1 はじめに

先日、英語の勉強をしようかと思い立って(結局してないけれど)、TEDの動画を何本か見た。(結局、日本語字幕で・・・)

そのうち、2つの動画※が、『WHY』の重要性を強調していたのが心に残った。どうもビジネス書界隈では『WHY』が熱いらしい。(少し前の動画なのでもう古いのかな。)

※2本の動画は、次のとおり

『優れたリーダーはどうやって行動を促すか』サイモン・シネック

『適切な目標が成功の秘訣である理由』ジョン・ドーア

観てから読んでいただけると嬉しいけれど、観ない方のために2つの動画を最大公約数的に(1つ目の動画を中心に)僕なりの解釈でまとめると、次のような感じになる。

(自分自身も含めて)人を動かすには、『WHAT』や『HOW』も重要だけど、何より『WHY』が重要だ。アップルが成功したのは、優秀なスマホを提供する(WHAT)、操作のしやすさという点で優秀である(HOW)といったことよりも先に、世界を変えるという信念で製品を作っている(WHY)ということを訴えていたからだ。このように『WHY』という目的(目標)の設定が最重要なのだ。

いい話だった。だからこそ、こうして文章まで書いている。けど、率直に言って、最初はどこか腑に落ちなかった。少し考えてみて、この違和感が何に由来するのかが、わかった気がするので、この気づきをここに書き留めておきたい。

2 目的と理由の混同

僕の違和感は、なんで『WHY』なんだろう、というものだった。僕の英語の知識だと『why』を直訳すると「なぜ」で理由なのに、目的(目標)という面だけが強調されることに違和感があったのだ。

『why』を辞書で引くと「(疑問副詞) なぜ、どうして、どういう理由で、なんのために、…との(理由)、…する理由」(weblio辞書)とある。つまり『why』とは理由を問うものだ。だが、よく見てみると、「なんのために」という説明が含まれている。これだけは理由ではなく目的を問うものだ。つまり、『why』とは基本的には理由を問うもので、場合によっては目的を問うものだということになる。

TEDでは、目的(目標)設定の重要性を示すキーワードとして『WHY』が用いられていた。だけど、英語が上手でない僕は、それを自動的に「なぜ」と訳して聞いていた。字幕もしばしば、『why』を「なぜ」と訳していたし、発表者さえも理由と目的をやや混同しているように感じた。

つまり僕が感じた違和感をもう少し明確に表現すると、目的と理由が混同されることへの違和感であったとも言えるのだろう。

3 目的と理由の違い

目的と理由は似ているようで全く違う。そこにある違いを捉えなければ、TEDの動画が本当に伝えたかったことを捉えることができないとさえ思う。

その違いを簡単に示すならば、目的は未来とつながり、理由は過去とつながっている、と表現できるだろう。「なぜ皿を割ったの?」「手が滑ったから。」というように、「なぜ?」という理由の問いに答えることと、過去に既に起こった出来事を示すことはつながっている。また、「なんのためにその皿を買うの?」「来週のホームパーティーで使うから。」というように、「なんのために?」という目的の問いに答えることと、未来に起こる(かもしれない)出来事を示すことはつながっている。

いや、違いはそこまで明確ではない、という反論があるかもしれない。「なぜ旅に出るの?」と未来につながる理由を問うこともあるし、「なんのために旅に出たの?」と過去の目的を問うこともあるからだ。

だが、そう感じるのは、時間の前後関係の捉え方をあいまいしているからに過ぎないだろう。例えば「なぜ旅に出るの?」という問いに対して「本当の自分を見つけたいから。」と答えるというやりとりがあったとしよう。ここで起きたものごとを時間軸で示すと次のようになる。

①本当の自分を見つけたいという気持ちが生じる

②旅に出ると決心する

③「なぜ旅に出るの?」「本当の自分を見つけたいから。」というやりとりをする

「なぜ」という理由の問いに答えるためには、②の時点よりも過去である①を持ち出さなければならない。そのように考えれば、この例でも理由の問いが過去とつながっているという関係性はきれいにあてはまる。

また、「なんのために旅に出たの?」という過去の目的の問いも同様に扱うことができるだろう。「なんのために旅に出たの?」「本当の自分を見つけるためだよ。」というやりとりを時系列で並べるなら次のようになる。

①旅に出る。

②本当の自分を見つける(または見つけられないことが確定する)

③「なんのために旅に出たの?」「本当の自分を見つけるためだよ。」というやりとりをする(③は①と②の間にくることもある)

この場合、「なんのために」という目的の問いに答えるためには、①の時点よりも未来である②を持ち出さなければならない。そのように考えれば、この例でも目的の問いが未来とつながっているという関係性はきれいにあてはまる。

少ない例しか示せていないけれど、目的は未来とつながり、理由は過去とつながっている、という関係性があると思ってもらえるとうれしい。

4 因果関係

 TEDの『WHY』には未来志向の目的と、過去志向の理由という二面性があるとして、なぜその違いが重要になるのか。つまり、アップルが魅力的なのは、アップルが目的(目標)を語っているからであって、決して、アップルが理由を語っているからではないのは、なぜなのか。

このことを考えるうえで、まずは、間違えそうな回答を消すところから始めることにしたい。注意したい誤回答とは、「アップルが魅力的なのは、そこに強い因果関係があるからだ。」というものだ。

因果関係は強力だ。水を熱すると蒸発する。殴られると痛い。便利な道具を手に入れると楽にものごとができる。この世界は、これらのような当たり前の因果関係に満ちていて、その因果関係を無意識に利用して僕たちは生きている。アップルは、そのような因果関係に満ちた世界のなかに、もうひとつ新たな因果関係を付け加えたのではないか。つまり、世界を変えるものとしてのアップル製品を使うことで世界が変わる、という因果関係をつくりあげたのである。もしこのような因果関係が成立するならば強力な力を持つ。だから、人を動かし、ビジネスを成功させるためには、この因果関係をいかに部下や消費者に信じさせ、共通認識とするかが重要になる。二つのTEDの動画は、このように解釈することもできると思う。

これは悪くない考えだから全否定はしない。だけど、因果関係という大雑把な捉え方は、先ほど考察した、未来志向の目的と、過去志向の理由という二面性を混同することにつながるという大きな欠点がある。

因果関係について、A(水を熱する、殴る)からB(蒸発する、痛い)が起きる、と模式化してみよう。この場合、熱するのは蒸発させるためだ、殴るのは痛くするためだ、というようにAの視点からBを目指すのが目的だと捉えることができる。一方で、蒸発するのは熱したからだ、痛いのは殴られたからだ、というようにBの視点からAを振り返るのが理由である。つまり、因果関係のなかには、目的と理由という二つの視点が交差するように含まれている。(もうひとつ、無視点的な捉え方もあり、それが中動態だと思うけれど、脱線になるので省略。)

つまりA→Bという目的、A←Bという理由、この両者を含むA⇔Bという因果関係がある。これらすべてを示す幅広い言葉として『WHY』があると考えれば、『WHY』という言葉が持つ便利さがわかるだろう。きっとTEDで『WHY』が力強いかたちで用いられていたのはこんなところに理由があるのだろう。言葉は曖昧なほど力を持つ。愛や生命といった複数の意味を持つ言葉がキーワードとなりがちなのはそのせいだ。

だから、決して『WHY』という因果関係的な捉え方が間違えている訳ではない。ただし、僕はここで、因果関係のなかに含まれる、目的と理由の違いについて考えたいと思っている。誤解なく明確なかたちで議論を進めるため、このような曖昧で及第点的な回答はあらかじめ排除しておきたいのだ。注目すべきは因果関係であるのは確かだが、そこに留まらず、そこに含まれる目的と理由というふたつのベクトルに着目し、注意深く考察する必要があるのだ。

5 信頼性

さて、では因果関係には未来志向の目的と、過去志向の理由という二面性があるとして、なぜ理由ではなくて目的が重要なのか。

具体例に基づき、落ち着いて考えてみれば答えは明らかだろう。アップルを例にして、この問いを表現し直すと次のようになる。

アップルが魅力的なのは、アップル製品は世界を変えるためのものだという、買うに値する目的(目標)を持っているからであって、世界が変わるからアップル製品を買うというような、買われる理由を持っているからではないのは、なぜなのか。

この問いの答えは、明らかだろう。アップル製品がそのような崇高な目標を持っていると信じる人だって、さすがに、世界が変わるということがアップル製品を買う理由になるとまでは信じていないからだ。目的に比べて理由は、より厳密な関係性を求めるものだ。それも容易に達成困難なほどの厳格性を求めるものだ。そんなものを信じるひとなどほとんどいないだろう。

世界が変わるからアップル製品を買うという理由的な主張が成立するためには、いくつかのことが成り立たなければならない。まず、アップル製品を買ったら世界が変わるということが確実である必要がある。また、アップル製品を買うことが世界を変えるためのかなり有力な手段である必要がある。少なくとも、そのとき取りうるいくつかの選択肢のうち最も優れた選択肢である必要があるだろう。もしアップル製品でも世界を変えられるけれど、グーグル製品のほうがより効率的に世界を変えられるとしたら、それはアップル製品を買う理由にはならない。それが理由であるならば、確実な最善手であることが求められる。

それに比べて、アップル製品は世界を変えるためのものだという目的(目標)的な主張はかなり控えめだ。アップル製品を買っても世界が変わるかどうかはわからない。確実に言えることは、せいぜいアップルの従業員がそのような気概を持って働いている可能性が高い、ということくらいだ。また仮にアップル製品に世界を変える力があったとしても、グーグル製品にはより大きな力があるかもしれない。そうだとしても、アップル製品が世界を変えるためのものであることには変わりはない。アップル製品が最善手である必要はない。このように目的(目標)は緩やかな関係性があればいい。

『WHY』という因果関係のなかでも、理由ではなく、目的(目標)が重要であるのはこの違いがあるからだ。こんなときに理由を持ち出す人は嘘つきであり信頼できないが、控えめに目的(目標)を示す人は信頼できるからなのだ。

6 目的と理由の違い2

 この違いは未来志向の目的と過去志向の理由という時間的関係を思い起こせばより明確に捉えることができるだろう。

 理由が厳密なのは、それが過去と結びついているからだ。過去の出来事は確定していて揺るぎない。だから因果関係の内実をじっくり観察し、何が最大の要因だったのか、といったことを考察することもできる。例えば、水を熱するにつれて蒸発する有様を観察し、そこに天使の力のようなものが入り込んでいないことを確認することができる。

 一方で、目的(目標)は不確定な未来と結びついているから、厳密さが求められない。アップル製品を買うことと、世界を変えることとが、なんとなく繋がっていそうだ、という感覚さえあればいい。未来のことだから、それを検証することまでは求められない。

 だが、理由は過去のことばかりではない。未来においても水を熱すれば蒸発する。未来においても、水を熱することは、水が蒸発する理由であり続ける。これは、過去の出来事から導かれた理由が拡張して未来でも適用されていると言ってよいだろう。理由が重要視されるのは、過去の一度限りの理由ではなく、それが法則性を持って、繰り返し、未来において適用されうるからだろう。

 一方で、目的(目標)は本質的に一度限りのものである。都度、異なる状況において、一度限りのものとして設定されるものだからこそ、目的(目標)には意義がある。営業部が前年度に売上1億円という目標を掲げ、それを達成したからといって、今年度に同じ目標を掲げれば自動的に達成されるということはない。そこに一度限りの努力や幸運といったものごとがつきまとっているからこそ、目標設定には価値があるのだ。

 つまり理由と目的の間には、過去とつながり反復性がある理由と、未来とつながり一度限りのものとしての目的(目標)という対比がある。このことに基づき、ここまで論じてきたことを見通しよくまとめることができるだろう。

『why』という英語が通常は目的を問う「なんのために」ではなくて理由を問う「なぜ」で訳されることが多いのは、理由が過去とつながり、反復性を有し、世界の法則性とつながっているからなのだろう。理由を問うことは生きるうえで極めて重要なことだ。だから人はまず「なぜ」を問う。

一方で、TEDが『WHY』として目的(目標)設定を強調するのは、それが未来と繋がる、一度限りのものだからだ。それは、理由とも呼ばれる世界の法則性からの自由、つまり人間が持つ自由意志とつながっていると言ってもいいだろう。目標設定とはつまり、人間が持つ自由意志の発露のことでもあるのだ。

 理由と目的という正反対のものを因果関係としてひとくくりに捉えてしまうことは単に不正確なだけでなく、両者が持つ力を相殺してしまうことになるだろう。理由には自由意志などといった夾雑物が入り込む余地はなく、目的(目標)には世界の法則性から離脱する力がある。

7 曖昧さの力

 さて、この考察はそもそもTEDの『WHY』が持つ力に関するものだった。『WHY』の目標設定は、それが自由意志と繋がるものだというだけでも、十分に人を鼓舞するものとなるだろう。アップル製品が売れたり、キング牧師の集会に多数の人が集まったりしたのは、それが人間の持つ自由意志に訴えるものだったからだ、という側面があるのは確かだろう。

 だが、もうひとつ目標設定には重要な力があると思う。それは、ここまでも触れてきた曖昧さに由来する力だ。過去とつながり、何度も検証されて厳密さを要求される理由と比べて、目的(目標)はまだ実現しない一度限りの不確かな未来とつながっている。今、アップル製品を買うことと、未来において世界が変わるという目標とは、正直言って、繋がっているかもしれないし、繋がっていないかもしれない。そもそも、世界が変わるという目標設定自体が曖昧であり、どうやったら、それを達成したことになるかさえ不明確だ。(※)だが、この曖昧さにこそ目的(目標)設定の最大の魅力があるように思うのだ。

(※だから目標設定を数値化することが重要になるけれど、それでも、どうやったらその目標にたどり着くかは無限の道筋があり、いくら数値化されても、数値化されなかった含意が残る。例えば、iPhoneが今まで10分かかっていた出張の計画を5分に短縮するという目標を掲げたとしても、それは、ある人にとってはパソコンを起動する時間の短縮によって実現されたり、ある人にとってはガラケーよりも使いやすい入力画面によって実現されたりするだろう。また、出張の計画時間という指標は、その場面に限定されず、iPhoneの使いやすさ全般を測る指標であるだろうという点で、数値化では汲みきれない含意が残る。)

 『WHY』が魅力的なものとなるためには、その関係者が目標設定に同意しなければならない。アップル製品の消費者が世界を変えるという目標に同意し、集会の聴衆は「I have a dream」というキング牧師の夢に同意し、ライト兄弟自身も含めた仲間が有人飛行をするという目標に同意しなければならない。 

この同意をとりつけるためには、それが幅広い人に受け入れられるものであったほうがいいだろう。それならば厳密な理由を持ち出すことは細部で見解の相違が生じうるという点で不利だ。もし彼らが理由を語っていたとすると、アップルはグーグル製品ではなく自社製品を買えば世界が変わることを検証する必要があるし、キング牧師は演説から夢の実現につながる具体的な道筋を明確化しなければならなくなる。このような方策はとらないほうがいい。

一方で、彼らが語っていたのが曖昧さの許容される目標であれば、アップルもキング牧師も、自らが語ることと輝かしい未来との間に、なんらかの関連性がありそうだということを示すことができさえすればいい。結局、アップル製品を買っても世界が変わらず、キング牧師に従っても人種問題が解決しなかったとしても、そのことでクレームを受けることはありえない。

未来は未確定であり、そこにそれぞれの人がそれぞれの夢を自由意志に基づき自由に描けるからこそ、もし、その夢を集約するような目標を設定できたなら、それは大きな力になる。多少曖昧であってもいいし、実現性が不確実であってもいい。それよりも、その目的が、人間性に立脚し、人間が持つ自由意志を尊重したものであることが重要なのだから。

同じことを別の側面から表現するならば、人間性に立脚した自由意志だけが、今ここでの選択と曖昧な将来の目標とをつなぎ、現在と未確定な未来をつなぐ唯一の紐帯なのかもしれない。