どうでもいいことだけど、平成から令和になったタイミングでなんとなく書き残しておこうかな、と。
僕は天皇制について微妙なスタンスだ。少なくとも、世の中の雰囲気ほど賛成じゃない。違和感を持っている。
その理由を挙げてみよう。
1 皇室業界の硬直性が嫌だ。
天皇が車で移動するとき、信号は常に青信号になり、道路の両脇には数メートル間隔で警官が配置されるそうだ。僕は皇室ウォッチャーじゃないので知らないけれど、このような調子で、皇室の活動では色々な昔からのしきたりやお約束で莫大な手間と費用がかかっているに違いない。秋篠宮は一般客と電車に同乗するけど天皇は同乗しないなんて意味がわからない。警備の都合とは言うけれど、秋篠宮と天皇で差をつけるというのがわからない。多分、業界全体で硬直化した前例踏襲な雰囲気が漂ってるのだろう。
もう少しカジュアルな感じにできないものかと思う。それが無理なら本当に天皇制って必要なのかなあ、とも思う。
2 天皇制反対と言えない雰囲気が嫌だ。
正直、天皇制についてそれほど真剣に考えている訳ではない。だから論理的に天皇制のメリットを並べれば、天皇制っていいかもな、と思うような気がする。グローバル化の流れのなかでは、こういう特別な文化は武器になるし。
だけど、そもそも天皇制についての疑問を表明すること自体が許されない雰囲気が気持ち悪い。
それは、これまで天皇制に反対してきた左翼のアホさによるところが大きいとは思うけれど、だからと言って疑問を言葉に出せないというのはおかしい。
3 天皇推しが嫌だ。
マスコミなどが天皇いいぞ、尊敬したほうがいいぞ、とぐいぐい推してくるのが嫌だ。
元号は 大切な文化だと思うから使いたい人が使うのはいいし、天皇がどこどこに行きましたとかニュースになるのも、なんだかめでたい感じでいい。
だけど、それを僕にあんまり押し付けないでほしい。もともと嫌いじゃないのに、無理に押し付けられると逆に嫌いになりそうだ。
特に僕が嫌なのは、天皇のことを話題にするとき、それがたとえ家族や友人との間であっても、天皇陛下とか敬称をつけたり、変な敬語をつけなければならないことだ。天皇というのは、そもそも社長みたいな役職で、「社長様」と言わなくても「社長」といえば失礼にあたらないのと同じように、「天皇」と言えば失礼にはらないだろう。また、「天皇は那須に行きました。」と言えばいいのに、「お行きになられました。」みたいな謎の敬語を用いなければいけないのはおかしい。(国語は詳しくないけど丁寧語で話せばいいのに尊敬語を使っていると言えばいいのかな。)
僕はツールとしての天皇制についてはメリットがありそうな気がしているけど、少なくとも、天皇個人をそれほど尊敬してはいない。「それほど」と言ったのは、あまり知らないけど、どうも立派らしい人、という程度には尊敬しているからだ。そういうときには丁寧語を使うくらいがちょうどいいだろう。
誤解がないよう明確にしておくが、僕は皇室の人たちの人格を問題視している訳ではない。きっと悪い人ではないのだろうと思う。平成の天皇(上皇)個人で言えば、立派な人だったのだろうなあ、と思っている。
皇室の人たちが特権を持っているのが問題だと思っている訳でもない。職業選択の自由もなく制約が多い一方で、衣食住に困ることなく行きていくことができるというのは、まあ、ちょうどいいバランスだと思う。
また天皇制は太平洋戦争につながった、というような批判をしたい訳でもない。歴史というのはそんな単純化した話ができるものではないと思っている。どちらかというと僕は民主主義の無謬性みたいなものに疑問を持っているくらいだ。このような話を持ち込み、天皇制についての議論を混乱させたのは左翼のひとたちの罪ではないだろうか。
以上、読んでわかるように、これは皇室の人たちや天皇制そのものではなく、皇室を取り囲む関係者への批判だ。
天皇制については、賛成か反対か、というような雑な議論ではなく、もっと丁寧な議論がきちんとされてほしいと思っている。
それは、多分、嫌韓のようなネトウヨ対パヨクみたいな図式ができているすべての問題に共通の僕のスタンスだ。