※1,000字ちょっとです。
最近、哲学的なことばかり書いていたので、「思いついたことは何でも書く備忘録」という、本来のブログの趣旨に戻り、今回は、ただ思ったことを書き残すことにします。
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テッド・チャンという有名なSF作家の、『あなたの人生の物語』という本の中に収録されている、『地獄とは神の不在なり』という中編を読んだ。
全くストーリーとは関係ないところで感銘を受けたので、その感銘を記録しておこう。
主人公ニールと、その妻セイラの出会いを描写するシーンで、「セイラといっしょにいると、ニールの資質の最上のものが表にあらわれるため、彼女もニールに恋した。」という一文がある。
ニールはセイラのことを好きになって、セイラもニールを好きになる、という場面なのだけど、この一文がとてもいいと思ったのだ。
なぜなら、僕がニールならば、僕が誰かを好きになって、そしてそのことによって、僕の資質の最上のものが引き出されるということだからである。さらに、僕が好きになった人が、僕の最上のものを好きになってくれるということだからである。
これはつまり、恋愛を通じて、自分自身の可能性を広げていくことである。それも、好きな人とともに化学反応を生じさせ、ともに成長し、ともに新たな景色を見ることができることである。
これはとても素敵なことではないだろうか。
と書いてみて気づいたけれど、この感銘に全然ピンとこない人がいるかもしれない。
こうして書き、読み返してみると、文章の中に、可能性、成長、新たな景色、といった言葉が登場するとおり、僕は未来志向という特性を持っていることに気付かされる。さらに、僕にとっての未来とは、「自分の内面」における未来のことであり、そこには、内面志向という、もうひとつの僕の特性が表れている。
当然、人の価値観とは、未来よりも過去や現在に目をむけるものであってもいいはずだし、「自分の内面」でなく「外の世界」を重視するものであってもいいはずである。だから、僕の受け止め方は、過去や現在ではなく未来志向であり、外面(?)志向ではなく内面志向であるという意味で、特性のひとつである。(未来よりも過去の思い出が重要な人もいるだろう。また、同じ未来志向であっても、自分自身の成長よりも(外の世界としての)世の中がよくなることが重要な人もいるだろう。)
僕の価値観には、きっと、未来志向と内面志向という二つの特性があり、その特性が恋愛にも適用されているのだろう。
このように考えてみると、未来志向かつ内面志向という、決して多くないだろう、特定のタイプの人間にとってのみ、「セイラといっしょにいると、ニールの資質の最上のものが表にあらわれるため、彼女もニールに恋した。」というストーリーが極上のものに映るのではないだろうか。
僕の感銘とは、オーダーメイドのように僕特有の理想を描写してもらえたことの感銘だったということになる。
こんな話を書くなんて、テッド・チャンも、もしかしたら僕と同じ種類の男なのではないだろうか、なんて思う。
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ということで、以上のような恋愛の考察など関係なく、この話は面白いので、是非、SF好きな人は読んでみてください。
ただ、テッド・チャンって、結構哲学の話とか出てくるから、僕みたいな哲学が好きで、かつSF好きの人のための作家なのかもなあ、とも思います。(他の話では、オースティンの言語行為論なども出てきます。)