で、これは2014年かあ。
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サツキからオーダーがあったので続編を書いてみる。誰かに求められて文章を書くなんて初めてだから、気合を入れて書くことにする。
以前、僕は中学生になるサツキに、勉強についてのアドバイスを科目ごとに書いた。そのときは、英語については、得意だからアドバイスなんてなくても大丈夫だよね、と書いたと思う。だけど、中学二年生になった君は、最近、英語はあまり好きではなくて、世界史や国語の方が好きみたいだね。
君は、その状況の変化を踏まえたアドバイスが欲しいようなので、ちょっと考えてみたよ。
結論としては、パパはそれでいいと思う。なぜなら、君にとっては、英語より世界史の方が本当の勉強に近いみたいだから。
本当の勉強の方が面白くて好きになるのは、当たり前だと思う。もっと知りたい、と好奇心を持つのが本当の勉強だ。もっと誰かに教えてもらいたいから、教えてくれる人を求めて大学に行き、やがて誰も教えてくれないところ、つまり人類にとっての最先端に自分が到達したら、その先を自ら知ろうとして研究する。それが、大学生や学者がやる本当の勉強だ。君が世界史に対して持っている好奇心は、多分、こんな本当の勉強の入り口につながっている、とても大切なものだ。こんな気持ちは皆が持てるものじゃないから、君はとてもラッキーなんだと思うよ。
誤解がないように言うと、中学校の英語だって本当の勉強につながっている。その先には、英語の文法の研究や英語の学習法の研究といった、専門の研究者だっているような世界が広がっている。だから、客観的に、英語より世界史の方が、面白さが上だと言っている訳ではない。また、当然ながら、君には歴史学者としての適性があるから、進む道が決まった、と言っている訳でもない。
僕が言っているのは、偶然、君は、世界史や国語を通じて本当の勉強の入り口にたどり着くことができたということだけだ。そして、その本当の勉強の面白さの前では他の勉強が色あせて見えるのは当たり前だということだけだ。
ここでパパができるアドバイスは二つある。
まず一つめ。面白いと思った勉強はしっかりやるべきだ。
ただし、ここまで書いた流れでなんとなくわかると思うけれど、「しっかり」とは、単に学校でいい成績をとれるような勉強をするという意味ではない。世界史ならば世界史が持つ、本当の面白さをしっかりつかみとれるような勉強をするという意味だ。
言い換えれば、中学生という枠にはまった勉強ではなく、人類の最先端の知識につながる、本当の勉強をすることを、僕は君に期待している。
もう一つのアドバイスは、手段としての勉強もしっかりやるべき、ということだ。多分、君にとっての数学や英語は、今のところ、手段としての勉強になっているのだと思う。いい高校に行くための手段だったり、足し算ができれば、つり銭を数えるときに困らない、というような日常生活のための手段だったりするのだろう。
こんな手段としての勉強も、必要だから「しっかり」やるべき、というのは、そろそろ受験生になる君には、これ以上説明しなくてもわかるだろう。ただ、手段としての勉強を「しっかり」やるのと、本当の勉強を「しっかり」やるのとでは、同じ「しっかり」でも全然レベルが違うということもわかるだろう。
手段としての勉強については、英語との関係で、特に言っておきたいことがある。
確かに、君にとっての英語は手段としての勉強かもしれないけれど、手段と言っても「コミュニケーションの手段」という、特に大切な意味合いがある。
なぜ、「コミュニケーションの手段」が大切なのか説明してみよう。
先ほど言ったように、僕が君に期待しているのは、人類の最先端の知識につながる本当の勉強だ。わざわざ「人類の」と強調しているくらいだから、人類の最先端の知識は外国にある可能性が高い。つまり、英語くらい話せないと、本当の勉強はできない。
確かに、英語が話せなくても日本語だけで本当の勉強はできたし、今後もある程度はできるだろう。しかし、日本は、高齢化と人口減で勉強をできる人自体が減ってきているから、日本だけで本当の勉強をすることはどんどん難しくなっていくに違いない。だから、この時代に日本に生まれた君は、今までよりも、世界との「コミュニケーションの手段」としての英語を学ぶ必要性がある。
本当の勉強であれば、世界史でも、日本史でも、数学でも、どれか一つだけでも極めれば凄いことだ。だから逆に言えば、どれでもいい。一方で、本当の勉強のための手段としての英語は必須科目だ。避けられない。だから英語は大切だ。
(手段としての大切さは、基礎的な数学や国語にも言えるのだけれど、幸いにも、君は大丈夫そうなので、これ以上は言わない。)
このあたりの事情があるから、パパとママは、君に英語を重視した高校を勧めているのだと思う。(ちゃんとママに聞いたことはないけど。)
英語は、君がどんな生き方をするにせよ必須科目なのだから、英語を重視した高校に行くことは、君の将来を狭めたり、歪めたりすることにはならない。また、本当の勉強は、高校じゃなくてもできるから、英語を集中的に三年間学んでもいいんじゃないかな、という親なりの戦略もある。
この戦略に乗っても乗らなくてもいいけれど、英語を使って君が本当の勉強をしている場面、例えば、歴史学者のサツキが、イギリス人とイギリス史について議論しているところを妄想して、英語をがんばってみてもいいんじゃないだろうか。
なお、この文章では、本当の勉強について、大学教授がやる最先端の研究のようなものだけをイメージするように書いたけれど、実はそれだけじゃない。腕のいい職人になるため修行することも、うまく商売をして金持ちになるため金儲けの方法を研究することも、人類の最先端に届いていて、その先に自ら踏み出していれば、本当の勉強だ。
実は、大きな声では言えないけれど、パパ自身も日々、本当の勉強をしていると思っている。(と言っても、僕が哲学の研究者だと言っている訳じゃないよ。)僕は、僕なりの環境や僕なりの能力で生まれてきた僕が、どれだけ僕の人生をうまく生きることができるか、日々、研究している。この研究は、今まで誰もがやったことがない、僕だけが研究している最先端の本当の勉強だと思っている。
この考え方は、誰でもオンリーワンだから努力しなくても大丈夫、という考え方に陥りがちだ。けれど、パパは自分自身が本当にがんばって研究しているという自負がある。その一点で、世界に一つだけの花的な言い訳に陥らず、本当の勉強に踏みとどまっていると信じている。
まあ、僕が本当に本当の勉強をしているかどうかは怪しいけれど、パパみたいな生き方でもいいのかもしれない、と軽い気持ちで本当の勉強をしてくれればいいかな。