1 はじめに

多分、哲学において「数」をどのように扱うかは大問題だ。たしか、ウィトゲンシュタインは数を操作の回数とみなしていたと思う。多分哲学史的には他にも色々なアイディアがあるのだろう。だけど僕はあまり興味がなかったので、なんとなく数とは言葉の一種だという程度に考えていた。

だけど、数日前、ふと、数と言葉の違いについて思いついたことがあるので、ここにメモとして残しておく。

2 株式投資

これは株式投資をきっかけに気づいたことなので、まずは僕にとって投資とはどのようなものなのかについて、少し触れておこう。

僕は哲学のほかにも色々と好きなものがあるのだけど、そのひとつが投資だ。他の趣味に比べれば必要だからやっているという側面が強いけれど、投資はゲーム性があって結構楽しい。

投資には大きく3つのスタイルがある。デイトレードと言われるような一日で完結する売買を行う短期タイプ。数日から数ヶ月、2、3年といった期間を見据えて売買を行う中期タイプ。そして数年から数十年間、同じ株を持ち続けるような長期タイプだ。期間が短くなるにつれて負担が大きくなるので、仕事や哲学で忙しい僕はもっぱら長期タイプだった。

だけどふと、もう少し短期で投資をしてみようと思い立った。僕はいわゆるアラフィフなのだけど、僕がいつまで働かなければならないかは投資の成果次第だということに気づいた。僕は仕事が嫌いではないけれど、人生の残り時間を考えると、仕事よりも哲学をする時間を確保したい。それならばもう少し頑張って投資してみてもいいのではないか。そんな焦りにも似た気持ちがあったのだ。

焦りから始める投資はたいていうまくいかない。だけど、失敗してもいいからとにかく一回やってみないと焦りを消すことはできない。成功すれば儲けものだし、失敗しても心の平穏を回復できる。そんな気持ちで僕はアメリカの株を少し買ってみることにした。

あえて値動きが激しそうな銘柄を買ったから、1日で1割ぐらいは平気で上限する。となると当然株価が気になる。なんとなく一日中ソワソワした気持ちになる。だって1日の値動き幅は、今日一日の労働分くらいあるのだから気になるのは仕方ないだろう。僕はパチンコとかはやらないけれど、こんな感じなのかな、と思う。

僕が「数」というものについて考えをめぐらした背景には投資にまつわるこんな事情がある。

3 数による幸せの表現

つまり僕が考えた「数」とは刻一刻と動く株価のことだ。

僕がその数字が気になり一喜一憂するのは、その数が幸せとでも呼ぶべきものを象徴しているように感じているからなのではないか、と気づいた。

株価以外の数でもいいだろう。時事ネタ的には、コロナの感染者数でもいいだろう。毎日変動する新規感染者数の数は、この国がどのくらい幸福で、どのくらい不幸かを指し示している。

当然、僕の幸せは株価だけでは測れないし、日本の幸せはコロナだけでは測れない。だけど、その数が幸せのある側面を捉えていることは確かだと思う。

4 言葉による幸せの表現

なお、幸せの表し方は他にもある。それは言葉を使ったやり方だ。例えば、「大坂なおみが全豪オープンで優勝した。」という言葉はある幸せを描写しているだろう。僕ならば「スリランカを旅行した。」という例文がいいかもしれない。

数を使って表された幸せと言葉を使って表された幸せはどこか違う。

例えば僕がアップル株を持っていたとしたら、(2021.3.9現在)116ドルであった数字が、120、130・・・と変動していくことで(金銭的な)幸せを表現することができる。逆に116という数字を110、100、90・・・と変動していくことで不幸を表現することができる。つまり数で表現された幸せは、不幸も幸せも程度問題である。

一方で、「スリランカを旅行した。」という言葉で表現された幸せは、旅行に行くか行かないかの二択であり、程度問題は生じない。その中間に熱海旅行がある、というようなことはない。

念のためだけど、これは幸せの種類の問題ではない。株価上昇の幸せは金銭という低俗な幸せであり、旅行は精神的で高尚な幸せだ、というようなことではない。例えば僕の幸せには「がんになってから5年間再発しなかった。」というものがある。この幸せは明らかに数で表されるもので、1、2、3、4と年数が増えていくごとに、幸せも徐々に増加していくような類のものだ。この幸せは数で表すことはできるけれど、それほど低俗ではないと言えるだろう。一方で、もうひとつの僕の幸せである「(結婚している)僕が、きれいな女性にホテルに行こうと誘われる。」という願望の描写は、言葉で表現されるものではあるが、かなり低俗であるに違いない。

つまり、どちらが高尚でどちらが低俗か、といった問題とは別に、幸せの描写の仕方には、程度問題として数による表現と、幸・不幸の二者択一的な言葉による表現との二通りがあるのだ。

5 両者の比較

僕自身の数による幸せの表現の二つの例、つまり株価とがんの手術後の経過期間を思い起こすと、どうも、そのような数による表現に囚われているときはどこか余裕がなくて幸せではなかったような気がする。

毎日、株価の変動を見て一喜一憂していると、ほかのことを考え、感じる余裕がなくなる。がんの術後5年経過したことに気づいたときは、嬉しさとともに、再発の可能性も僕の心を大きな場所を占め、がんのこと以外を考えられなくなった。

一方で、「スリランカを旅行した。」という幸せな言葉は、僕に、幸せな思い出以外の何も呼び起こさない。幸せな言葉は、ただ幸せな気分を運んでくるだけで、それ以外の何者も連れてこない。(もし「友人をひどい言葉で傷つけてしまった。」というような不幸な言葉であれば、僕の心は後悔でいっぱいになり、他のことを考える余裕が奪われるかもしれない。だけど、幸せな言葉であれば、そのような問題は生じない。)

また、数字を抜きにして、「株価が上昇して儲かっている」や「がんが長期間再発していない」という言葉による表現に留まるのであれば、その裏にある数字に思い至らない限り、僕の心の余裕が奪われることはない。

そのように考えると、言葉による表現に比べ、幸せを数値で表現することは、あまり得策ではないようだ。

6 数の精緻さ

数による表現にこのような特徴があるのは、言葉による表現に比べて数による表現には精緻さがあるからなのだろう。

ただし言葉でもこのような精緻さを求めることはできる。例えば、同じスリランカ旅行であっても、ヘリタンス・カンダラマ(という立派なホテル)に泊まる旅行と、その近くの中級ホテルに泊まる旅行とではどっちがいいか、などと精緻に比較することはできる。そのように精緻に比較し、スリランカ旅行の幸せの主要素はヘリタンス・カンダラマに泊まったことにあったのだ、だけどヘリタンス・カンダラマのなかでも普通の部屋に泊まるよりもスイートルームに泊まったほうが幸せだったはずだ、などと精緻に分析することは可能である。

だが、そのような作業をすることは端的に言ってつまらない。幸せが台無しになった気分さえするだろう。もしこのような作業に没頭する人がいるとしたら、その人の心は、幸せではない何かで占められ、余裕がない状況になっているに違いない。

これは数字による幸せの表現と同じことである。アップルの株価が150円になることは、149円よりもよいが151円になるよりも悪い、などと比較して考えているのと同じことである。

つまり、言葉による表現であっても、数による表現であっても、それが精緻なものとなったときに、幸せと相性が悪くなるということだ。

ただ、数による表現とは、そもそもこのような精緻な比較を行うもの出あらざるを得ないから、根源的に幸せの描写に向かないということなのだろう。

7 視点の固定

ここまで幸せを言葉や数で比較することができるという前提で議論を進めてきたが、そもそも幸せを比較するというアイディアには日常の実感に基づく有力な反論がある。

その反論とは、高級ホテルに泊まったか泊まらなかったかで、旅行全体のありようが変わってしまうのだから、高級ホテルに泊まった場合の幸せと泊まらなかった場合の幸せとをきれいに比較することなどできない、というものだ。シギリアという街で高級ホテルに泊まったことで、次にキャンディという街で泊まったホテルが褪せて見えてしまうかもしれない。そのような影響があるのだから、全体のある部分のみを取り出して比較することなどできない。

また、アップル株で100万円儲かった場合と、1億円儲かった場合とではお金の意味が変わることもありうる。100万円ならばただ嬉しいだけだが、1億円を得ることで労働を通じた達成感を得られなくなってしまうかもしれない。1億円には100万円の100倍という数字上の意味以上のものがありうる。だからそれらを単純に比較することなどできない。

これらはいずれも、比較を可能にする固定的な視点を持つことなどできない、という反論だと言えるだろう。スリランカ旅行を構成する他の要素を固定した視点に立ち、高級ホテルに泊まった場合と泊まらなかった場合を比較することはできないし、人生の他の要素を固定したうえで株での利益だけを操作して比較することはできない。

僕はこの批判はもっともだと思う。だが、数による表現は、このような批判を無化してしまうだろう。なぜなら数が行っているのは単なる比較ではなく、精緻な比較だからだ。数が表現しているのは株価が150ドルから151ドルになるという微妙な値動きであり、そのようなわずかな株価な違いが人生の他の部分に影響を与えることなどない。150ドルなら仕事への影響はないが、151ドルになったとたんに仕事のやる気を失うなんていうことはないだろう。さきほど100万円と1億円で大きな違いがあるように見えたのは、大きく数を変えすぎたからなのだ。数を丁寧に用いるならば、他の部分は変えず、ただ数だけを操作し、比較することが可能になる。これが数というものの力なのではないか。つまり、数が精緻な比較を行うことができるということは、つまり、数には数以外の要素を固定する力があるということなのだ。

8 砂山のパラドクス

僕が行ったような議論には砂山のパラドクスなどと呼ばれる伝統的な反論があるだろう。砂山から一粒ずつ砂を取り除いていっても、それが砂山であることは変わらない。だが、それをどこまでも続けていくと、最後には砂が一粒だけ残るだろう。それは砂山とは呼べない。いつ砂山は砂山でなくなったのだろう。というパラドクスだ。

アップルの株価が1ドルずつ値上がりした先には、いつか1億円の儲けがあるはずだ。そのとき、株価としての数字は、僕の人生を大きく変えるだろう。では、株価がいくらになったときに僕の人生は変わったのだろう。

多分、パラドクスと言われるだけあって、これには答えはないのだろう。

きっと、そもそも、幸せを数で比較するようにして把握しようとしたこと自体に問題があるのではないか。

アップル株が116ドルから200ドルになれば100万円儲かるぞ、と僕が期待しているとき、僕にとっての200ドルとは、単なる数字ではなく言葉なのだ。いわば、このときの200ドルとは、「200ドルに値上がりして100万円儲かればまた海外旅行に行けるぞ。」という言葉が紡いだ物語の一部としての200ドルに過ぎない。だから、そこには199ドルと比較した200ドルというような視点は介在のしようがない。

9 数字との幸せな付き合い方

以上の話は、幸せは比較できるものではない、という単純な話に行き着くだろう。

だから、精緻に比較するという特性を有している数字を幸せの表現においては用いるべきではない。お金は大切なもののはずなのに忌み嫌われがちだというのはこのあたりが原因なのだろう。きっと賢い人は、お金というのは、手元にあり、かつ、そこに目を向けないことでようやく幸せになるものだということを知っており、そのような態度を身につけているのだろう。

僕はそこまで至ってないから、せめて株式投資をするにあたっては、どのような運用方針とするかを決めたら、あまり株価はチェックしすぎないようにしようと思う。

10 言葉が持つ反実仮想の力

どうも幸せを数で表現することはまずいということがわかったが、言葉で表現することは問題ないのだろうか。

残念ながら、言葉には反実仮想を立ち上げる力がある。つまり、「スリランカを旅行する。」という言葉には、「スリランカを旅行しない。」を立ち上げる力がある。

その両者を比較できるからこそ、「スリランカを旅行しない。」よりも「スリランカを旅行する。」のほうが幸せだということがわかることになる。更には、言葉による描写を詳細にし、「スリランカを旅行して、シギリアでヘリタンス・カンダラマに泊まる。」と表現することで、「スリランカを旅行して、シギリアでヘリタンス・カンダラマに泊まらない。」を立ち上げることもできる。だから、両者を比較してヘリタンス・カンダラマに泊まったほうが幸せだと言えることとなる。

だがこれは、明らかに、これまで避けようとしてきた、比較による幸せの把握の道だろう。言葉により精緻に描写するという道筋も、明らかに幸福と反りが合わない。

11 マインドフルネス

だが、どうすればいいのだろう。スリランカ旅行という幸せな思い出にアクセスするためには、スリランカ旅行という言葉を用いる必要があるのは明らかだろう。また、タイ旅行という幸せになるだろう将来計画を立てる際にも、タイ旅行という言葉を用いる必要があるに違いない。幸せを見出すためには幸せにつながる言葉を用いざるを得ない。

多分、幸せにアクセスする言葉を使いつつも幸せになるためには、反実仮想を立ち上げずに、言葉をただ表現されたものとして扱うという特殊な技術が必要となるのだろう。僕の予想だと、その技能とは、マインドフルネスと呼ばれるものであるはずだ。表現された言葉をただ表現されたものとして扱う。そのような道筋にしか言葉を通じた幸せはないように思う。

なお、マインドフルネスまで持ち出すならば、数を通じた幸せも可能となるのではないだろうか。116ドルから117ドルへの値動きをただマインドフルに受け止める。そうすれば、一日中株価ばかり見ていても幸せになることはできるに違いない。きっとデイトレーダーに向いているのはそのような人であるのだろう。

当然僕はそこまで鍛えられていないから、僕の投資は、何十年の長期投資と数年の中期投資を組み合わせるくらいに留めておきたい。それとも、マインドフルネスのトレーングのためには、もう少しがっつりやったほうがいいのかな。