※ 5,600字くらいです。僕自身には意義深い文章だけど、僕のタウマゼインに興味がなければ多分読んでも面白くないです。

この文章は、僕が何度も書いてきた高校生の頃のタウマゼインを乗り越えたぞ!という話です。

1 全肯定のタウマゼインと全否定のタウマゼイン

僕には、高校生の頃、二つのタウマゼインがあった。

第一のタウマゼインは、「僕を含めた生物も、無生物も、皆、きちんと存在していて、その存在同士が網の目のように関係し合っている」という驚きだった。これは、存在の全肯定という幸せに満ちた感覚を伴うものだった。(ここでの存在、肯定、否定については不正確な用語であることを第4節で注意喚起しています。)

だが、その数ヶ月後、第二のタウマゼインが訪れた。それは、当時の僕の表現を使うなら、「そんな網の目のような世界が存在していることは、何ら確実ではない」という、失望に満ちた驚きだった。存在の全肯定に対比させるならば、存在の全否定であり、暗転の驚きである。数学の証明ならば、もともとの定義から導かれること以上のことは証明できない。だから定義の正しさは証明できない。それならば、不確かな定義から導かれる全てが不確かではないか。そんなことを当時、考えた覚えがある。

その不確かさを乗り越える何かが哲学にあるかもしれないと思い、何冊か本も読んだけれど、全く心に響かなかった。「我思う、ゆえに我あり」なんていう不確かな前提をなぜ確かなものとして素直に受け入れてしまうんだろう、または、なぜ超越論的条件なんていう不確かな前提を不確かなまま受け入れてしまうのだろう、などと考え、大学生の途中で、哲学からは離れた。そして、底が抜けたようなこの世界にも馴染み、就職し、結婚し、子供もできた。

2 入不二との出会い

そうこうして過ごす中、30代半ばのある日、子供の絵本を借りに近くの図書館に行ったとき、ふと哲学の本を手にとってみた。そして、案の定ピンとこないまま数冊読むうちに、入不二基義の『ウィトゲンシュタイン 「私」は消去できるか』という本に出会った。

一気に読み、この本は他の哲学書と違うと感じた。そこにあるのは、ある前提を設定し、そこから結論を導くような直線的な論じ方ではなかったのである。この入不二という哲学者は、概念を曲げたり、伸ばしたり、重ね合わせたり、まるで魔法のように鮮やかに議論を切り開いていく。そこには、他の哲学者の一歩先をいく何かが明確にあったのである。

だからといって、入不二であっても、僕の全否定という第二のタウマゼインを直接的に乗り越えることはできない。だが、そこにはワクワクする何らかの新しさがあって、僕もやってみたいと思ったのである。

そこから、入不二の真似事のようなことをするうちに今に至る。そして僕は、あれからずっとワクワクする何かを感じ続けている。

3 できうることをやりつくしたならば、どこまで捉えられるのか

それでも、時々、無力感に襲われることもある。さらに、歳を取るごとに、無力であることを当然のように受け入れつつある自分に気づくことも増えてきた。そんな時、僕は、無理筋とは言え、高校生の頃に感じたあのタウマゼインに正面から向き合わないまま生き、そして死んでしまっていいのか不安になる。

最近、そんなことを時々感じていたのだけど、昨日、風呂に入りながら思いついた。

30代半ばでの哲学との再会は、高校生の頃のタウマゼインとは別の、新たなタウマゼインだったのではないだろうか。

そのタウマゼインは、「できうることをやりつくしたならば、どこまで捉えられるのか」という言葉で表現することができる。

疑問文形式の驚きというのもおかしい話だけど、第一のタウマゼインは、全肯定であり、第二のタウマゼインは全否定である。それならば、第三のタウマゼインは、いわば全疑問であり、そうおかしい話ではないのかもしれない。

4 不正確さについての注意書き

なお、念のためだが、ここまで、わかりやすさを優先し「存在」「肯定」「否定」といった言葉をあえて使っている。だが、これらは、あくまで雰囲気を伝えるために使った言葉であって、極めて不正確なものだ。

まず、「存在」とは、何らかの「ものごと」の成立が前提になっている言葉だろう。だが、僕が本当に問題にしたいのは、そのような「ものごと」の成立以前についてである。

また、「肯定」「否定」という言葉についても、肯定と否定を分ける論理のようなものの成立が前提になっていると言える。だが僕が肯定という言葉に込めたのは、本当は、否定のない全肯定であり、否定という言葉に込めたのは、論理的な肯定・否定以前の不確かさである。

そもそも、言葉とは、どうしても何かを限定してしまうものなので、タウマゼインを言葉で表現することは難しい。一方で僕のタウマゼインを含め、たいていのタウマゼインについて言語的な限定を加えることは本当はできない。なぜなら、その限定のなさこそが驚きを驚きとしていると言ってもいいはずだからである。

だから、「できうることをやりつくしたならば、どこまで捉えられるのか」という第三のタウマゼインの描写についても、できる限り、限定が生じない書き方をしているが、それでも、どこか不正確なものになっているはずだということは注意を要する。

例えば、第三のタウマゼインにおける「できうることをやりつくす」とは、いわゆる哲学が用いる論理のほかにも、瞑想や神の啓示など、僕に可能なあらゆる営みを含む。僕のすべてを賭けた疑問が、この第三のタウマゼインなのである。

5 構造と実践

このような言葉による驚きの表現という限界を踏まえつつ話を進める。

僕のこれまでの哲学的半生を振り返ると、高校生の頃の僕は、全肯定と全否定という二つの驚きに、まさに雷のように見舞われた。その後、30代半ばの僕は、気づかないまま、全疑問という第三の驚きに出会っていた。その驚きは、20年ほどの時間をかけて、僕の心と身体に染み込み、僕の実践となっていき、昨日、ようやく、そのことに気づいた。

このように捉え直してみると、一瞬の雷のような第一、第二のタウマゼインと、数十年かけて染み渡るような第三のタウマゼインとでは、驚きが訪れる速度が全く異なることに気づく。

なぜ、このような違いが生じるのかというと、驚きは大きく二種類に分類できるからだろう。

第一の全肯定の驚きと、第二の全否定の驚きは、いわば構造についての驚きである。

まず全肯定の驚きとは、全存在がネットワーク状に構成されているという構造に驚いたということであり、それ以上の説明は不要だろう。

一方で、もうひとつの全否定の驚きを構造と捉えることについては、全否定を構造化しようとしても、構造化されるものがないので描写が難しいことから、少し説明が必要だろう。

高校生の頃の僕の捉え方によるならば、当時、いわば全否定したのは、前提条件とそこから導かれる結論のような、何らかの論理構造である。そのような論理構造が成立するかどうかは不確かだと僕は考えたのである。

それはつまり、論理構造が成立しない、ということであり、論理構造がないことも、ひとつの構造だと考えるならば、僕の全否定の驚きとは、構造についての驚きであることには違いはない。

ここでは、当時の僕の考えに即して論理構造を例としたけれど、論理に限らずどのような構造であっても、その構造を否定することは構造の否定であるという捉え方はできるはずである。

こうして、第一の全肯定の驚きと、第二の全否定の驚きは、ともに構造についての驚きであることが明らかになった。

一方で、第三の全疑問の驚きとは、いわば実践についての驚きである。すべてが不確かだという全否定の構造に陥りつつも、問うという実践はできる、ということへの驚きだとも言えるからである。何を問えるかはわからないし、どのように問えばいいのかもわからないし、問うことでどうなるかもわからない。だが、問うことはできるし、問うという実践にワクワクすることもできる。そのことへの驚きが、全疑問の驚きである。

このような実践への驚きは、やってみないとわからない。20年間、実際に実践し、ワクワクし続けることで、ようやく、この驚きが、本物の驚きであることを実感できる。

だから、僕が第三のタウマゼインに気づくまで、これほどの時間がかかってしまったのではないか。

6 無限-有限=無限

このように考えると、三つのタウマゼインは全く異なるものでありつつ、深く関わってもいるはずだろう。

その関係性の雰囲気だけでも描写するために、「こちら側」と「あちら側」という用語を、これもまた不正確に導入してみたい。(また、その説明のために、私や世界という用語についても不正確に導入する。)

まず、第三の全疑問の驚きは、実践の驚きだから、私の実践という意味で「こちら側」に位置づけられる。そして、第一の全肯定の驚きと第二の全否定の驚きは、僕をとりまくこの世界の構造という意味で「あちら側」に位置づけられる。

このように位置づけるならば、「こちら側」と「あちら側」の間には、全くの隔絶があることになる。なぜなら、「できうることをやりつくしたならば、どこまで捉えられるのか」という第三のタウマゼインに基づき、いくら実践しても、第一のタウマゼインのような全存在や、第二のタウマゼインのような不確かさには到達することは決してできないだろうからだ。

ここでは多くを述べないけれど、私の実践は、本質的に私の実践を超えることはできない。よって、そこには「私の実践」であることに由来する何らかの限界があるはずであり、その限界により、「あちら側」の制限なしの全肯定や全否定に到達することはできない。そして、その限界を捉えようとする営みこそが、「できうることをやりつくしたならば、どこまで捉えられるのか」という問題であるとも言える。

「こちら側」と「あちら側」の隔絶は、三つのタウマゼインを貫き、タウマゼインの成立に深く関わっているのである。

この「こちら側」と「あちら側」の間にある隔絶を強調するために、この隔絶を無限の距離で表現することもできるだろう。

その無限の距離を、僕は、「できうることをやりつくしたならば、どこまで捉えられるのか」を実践することで、多少なりとも縮めたいと考えている。要は、私の実践の限界を突き詰めることで、少しでも「あちら側」に迫りたいのである。

だが、迫れるのは、あくまで有限の距離でしかない。だから、僕がやっていることは、無限の距離を有限の距離分だけ縮めようとする営みであるとも言える。「無限-有限=無限」である。

7 手当たり次第の実践

それでも、その一見無駄とも思える作業を僕は飽きずにやっている。なぜかというと、構造に囚われる限り「無限-有限=無限」という極めて冷酷な構造から逃れることはできないが、実践に目を移すならば、そこには、どこまでもワクワクする実践が僕を待っているとも言えるからだ。

だから、ブログを読んでいただければわかると思うが、僕はワクワクしながら、手当たり次第に色々なことを書き、考えている。

だが実は、僕はその節操の無さにも引け目を感じていた。

節操のない僕に対比されるのは、〈私〉という切り口から長年、独在性について論じている永井均である。(この文章で重要となるタウマゼインという用語も彼から学んだ。)

本当のタウマゼインとは、永井均の〈私〉のようなものなのではないか。その驚きにこだわり続け、一生をかけて取り組むからこそ、それが本物だと言えるのではないか。それに比べて僕は、ぶっとんだ形而上学から哲学カフェでの日常の疑問まで手当たり次第にやっている。僕のタウマゼインは偽物なのではないか。そんなことを考えていた。

だが、第三のタウマゼインに気づくことで、僕がやっていることは、僕なりのタウマゼインに合致しているように思えてきた。なぜなら、あくまで後付けだけど、ぶっとんだ形而上学にも、日常の疑問にも、それぞれ、僕のタウマゼインにおいて役割が与えられていたとも言えるからだ。

まず、形而上学とは、「こちら側」からどこまで「あちら側」に迫れるか、その限界を、とりあえずでも措定してみる作業だと言えるだろう。また日常の疑問とは、その措定が正しいかどうかを検証する作業だとも言える。もし検証結果が形而上学による措定と整合しなければ、措定をやり直すことになる。そのように様々なレベルで様々な議論を尽くすことで、「できうることをやりつくしたならば、どこまで捉えられるのか」という問いに対する答えに多少なりとも迫ることができる。

第三のタウマゼインが僕をいざなう実践とはそのようなものならば、実は、すべての僕の実践は、第三のタウマゼインにつながっていたのだとも言える。また、逆に、もし僕の実践に制限をかけてしまったら、それは、第三のタウマゼインに基づく実践としては、不十分なものになってしまうということでもある。

そのように考えてみると、僕の、移り気な手当たり次第の実践も、実はそう悪いものではなかったと思えてくる。

8 ワクワク

ここまで書いてきたことは、多分、読者にとってはよくわからない、どうでもいいことなのだろう。けれど、僕にとってはとても大事なものだ。

僕は長年、高校生の頃のあのタウマゼインに囚われてきたと思い込んでいたけれど、実は、入不二に導かれるようにして哲学を再開したあの頃から、気づかぬまま、徐々に前に進むことができていた。たしかに、高校生の頃のあのタウマゼインも重要であり続けるけれど、そこに向かう実践こそ、今の僕には重要なのだ。

そして、これからも僕の半生を通じて、胸を張って、手当たり次第に実践することができる。それはお墨付きであると同時に、そうするしかないという覚悟の道が示されたとも言える。

そう思うと、本当にワクワクしてくる。これは、高校生の頃の多幸感とも失望とも違う、不安と期待が入り交じったような、そう悪くない第三のタウマゼインの感覚である。