今朝の夢を記録しておく。
入不二先生の本を読みながら寝たからかこんな夢を見た。

僕は、大学生なのか大学院生なのかわからないけど、大学の教室のようなところにいた。入不二先生やその他知らない人たちと何か哲学的なことについて意見を言い合っていた。
そのなかに一人、僕よりも背が高くてほっそりとしたショートカットの女性がいた。美形という訳ではないけれど、少し勝ち気な表情をした多分20代の女の子だ。そんな女性と違和感なく話していたということは、夢のなかでは僕も同じような年頃だったのだろう。
経緯は忘れたが僕らはなぜか意気投合して二人で外に出た。5月の爽やかな空気に満たされた公園のようなところを並んで歩いていると、彼女は僕の手をにぎった。
僕は立ち止まり、なんだか心もとない気分で彼女を見つめると、彼女も僕のことを見つめた。真昼の太陽の光のせいで彼女の頬の産毛が光っていた。桃みたいだなあ、と思いながらその頬にキスをした。

というところで目が覚めた。40代既婚男性の想像力ではこれが限界だったのだろう。そういえば彼女が水原希子にちょっと似ていたのは、読書会に備えてノルウェイの森を読み直したからかもしれない。大学が舞台だったのは娘の受験のため大学のサイトをさんざん見ていたからかもしれない。底が浅いなあ。

なぜこんな妄想のような夢を書き残したかというと、まずは、この夢には僕の理想が詰まっているように思えたからだ。僕はノルウェイの森の緑のような女性が好きだ。また、やり直せるなら大学で哲学をやりたいと思っている。そして、1年のなかで5月が一番好きだ。今後、夢のような状況を想像する必要があったら、この夢を思い出すことにしよう。

もうひとつの理由は、この夢の全編を通じて、僕の心のなかには、どこか、何も手に入れていないような感じがあったからだ。この、まだ何もない感じ。始まったばかりの感じ。ああ、これが若いときの感じだったかもしれないと思い出したのだ。
僕の若い時はこの夢のようではなかったけれど、この空っぽの器のような気分がどこかにあったことを思い出した。実際にはそれだけではなく焦燥感や熱気や汗などと混じり合っていたけれど、そのなかに、確かにこのような気分があったことを思い出したのだ。
この感覚を忘れてはいけないと思う。いや正確には、この感覚を失ったことを忘れてはいけないと思う。だから僕はこの夢を書き残したんだ。