、細かいところは忘れられてしまうけれど、幸せなライブという場があるということだけを伝えてくれる演奏にこそ、今の僕にとってのライブの真骨頂はあるのかもしれない。
それでも、怒髪天のライブは好きだ。兄いも、きっと、こんな幸せなライブ会場のような世界がいつまでも続けばいい、って思っている。きっと、僕と同じ思いを持っている。それは、かなり幸せなことだと思う。